また明日は雨だとか、今日は洗濯日和だね!
今でも新聞記事を読むと腹立たしくなる。2019年4月に11人の死傷者を出した「池袋暴走事故」である。詳細は記事を読んでいただきたい。
その第7回公判が4月27日、東京地裁で開かれた。過失運転致死傷罪が問われている“上級国民”こと飯塚幸三被告(89)は、いつものように黒のスーツ、黒のネクタイ、白いYシャツの姿に、べっ甲色の眼鏡をかけ、車イスに乗って出廷したという。
2年前、現場検証に現れた加害者をニュースで見て、普通に歩くこともままならないヨボヨボの老人だったことに驚いた。こんな状態で運転するなんて無謀としか思えない。
昨今は足が不自由でも運転できるよう改造された車があるのに、なぜそういう車に乗らなかったのか。常識で考えてもわかることだ。歩くこともままならない足で、普通仕様の車の運転操作が支障なくできるとは思えない。
彼は車を使用する理由について「電車やバスは乗り換えなければいけないので、時間がかかる。タクシーは時間がかかって使い勝手が悪い」と答えたそうだ。そういう利己的な理由で運転し続けていたとは、あまりに身勝手すぎる。
今回の裁判では、弁護士側は終始、被告のミスはなかったことを強調するような質問を繰り返し、被告は証言を続けた。一方、検察側は被告の記憶とドライブレコーダーの映像には、5つの相違点があったと指摘したという。
①【被告】最初に車線変更をしたのは、東池袋交差点のカーブを曲がりきってから
【ドラレコ】曲がっている最中に車線変更をしている
②【被告】そのとき、車の前を走行していたのは、自転車
【ドラレコ】走行していたのはバイク
③【被告】ひとつ目の交差点で何かに接触
【ドラレコ】子どもと接触
④【被告】ふたつ目の交差点で見えたのは、赤信号と乳母車
【ドラレコ】赤信号と自転車
⑤【被告】車線変更は1回
【ドラレコ】3回
この5つを、検察側は鋭く追及した。しかし、一部は率直に認めたものの、「いまでも、そういう記憶しかありません」と、被告は頑なだったという。
また検察側の「運動能力、判断能力、認知能力は高齢になれば低下していくものだが、その認識はあるか」という問いに、「運動能力も認知機能も、少なくとも車の運転には問題ないと思っていました」と。
この期に及んでもまだ言い訳ばかり。だがどう言い訳しようが、自分が運転していて事故が起きたのは紛れもない事実である。今はまず人として、被害者の無念、遺族の悲しみや怒りに真剣に向き合って反省し、心から謝罪することではないだろうか。もう残り少ない人生、恨まれたままで逝きたくはなかろう。
記者会見に松永さんとともに同席した、妻の真菜さんの父親は「こういう人は、どんなことがあっても、反省はしないんだろうな。デタラメで……。本当に心から悔しい」と。被害者遺族ならずとも悔しい気持ちは十分にくみ取れる。
飯塚被告は圧倒的に不利な立場に立たされているという。だがもう高齢だし、改悛の情が顕著ならばあるいは罪責の軽減もあるやもしれない。そして家族が自分のせいで世間を狭くして生きている辛さを思いやれば、自分がどうすべきか分かるはずだ。犯した罪は償わねば…、私ならそう考える。被害者にも自分の家族にも恨まれたままあの世に逝きたくはないもの…。
記事の終わりは「2か月後に行われる被害者遺族の直接質問に、被告はどう答えていくのだろうか」とあった。
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