六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

映画「男たちの大和」

2005年12月26日 | 映画
 映画「男たちの大和」を観ました。

 これから観る予定の方や、長くクドクドしい感想を知りたくない方は、どうぞ読まないで下さいね~。


   
   
   


 さて。

 私は映画を観る時、前評判も含め、なるべく情報を入れたくないタイプです。
 でもこの映画に関しては正直、「事前情報を入れておいて良かったぁ」と思いました。
 情報元は、ダーリンがあらかじめチェックしていたネットやメルマガ類。それらから推して、あまり期待せずに行ったので、まぁまぁ不快にならずに映画館を出てくることはできました。
 しかし、まだエンドロールが出ない前から「私だったらあの場面はこう撮るなぁ、あのエピソードは削ってこっちを膨らまして・・」とアレコレ考えちゃう映画って・・ ある意味、インパクトのある作品・・だったのかな? 全く取るに足らない作品だったら、脱力感と金返せ的腹立ちしか残らないものね。
 「私(←注:どシロウト)に脚本か監督させたら、もちっとはマシな作品に出来る!(←注2:原作読んだことないけど)」って感想を抱かせる、ツッコミどころ満載の《惜しいっ!》映画でした。
 
 まずは誉めておきましょう。
 見所は、やっぱクライマックスの戦闘シーン。体験記などを読んで想像したとおりの光景。実際の大和でも、きっとこうだったんだろうなぁと胸が痛みます。日本映画ではあまりないかな?と思う、欧米の戦争物みたいな迫力ある映像でした。
 よって私にはだいぶキツかったです~。スプラッタ苦手の方は、薄目で観ることおススメ。

 さて、批判ですが。
 事前情報では「相変わらずの自虐史観」みたいな評でしたが。私には、もっと始末におえない、『「戦争=天災」史観』とでも名付けたいような、敵不在・主体性皆無の設定に思えました。

 命をかけているのに・・故郷が焼かれ大切な人が次々に死んでいくのに、どの登場人物からも《敵への憎しみ》と《郷土愛》はリアリティをもって語られない。登場人物たちは、ただただ「近親者」か「自分」の「死」への嫌悪感・忌避感と、「身近な権力者(年長者)の愚かさ」への反感、そして自らの在り方への迷いをリフレインするばかり。
 《戦争とは、死とは、小さな自分がわけもわからず、避けようもなく巻き込まれてしまう悲劇》って捉え方。
 この映画の受け入れにくさは、その一点に集約されると思う。

 当時、大衆レベルまで浸透していた「鬼畜米英」という感覚・・白人の残虐性への恐怖感と植民地支配への危機感。それと「一億火の玉」的な、戦争への主体的コミットメント。それに対する肯定・否定の意思表明を、この映画は避けているみたいだ。自虐史観ならそれを「戦争遂行のための煽り」と扱ってもいいけど(良くないけど )とにかく現実に存在したその背景を充分に盛りこまないのでは、なぜ男たちが、何のために大和で特攻出撃したのか、そもそも分かんないじゃん。

 たしかに、現実にはそういう半端な思いのまま流されて死に向きあうしかなかった男たちも多かったろう。でも、当時のひとりひとりの中には、本当に、自分という個人の生と死しかなかったか? 生と死は「自分と家族・友人・近親者のみのイベント」だったか?そういう捉え方って「当時の社会に生きていた」男たちを、あまりに過小評価してないか?
 こういう描き方では、大和はとても浮かばれまい(実際、沈んでるけど

 終戦時をハッキリ覚えているくらいの年齢で、しかもせいぜい十代の前半くらいだった、いわゆる黒塗り世代。彼らは主体的に社会と関われない年頃に戦時下の暗さを肌で呼吸し、敗戦という価値観の大転換を体験した。その無力感とトラウマ、価値の世代断絶の彷徨が作らせた映画なのかもしれない。

 根底にこういう《戦争観》を抱いていたら、どこぞの国の「特定の戦争指導者だけが悪くて、無垢な皆さん大衆には罪は無かったんですよー、だからA級戦犯合祀の靖国に首相が参拝するのはとんでもないことですよー、自国の指導者たちを疑い、私たちを信じて受け入れなさーい」的な言説にまんまと乗って、友好至上・内政干渉許容主義になってしまうかもなぁ。
 ・・と思ったら、スポンサーは朝日新聞社なんですってね。あらまぁ。

 誤解をおそれずに言えば。こういう《戦争観》は平和絶対主義と死のタブー視につながり、社会からの乖離と主体性の放棄から生きる気力そのものまで萎えさせてしまうのではないかしら。ヒトの本能に組み込まれた、社会性動物ゆえの喜び中枢は刺激されないまま、ぼんやりと漂う個としての孤立のなかで溺死するような絶望感。いま、男の子のひきこもりやニートが多い背景には、こういう黒塗り世代のトラウマが影を落としている気がしてならない。

 だから、ラスト近くの仲代達矢のキメ台詞 「あんたのおかげで、わかった」 が何を指して、何をどう理解したのか、アタマ悪い私には全く分かりませんでした・・
 たぶん、ものすごく個人的な理解なんだろうけど、それに共鳴し感動するには、仲代演じる主人公の主観(特に終戦後の)が描かれなさすぎ。そしてそれは「大和」というタイトルからはだいぶ離れた内容だろうから、この映画、要は「盛り込みすぎ」ってことですかね。

 ダーリンは「鈴木京香がかわいそう」ってしきりに言っていた。ホントそのとおりで、彼女のシーンは無駄が多く、彼女の良さや演技力も全く生かされていないし、この映画のマズさを象徴するような台詞と場面のオンパレード。暗い顔で、他に誰も乗っていない観光バス(ロケバス??)で移動した次のカットで、なぜかタクシーで漁協に乗りつける。緯度と経度で乗船交渉する見慣れない美女がいたら、海の男たちの中にはふつう「まずはワケを聞かせろや」ってやさしく言ってあげる親切な人がいるもんだよねぇ。投薬や心臓マッサージが上手な理由は「私、仕事は看護婦なんです」とかでも良かったと思われ・・等など。

 各シーンも細切れで、感情がうまくつながらない。
 一番涙を誘われたのが、高畑敦子の「ぼたもち」の場面。長男の遺品をそそくさと懐に押し込み、気丈に笑顔をつくろって、次男にぼたもちを食べさせようとする。これでもう母の哀しみは充分だぁ、もうヤメテ~涙ボロボロ~ ・・なのに、次に戸外で抱き合って泣く場面を付け加えるから、涙が引っ込んでしまった。
 甲板での「死二方 用意」の場面も良かったのに、その後に船室内での殴りあいと長島一茂の意味づけ台詞の場面を挿入するって、感情の時系列的にヘンじゃないか?(あの意味づけ内容で全員が納得できるのか?は別としても)
 また、最後の厨房で、あんなにいっぱい《にぎりめし》が並んで、配置についた男たちが食べるシーンもあるのに、すごくさらっと流してて。「ここで泣きたいのになぁ・・」と残念に思っちゃった(笑) だってアータ、私が「千と千尋の神隠し」でも「壬生義士伝」でも、一番泣いた小道具は《白いにぎりめし》ですよ! 日本人の泣きのポイントとして、これはハズせないでしょう!って思うのに。あー勿体無い。

 主要な男優については・・感想はパス。で、だいたい察して下さーい。

 以上です。ここまで読んでくださった方、お付き合いありがとうございました

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2 コメント

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へぇ~ (たかの)
2005-12-26 22:22:51
朝日新聞がスポンサードしているんですかぁ…意外だなぁ…それが何だか気に入らないのは 『バランス』 を謳いつつも自分は右よりってコトかな?



愛する家族を云々だけの戦争映画には昔から違和感を覚えます。近く観るつもりでいるケド、何だかこれもそんな感じだなぁ~。私も同じような感想を抱きそうデス。
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感想楽しみにしてます (風野)
2005-12-28 08:33:36
「左から見れば中央も右より」って言葉、ありませんでしたっけ?



観たらぜひご感想をアップして下さいねー。

いろんな感想、いろんな観かたを知るのも、映画観賞の楽しみのひとつです。



TBして頂いたひとつ、「帝国見聞録」さまは読み応えありました。なぜコッチで文字化けしているかはナゾです・・
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