同志社女子大が高校生を対象にした短歌コンクール「SEITO百人一首」の入選作100首を発表した。今まで知らなかったが今年で4回目だとか、応募総数は約2万5000首もあり、意外と高校生にも風流な感覚があることにちょっと驚いた。
しかし、やはり今時の子は現代っ子そのもの、今流行のデジタル携帯プレーヤー「iPod」や「ブログ」を盛り込んだ歌も登場し、携帯電話やインターネットに関する作品が多かったという。
「ブログとは紙も硯も使わない平成の世の枕草子」「悩みごと打ち明けられるはネット上相談乗る君名も知らぬ人」などは、言いえて妙である。
私の知る百人一首は、それこそ古きいえにしえの短歌を知らなければ、その遊びに参加することも出来ないものであり、せいぜい「いろはカルタ」が頭脳相応である。昔は正月になると、家族で「いろはカルタ」をやったものだ。「犬も歩けば棒にあたる」など、誰が考えたのか、今思えばなるほどと納得するものばかりである。
その他、「福笑い」、「双六」、「たこ揚げ」、「羽根つき」など、色々な遊びがあったが、今では小さな子どもまでもがパソコンやゲームにかじりつき、家族でする遊びというものがなくなった。それが今の無味乾燥な子どもや、すぐキレる子どもに育つのではないかと思う。一人遊びでは感情や情緒は味わえない。少なくとも幼児期には感受性を豊かに育てる環境が大事ではないかと思う。
そういう意味で、今時の感覚であろうが現代的であろうが、歌を詠むことで感情豊かな青少年に成長するよう、長く続くことを期待したい。
しかし、やはり今時の子は現代っ子そのもの、今流行のデジタル携帯プレーヤー「iPod」や「ブログ」を盛り込んだ歌も登場し、携帯電話やインターネットに関する作品が多かったという。
「ブログとは紙も硯も使わない平成の世の枕草子」「悩みごと打ち明けられるはネット上相談乗る君名も知らぬ人」などは、言いえて妙である。
私の知る百人一首は、それこそ古きいえにしえの短歌を知らなければ、その遊びに参加することも出来ないものであり、せいぜい「いろはカルタ」が頭脳相応である。昔は正月になると、家族で「いろはカルタ」をやったものだ。「犬も歩けば棒にあたる」など、誰が考えたのか、今思えばなるほどと納得するものばかりである。
その他、「福笑い」、「双六」、「たこ揚げ」、「羽根つき」など、色々な遊びがあったが、今では小さな子どもまでもがパソコンやゲームにかじりつき、家族でする遊びというものがなくなった。それが今の無味乾燥な子どもや、すぐキレる子どもに育つのではないかと思う。一人遊びでは感情や情緒は味わえない。少なくとも幼児期には感受性を豊かに育てる環境が大事ではないかと思う。
そういう意味で、今時の感覚であろうが現代的であろうが、歌を詠むことで感情豊かな青少年に成長するよう、長く続くことを期待したい。
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