六畳の神殿

私の神さまは様々な姿をしています。他者の善意、自分の良心、自然、文化、季節、社会・・それらへの祈りの記。

辛いことがあった時

2008年01月28日 | 日々のこと
 最後に意味を持つのは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。(星野道夫)

 過去はもう取り戻せないと、後悔が怒涛のように押し寄せる夕暮れ。
 でもそれは違うと思い直す。「未来で過去は変えられる」と言ったのは誰だったっけ。「今この時からの自分の努力で作っていく未来からふり返った時、どんな陰惨な過去でも、光へつながる助走の一本道と分かる、そんな日がきっと来るから、今から変わろう。変えられるのは自分の心だけだ」そんな内容だったと思う。

 辛いことがあって、その辛さを分かってくれる人がいて、黙ってそばに立って、手をぎゅっと握ってくれる。

 過去の時間の中の私は、辛い時にこんなふうになぐさめてくれる人がやがて私の人生に存在するようになるなんて、およそ想像できなかった。そういう人がマジおったらエエなぁ・・と夢想はしてたけれど、まさか本当にそんな人と巡り会えるなんて全く信じてなかった。

 いろいろ辛いことがある。でも、こうやってなぐさめてもらえるだけ、過去の私より今の私は格段に幸せ。

 そんな「ありえねー」と思っていた未来が現に今きているのだから、何年後かの未来から見た過去である今の私のこの辛さが「幸せな光のその日」の助走でないとは限らないじゃないかと、毎日こつこつ、頑張ろうと思いかえす冬の日。

 伸たまき(現:獣木野生)のパームシリーズの6に出てくるフレーズが、辛い時の私の呪文です。
 暗闇に立ち止まりうずくまる君 この声が届くものなら教えてあげたい その日はほんのひとつ扉のむこう・・
 著作権にひっかかるかもしれないから、この先のフレーズは内緒。ぜひ古本屋ででも手に入れて読んで下さい(・・って、パームはコアなファンが多いから古本は出ないかもね~。HP見ると直接購入の方法もありそう?)。 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
うーむ (haru)
2008-02-03 03:39:25
自分の子ができてはじめて「家族ができました!」っていう友人(♂)がいます。

だけど、一緒にくらして、ずっとあなたをみてきたひとは懐胎や婚姻届云々より、ずっとあなたの家族だったんじゃないの?と思ったわけです。

私も「喪ったものは取り戻せる」かもという希望(←あくまで希望)を、血の繋がらない家族を得て思います。

古くからの友達付き合い悪くなるのは難点ですが(笑)
返信する
ううーむ (風野)
2008-02-03 11:35:20
何か表現難しいね。

喪ったもの(心や時間やいのちも含めて)は取り戻せないと私は思っています。未来は過去の代償にもならないと思う。

そうではなくて「取り戻せるかどうか」という前に、「喪う」という事は裏をかえせば「(自覚しないまま、あるいは自分の意図には沿わないかたちで)得ていていたのだ」とも言えるし、今この時間を得るために過去の喪失があったのだ(・・手を離したからこそ、次のものを掴む手が空いていた)とも言える。

苦悩の時はそれだけで視界がふさがれて、もう次の扉を開けても同じ風景だろうとつい思ってしまうけれど、そんなことはない。
それを実際に体験しているのだから、今の辛さ苦しさもじっくり味わって覚えておこうじゃないのと開き直って腹をくくっているわけです。
今の自分の辛さだって、見方を変えれば「辛い辛い」と言える余裕があって幸せじゃんねぇ・・と自らにツッコミ入れられる。

そういうのを、リアルタイムともに経験して同じ時間の流れを泳ぎきっていくのが「家族」であって。血のつながりとか届出の有無とかはあんまカンケー無いと思うね、私も。

逆に、血がつながっていても、同居していても、遠い未来を希望的観測ばかりをしているとか、過去の繰り言に終始するとかで、辛さをリアルタイム「我が身のことのように」共有してくれない人は、家族とは言えない。たとえ役所にはそう届けてあっても。

ご友人(♂)はきっと、わが子ができたことでようやく伴侶とリアルタイム心配や悩みを共有できる事柄ができたって意味かもしれませんよ~。それまではどっちかが一方的に盛り上がるだけで、すれちがってたのが、子どもが産まれてようやく・・って意味かも!
それなら、ほほえましくないスか?
返信する

コメントを投稿