六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

映画「ラスト、コーション」

2008年02月05日 | 映画
 先日、ダーリンが出張でいなくてヒマだったので、公開されたばかりの映画「ラスト、コーション」を見てきました。

 日本占領下の上海・・その時代背景、ファッション、風俗、雰囲気などなど。全く無縁のはずなのに、なぜか私はとても心惹かれるですよ。何でだろう、あの混沌とした感じ、爛熟と猥雑とあやうさと虚構に充ちた煌めき・・あの嘘っぽく俗悪なほどの成金趣味やら倦怠やらも、突き詰めれば至芸だ、みたいな感覚をもって眺めてしまう。決して憧れも肯定も感じないけれど。

 そういうわけで、行ってみました。

 この映画、何か宣伝では愛とかR18がウリな映画みたいに扱われているけれど。観る自分が他でもない「日本人」なら、もっと違うテーマの映画だと感じた方が良いんじゃないかと思った。

 若き主人公の女性がなぜ、このような濡れ場に至るか、そのそもそもの動機・きっかけは何かってこと。
 「抗日」
 彼女はそのために、ここまでやる。

 若くういういしく、良家の子女っぽい聡明な生娘が(・・って、中国の「女性の純潔」に対する価値観がどの程度なのか、いまひとつ分からないけれど。映画「ラ・マン 愛人」を観た時も、どうも愛人というあたりの感覚が理解できなかったのだけれど。当時の日本社会がもっていた倫理観と同じくらいの感覚と仮定すると)ここまでやるのは、相当なことだと思う。

 もちろん、熱く抗日を語る青年への思慕や憧れもあったかもしらん。でも(本当の日本との関係はともかく)「抗日」という当時のスローガンのもつ熱狂とか正当意識とか、そういうものを、ひしひしと感じたですよ。

 その流れの上に、現代がある。
 日本人なら、戦争に無縁の世代でも心の底にほぼ確実に、ヒロシマ・ナガサキが、特攻隊員が、東京をはじめとする大空襲の記憶が、息づいている。
 多分それと同じように。中国の人々の血の中に「抗日」という熱狂が流れていることを実感する。
 そしてその流れの先に、数年前の、自衛隊員とか大使館員が嵌められたハニートラップがあるんだろうなと。

 こういう精神的な近代史の流れを、日本人としてはきちんとおさえるべきなんじゃないかとつくづく思いました。
 背景には列強の利権争いと中国国内の内紛があったにせよ、あの時代、あの地は表面的には「親日・抗日」で彩られていたわけで。嘘っぽいブルジョア生活と、それ以外の困窮した現実生活とのギャップの描写も見事でした。その全てを日本鬼子の悪事とされればぐうの音も出ない、そういう事態にまんまとひきこまれてしまった当時の日本の迂闊さ、見通しの甘さ、傲慢さを戒める意味で、特に自衛隊員と大使館員と中国進出企業家にはぜひ観て欲しいなぁと思いました。

 そういう意味で、怖い映画だったよ。

 あと、観客層がイマイチばらばらで、ヘンな感じがした 若いカップルもいれば、5,60代のオバサンがお一人様していて、「こういう映画に?」と違和感を感じるような年配男性もいて。・・もしかして彼は日本占領下の上海にゆかりがあって、上海の風景を懐かしもうと来てたのかなぁ・・。