六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

映画「眉山」

2007年05月22日 | 映画
 映画館で映画を一定回数を観ると、貯まったポイントで1本無料で観ることができる。
 どれを観ようか迷ったけれど、これにした。さだまさし原作の映画「眉山」

 この映画、原作がまっさんなだけで、作品中にさだまさしカラーは感じられません。挿入歌とかも無いしね。
 そのことは、別に良いとも悪いとも思わなかった。

 でも、泣き系の映画と期待して行ったわりには、いっぺんもジーンときませんでした、ゴメン!
 クライマックスのシーンで泣いてた女性陣はけっこう居たんだけど。彼女たちは、宮本信子演じる母に感情移入してたのか、松嶋奈々子演じる娘に感情移入してウルウルしてたのか、どっちなんじゃろー??と、そっちの方が気になった(笑)

 まっさんの作品なのにこの淡白な感覚はナンじゃろーと自分でも不思議になったので、後日、本屋で原作を手にとってみた。すると、登場人物(主に娘)に感情移入できるじゃございませんか。

 ・・とすると、監督か脚本がモンダイなのだね。

 でも犬堂一心って、「黄泉がえり」とか「いぬのえいが」を撮った監督だよね~・・
 あれらは、良かったけどなぁ。
 じゃあ、悪いのは脚本か?
 でも、それら含めて、監督の責任だからね~・・。うぅーむ・・。

 宮本信子演じる母、カッコイイ。こういうオンナになりたいと思わせられます。しかもその生き方や姿勢を周囲から十二分に理解され、受容されて幸せそう。
 なので、その母に一人反発する松嶋奈々子演じる娘が、ただ単に幼いだけに見えてしまう。娘の孤独や辛さを充分に描ききれてないために、観る側は「娘~、早くオトナになりなよー。相手は先が短いんだし。アンタ素質はあるんだから、母を見習ってカッコイイ女になって和解しなよ~」って気になっちゃう。

 そう思って表情を凝視するためか、この映画ではやたら松嶋奈々子の顔の造作が気になった。彼女の美しさとか全体の雰囲気を引き立てるとかじゃなく、顔のパーツがいちいち気になるだよ・・犬堂監督は松嶋奈々子の大ファン(マニア)か、それとも逆に松嶋奈々子がキライなのか?と思うくらい、気になる構図のアップが多くて・・それも、感情移入しづらかった原因のひとつ。

 そして、阿波踊りを観に行ったことのある人なら、あの踊り込みだの総踊りだのの場面で、あの展開は・・ああいう再会の仕方はハッキリ言って無理!絶対ありえね~!と思いません?
 阿波踊りをナメてる。同行者だってはぐれてもってかれちゃうような混雑と騒音と熱気の中で、あれは無いだろーと思う。阿波踊りってもっともっと圧倒的なのに、その魅力まで削いでしまった。

 むしろ、父にはどっかの連で踊って出てきて欲しかったなー。その方が感動的だったろうに。
 ・・でももし父が連に入って踊るような性格の人物だったなら、そもそもああいう生き方とか、母娘をこういう事態に置き去りにしたりはしないやね。

 この映画から表向き伝えられるメッセージは「仕事は女の舞台」「女は愛を胸に抱いていれば、ひとりでも凛々しく生きられる」
 ・・でもその割には、たとえば病床の母を嫌な顔ひとつせずかいがいしく看護する専業主婦らしい叔母(円城寺あや)が素晴らしいし、ラストは、母の病のおかげで出会えた結婚相手(大沢たかお)と幸せそうに去っていく二人・・

 ・・?? どっちも女の幸せ、女の生き様には違いないが・・何かダブルメッセージっぽくて、この映画ではどっちを言いたかったんさ? とツッコミたくなりました。
 どの生き方を選んでも、結局女は愛にあふれててみ~んな幸せ、めでたしめでたし・・って映画だったのでしょーか??


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