六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

天敵

2008年02月23日 | 日々のこと
 私にとって、天敵 とでも呼びたい人がいる。

 ・・別に、その人のこと、憎んでいるとかではないんです。その人から何かをされるわけじゃないし、もちろん逆に、私の言動がその人に何か影響を与えるような関係でもない。
 年にほんの1回会うか会わないか程度。顔を合わせれば(お互い大人だから)にこやかに、あたり障りのなーい世間話をして、「じゃ、どーもー」で別れれば、後は特別なことがない限り、日常生活で接点のない相手。

 なのに、こうしてうっかり会ってしまった時などは、翌日までもイヤ~な気分をひきずってしまう。会話のひとつひとつを思い出しては「・・大っキライ・・」とつい吐き捨てるようにつぶやいてしまう。

 そうなる自分が分かっているから、会ってもなるべく会話しないですむようにさりげなく行動しているつもりなんだけど。

 元来、私もお人よしなタチで。「・・もしかしてこの人とだって、いつかは分かり合えるかもしれない」という私の一方的な願望が捨てきれず、ついつい《仲良くなりたいオーラ》を出して世間話なぞしちゃうわけです。

 でも、そのオーラの焦点を結ぶ位置が、その人にとっては不愉快な位置らしく。
 突然、意図しないタイミングで、こちらの言葉じりをとらえてねじ伏せるような返答をされたりして 呆然と、返答に窮すること数限りなし。
 
 ・・ようするにアレですな、文字通り「ウマが合わない」ってのは、こういうことなのだろうと思うですよ。

 彼にとっても、私は、天敵とまでは言わないけれど(だって圧倒的に彼の方がいろんな意味で力があるから)目障りで、ついイライラッとさせられる存在なのだろうなと。
 
 そういう「歓迎されない存在である」というメッセージを私がバカ正直にダイレクトに受け取ってしまうものだから、こうして何日もイヤな気分を引きずってしまうんだよね~。

 別にその人が悪いわけじゃない。
 もちろん私が悪いわけでもない。

 いっさい私情を持ち込まず、心を寄せず、ビジネスライクな関係に徹するのがあの人のお好みなのだから、その意向に沿うようふるまえばよいだけなんだが。相手にとって私は「手前勝手にすり寄ってきて勝手に傷ついて、ウゼェ奴」なんだろうな、と思うですよ。

 でも私は、私以外の人のようにはふるまうことができない。その人に合わせてふるまいを変えようと努力はしている、けれど、その人の満足する度合いに至らないのは、自分ではいかんともし難い。第一、毎日会わなければならない相手じゃないし。

 あとはこの「位置関係」のフィーリングを、次に会うときまで忘れないようにしとく以外ないかな、と思う。あるいは、極力、同席しないように逃げ回るか。
 ・・マッタク、すみませんねぇ、ホント、人間関係に関して、物覚えが悪くて不器用な私で