風になりたい

自作の小説とエッセイをアップしています。テーマは「個人」としてどう生きるか。純文学風の作品が好みです。

『ベトナムの風 父の風』 第五話 『正義が消えた後に愛だけが残る』

2015年08月12日 07時15分15秒 | 純文学小説『ベトナムの風 父の風』

 正義が消えた後に愛だけが残る


「そのトンネルはクチトンネルっていう名前で呼ばれていて、サイゴンから四十キロくらい行ったジャングルのなかにあったわ。そこがベトコンの秘密地下要塞基地になっていたのよ。クチというのは地名なんだけど、そこからほうぼうへつながって、すべてのトンネルをあわせた全長は二百キロにのぼったそうよ。ツヨシがどういう伝(つて)を頼ったのかは知らないけど、取材許可がおりてふたりで行くことになったの。
 アメリカ軍が必死になってそのトンネルの入口を探していたけど、草と枯葉でカモフラージュしたごく普通の地面に入口があったりして、簡単には見つからないようにしてあった。ジャングルのあちこちに落とし穴を仕掛けて、アメリカ兵がその穴に落ちたら最後、鉄の棒で串刺しになってしまうし、ベトコンがアメリカ軍を偽のトンネルに誘いこんで行き止まりのトンネルに閉じこめたりしたこともあったのよ。アメリカ軍がやっとのことでほんとうの入口を見つけて攻撃をしかけても、トンネルのほんの一部を壊すのがせいいっぱいで陥落させることができずにいたわ。
 サイゴン郊外の農村でベトコンの連絡員と待ち合わせて、ぼろぼろのトラックに乗った。トラックの荷台で目隠しをされて、でこぼこ道をずいぶん走って、着いたあとそのままトラックをおりて歩いて、目隠しを取られたときにはもうトンネルのなかにいたわ。
 トンネルはとても狭かった。高さは一メートルもなかったわ。もちろん、立って歩くことなんてできなくて、しゃがんで足をずらせながら進むのよ。不便だけど、アメリカの兵士が入ってきたとき自由に動けないようにわざとそうつくってあるの。ベトナム人は背が低くて小回りがきくけど、アメリカ人は背が高くてそうもいかないから。ただ手で掘っただけの素朴なトンネルでひんやりとして心地良かった。天然のクーラーのなかにいるようなものよ。あちこちにわかれ道があって、遠くから兵士の足音や物音が響いていた。ときどき、荷物を担いだ兵士とすれ違った。
 わたしはなんだか蟻になったような気分で面白くってわくわくしちゃった。ツヨシも楽しんでいたみたい。『子供のときからいちどこんなところへきてみたかったんだ』ってうれしそうにしていたわ。薄暗くて、謎めいていて、しかもそこでおおぜいの人がうごめいているのがいいのよね。
 武器や爆弾をたくわえている部屋だとか兵士の寝ぐらだとかいろんな部屋を通った。いい匂いがするからなんだろうって思ったら食堂だった。フォー(米粉の麺)をゆでたり、水牛のもつ煮込みを作ったりしていたわ。煙なんかを表へ出したら場所を知られてしまうけど、煙を分散させるしかけをつくって目立たないようにしてたの。
 小一時間くらいトンネルのなかをのぼったりおりたり、わかれ道で曲がったりして、とうとう作戦室へ着いたわ。そこでベトコンの将軍に単独インタビューすることになっていたの。こんなのはスクープ中のスクープよ。だって、全世界が注目している戦争の秘密要塞の司令官が取材に応じるんだもの。秘密のベールをわたしたちがはぐことになるのよ。作戦室へ入ったとたん、ツヨシはものすごく緊張した。わたしはお気楽な気持ちでツヨシについていったんだけど、ツヨシがあんまり体をこわばらせるから、わたしも緊張しちゃった。作戦室といってもゲリラのそれだからそんなに大きくなかった。ちょっとした応接間くらいの広さに地図と黒板があって、会議用の大きなテーブルが置いてあるだけだった。わたしたちは木の椅子に坐って将軍を待ったわ。となりの部屋でモールス信号を打つ音がかたかた鳴っていた。
 将軍が入ってきたわ。将軍って映画に出てくる俳優みたいな格好良くてとても立派な感じの人を想像していたんだけど、全然ちがった。体つきは筋肉隆々でがっちりしているんだけど背が低くて首がすっごく短くて、不機嫌そうに顔をくしゃっとつぶしているのよ。それでいて眼光だけが異様に強いの。なんだか海賊船の船長みたいだったわ。
 将軍はお義理でインタビューに答えるのだからさっさと切り上げたいって感じでつまらなさそうな顔をしたわ。でも、話し出したらとまらなかった。そんな顔をしたのはたぶん、わたしたちを警戒していたからでしょうね。そういう人ってわりといるのよ。取材を受けるのに慣れていないと身構えちゃうのよね。将軍は言いたいことを率直に話すストレートな性格だった。怖い顔を崩そうとはしなかったけどわりとざっくばらんに話してくれたわ。
『好きでこんな穴倉に立て籠もっているわけじゃない。こんなトンネルに何年もいるやつは変態だ』なんていうからびっくりしちゃった。わたしは、将軍っててっきり戦争が大好きでゲリラ戦が好きですきでたまらないような人なんだろうって思っていたのだけど、そうじゃないのね。彼はベトナムを素晴らしい国にしたいって、そんな想いで戦争をしていたのよ。そのためには、アメリカなんてさっさと早く追い出さなくっちゃいけないし、国づくりには社会主義が必要だって将軍はいうの。
 都会へ出て金持ちになるなんてほんの一握りだけの人間だ。資本家が搾取するから人々は働けばはたらくほど貧しくなってしまう。おまけに、資本主義は人間を生ける屍にして、心まで貧しくしてしまう。お金の奪い合いをするがために人々の連帯は断ち切られ、人は嫉妬と猜疑に満ちた目でしか他人を見なくなる。そんな世の中がいいとは思わない。だけど、今のままでは貧しさから抜け出すことはできない。暮らしを豊かにするためには、ベトナムの農村共同体を基本にして、お互いが助け合う社会を築く必要がある。そのためには社会主義がいちばんいいんだ。三百年も経てばお金なんていらない世の中になる。店には物があふれて、人々は必要なものを必要なだけ店から受け取るだけでいい。いまは夢物語にしか思えないかもしれないがきっと実現できる――。そんなことを将軍は力説したわ。
 戦争のことも聞いたわよ。将軍はアメリカ軍の装備がいくらよくても怖くない、むしろ怖がっているのはアメリカ軍のほうだ。解放戦線の兵士は厳しい戦いをよく戦い抜いている、装備は貧弱だが我々の精神がアメリカ軍を打ち負かすだろうって自信満々に言い切ったわ。わたしの村なんて誰も守ってくれなかったし、あっというまに焼き払われちゃったからほんとうかなって思ったけど、結局、最後は将軍のいうとおりになったわね。もちろん、精神が強かっただけじゃなくて、ソ連や中国が北ベトナムと解放戦線を応援してくれたから勝ったわけだけど、ベトナムを食い物にする嫌な外国に出て行ってもらいたいって思えばできなくはないのよ。
 一時間ばかりのインタビューが終わって写真撮影に入ったんだけど、将軍は海賊の親分みたいな目をしょぼしょぼさせて写真を嫌がるのよ。子供の頃から写真が苦手でフラッシュが大嫌いなんだって。それでツヨシは将軍の気持ちをほぐそうといろいろ話かけたわ。ツヨシにしても、将軍の魅力を引き出さないことにはいい写真がとれないものね。べつに下手なおべっかを使うわけじゃないんだけど、こうしたほうがあなたは強く見えるとか、チャーミングだとか、そんなことを言いながらいろんなポーズや表情を作ってもらっているうちに、将軍の表情が変わってきたの。石みたいな顔をしていたのが、人間味あふれるものになってきたのよ。心の鎧が取れて、彼の素顔やいいところが出てきたのね。ふだんはしかめっつらでずっと作戦の指揮を執っているはずなのに、こんな少年みたいな顔も見せるんだって思った。フラッシュもまったく気にならなくなったみたいだし。それもカメラマンの腕なのよ。ツヨシには独特の人なつっこさがあって、被写体になっている人の警戒心をといてしまうの。勘も鋭かったわ。その人がほめてほしいと思っているところを見抜いてそれとなくほめてあげるのがとても上手だった。天性のものね。
 インタビューが終わって帰ろうとしたら将軍がお茶でも飲んでいけって引き止めるの。それから作戦室のテーブルで茶飲み話がはじまったわ。どうもすっかりリラックスしてしまって、くつろぎたい気分になったようなのよ。将軍はすごく楽しそうだった。話といっても堅苦しい話題はいっさいなしで、村の川で遊んだこととか、肝試しをしたこととか、少年時代の話ばっかり。ベトナムの自然はとても豊かで美しいんだって、そんなことをツヨシに自慢してたわ。それから晩御飯もご馳走になって、お酒をすこし飲んで、ようやく帰してもらえることになったんだけど、でももう外は真っ暗だからトンネル基地のなかに泊めてもらうことにしたわ。
 将軍の従兵が暗いトンネルを通って小部屋まで案内してくれた。気のせいかもしれないけど、夜のほうが兵士の行き来が多くて活気があるみたい。病室のそばを通ったとき、突然、「おかあさん」っていう叫び声が響くものだから、わたしはびっくりして立ち止まった。ベッドのうえに少年兵が横たわっていた。おとなしくてひどく生真面目そうな顔立ちの男の子だったわ。彼は首だけ横に向けてわたしを見つめると、やさしそうにほほえむの。たぶん、わたしをおかあさんと間違えたのね。彼の手足が暴れて、顔ががたがた震えて、急に静かになったわ。こと切れたのよ。それまで楽しい気分だったんだけど、わたしはしんみりしてしまった。
 寝室はただ穴を掘っただけの小さな部屋だった。なかにあるのはろうそくとろうそく受けのお皿だけ。わたしたちは地面に毛布を敷いて、もう一枚の毛布にくるまったのだけど、わたしは寝つけなかった。どうしてこんなトンネルを掘ってアメリカと戦わなくっちゃいけないのか、どうしてわたしの家族は死んじゃったのか、こんなところで手作りの手榴弾をつくってなんになるのか、あの少年兵はどうして薄暗い病室で死ななくっちゃいけなかったのか――こころのなかは疑問だらけだった。
『三百年もしたらお金がいらなくなるって将軍はいっていたけど、ほんとうなの?』
 わたしはツヨシに話しかけた。ほんとうに訊きたいのはそのことじゃなかったのだけど、いろんな考えが頭のなかにうずまきすぎていて、そんな言葉がふいに口から飛び出ちゃったのよ。
『どうだろう』
 ツヨシはぼんやり答えた。
『社会主義の国はどこもそんなふうに言うんだけどね。ソ連も中国も東ドイツもベトナムも。ただひとつ言えるのは、お金をなくさないことには人間も社会も変わらないだろうってことさ。お金にいいように使われてというか、お金に支配されて生きるしかないのが、いまの人類の限界なんだろうね』
『お金をなくすっていうことが将軍の正義なの?』
『それはいろんな正義のうちのひとつだね』
『将軍は正義のために戦うんだっていっていたけど、正義ってなに?』
『正義とは巨大な悪のことだよ』ツヨシはすこし考えてから答えた。『ベトコンもアメリカも正義のために戦うんだって言っているよね。だとすると、正義は二種類あるってことになる。もちろん、ベトコンとアメリカの正義だけではなくて、ほかにもいろんな正義があるだろうね。でも、正義って言いながらやっていることはなんだろう? 戦争だよね。人殺しだよね。リリィのお父さんもお母さんも兄弟も、あの少年兵も正義のために死んでしまった。正義のために人殺しが正当化されてしまうのは、どう考えてもおかしくないか。つまり、正義は大きな悪なんだよ。悪いことなんだよ』
『それじゃ、どうしてみんなそんな悪いことを続けるの?』
 わたしは続けて訊いたわ。
『人間はまだ自分のすばらしさによく気づいていないんだ。だから、正義をいいものだと錯覚して、それをふりかざして殺し合いを続けてしまうんだよ』
『将軍はこの戦争が終われば平和がくるっていってたわ』
『戦争はいつか終わって平和がくる。雨が降りやんで太陽が顔をのぞかせるようにね。どちらが勝つにしても、しばらくは平和になるだろう。ただ、平和がずっと続いてくれればいいけど、そのうちまた戦争することになる。ほんとうの意味で自分のすばらしさに気づくまではまだまだ過ちを繰り返すことになるだろうね』
『どうして人間は自分のすばらしさに気づけないのかしら』
『なんでだろう。人間は業が深いからかな。それでも人間はすばらしいものなんだよ。あの将軍だって戦争なんかやっているから怖い顔をしているし、彼は何百何千人という人を殺してきただろうけど、素顔はいい人だと思うよ。今日だっていい顔をしていただろ。戦争がなければ、多少気むずかしくて頑固かもしれないけど、ごく普通のいいおじさんとして一生を送っていたと思うよ』
『わたしもそんな気がするわ。――人間がほんとうに自分のすばらしさに気づけば、正義なんてものはなくなって、戦争もなくなるのね』
『正義が消え去ったあとには、愛だけが残るんだ。今は想像もつかないかもしれないけど、いつかきっとそんな世界になるさ。――さあ、もう寝なさい。明日は朝が早いから』
 ツヨシはわたしの毛布をかけなおして、わたしを寝かしつけてくれた。みんなが正しいって言っていることって嘘が多いんだなって、ツヨシに教えられてようやくわかったの。家族を殺されてひとりぼっちになってしまった悲しみは消えないけど、そのかわりわたしはツヨシと出逢っていろんなことを教えてもらったわ。人生は悪いことばかりじゃないのよね。ツヨシとの出会いと思い出はわたしの宝物よ」
 リリィは空を見上げる。
「父さんはいろんなことを考えていたんだね」
 僕はうれしくなった。
「そうね。自分の頭で理解して、自分の言葉で物事を考えるのが好きだったわ。新聞や雑誌や本もよく読んでいたし、賢そうな人を見つけてはいろいろと話し合うのが大好きだった」
「僕も父さんみたいになりたいな」
「なれるわよ。ツヨシの息子なんだもの」
 リリィはうすくにじんだ目の縁をそっと拭いながら僕を見つめた。



(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ツイッター