名優・森繁久彌さんが96歳の天寿を全うされた。息子さんの話によれば、医療器具につながれることもなく自然に眠るように逝かれたとか、尊厳ある大往生できっとご本人も大満足だったろう。少々足が不自由だったらしいが矍鑠として、子どもや孫、ひ孫たちに囲まれた幸せな毎日、そして長く寝付くこともなく、寿命がつきれば眠るように逝く。これこそ理想的な“死に方”だといえる。
森繁さんといえば、1960~1970年前半に大ヒットした社長シリーズ、駅前シリーズを思い出す。1964年の東京オリンピックを機に日本は高度成長期に入ったが、娯楽らしい娯楽といえばやはりまだ映画が主流で、人々は森繁さんや三木のり平さんの喜劇映画で大いに笑い、楽しみ、明日への糧としたのである。
1964年の『七人の孫』、1970年の『だいこんの花』、1986年の『おやじのヒゲ』などのファミリー番組は、毎週楽しみにして見たものである。森繁さんは、年を重ねるごとに人間的魅力が増していったように思う。おしゃれで、ちょっとエロっぽくて、白いあごひげのあの飄々とした姿で演じる老人役はすてきで、あの雰囲気を出せる役者は他にはいない。
11日、テレビ東京は午後9時から追悼番組として、急遽、『おじいさんの台所』を再放送した。このドラマは1997年9月に放送されたもので、森繁さんが84歳の時の作品である。原作は佐橋慶女(さはしけいじょ)、日本で初めての女性ばかりの会社を立ち上げた実業家で、これは83才~90才で亡くなるまでの実父の日記をもとに書かれた本だそうである。2007年に、登場人物の名前は全く違うが三国連太郎主演で連続ドラマ化されているが、やはりこのドラマの主人公は森繁久彌でなくてはならないのだ。何ともいえないほのぼのとした父と娘の交流は、森繁さん以外の役者ではとても表現しえないであろう。
いやあー、おもしろくて、ちょっと悲しくて、ほのぼのとさせられて……。頑固で、ユーモアがあって、それでいてちょっぴりペーソスの漂う、このステキな老人を演じられるのはやはり森繁さんしかいない。つくづくそう思わせるドラマだった。
『妻が亡くなり、独り暮らしを決意する真三。だが、会社勤めの経験もなく、家賃収入だけで暮してきたボンボンで、炊事洗濯まるでダメ。その晩から、3女雅美が父の自立のために特訓を開始する。米の研ぎ方から、風呂の沸かし方まで、生活の手順を事細かに書いた紙を壁一面に張り付けて指導した。ことある毎に、東京から名古屋へ出向いての雅美の特訓に、真三は「軍隊よりも厳しい。鬼軍曹だ」と愚痴をこぼす。真三と雅美は、些細なことで何度もけんかを繰り返した。けんかの度に、雅美はもう面倒は見ないと断言し、真三はもうおまえの世話にはならないと応える。そんなけんかを繰り返しながらも、近所の主婦・前川の手助けを得て、真三は徐々に生活の手順を覚えていく。やがて、父親と娘は衝突を重ねながら、心を通わせていく…』。最後に、「春になったらお花見に行こう」と、腕をからませながら歩く父と娘、今の世にはなかなか見られない光景である。
ドラマの中で、特に印象に残ったシーンが2ヶ所。
2人は言い争いになり、父親は仏壇に供えられたリンゴを娘に投げつける。娘も負けてはいない、そのリンゴを拾っては投げ返す。怒って東京へ帰ってしまった娘に、父から手紙が届く。「私はリンゴです。…投げつけられ転がって目が回りました。もう少しやさしくしてください。…」と、自分をリンゴにたとえた手紙を読む娘、だんだんと気持ちがほぐれて笑みが浮かんでくる。この娘雅美を演じるいしだあゆみと森繁さんは息がピッタリ、さすがである。
もう一つ、父親は、自分の死に対して“直角死”をしたいという。“直角死”とは、今でいうPPK(ピンピンコロリ)のことらしい。それも20日以上は寝ないで死にたいと願望している。なぜ20日かと娘が問えば、20日のうちに親しい人たちに別れを告げておさらばしたいのだという。誰もが望むこの“直角死”、どうやら森繁さんはこの願望を達成されたようである。
昨日、テレ朝の「徹子の部屋」で、森繁さんの全出演シーンを放送していたが、すてきに年を取ってこられているなあと、うらやましく思った。ご冥福をお祈りいたします。
森繁さんといえば、1960~1970年前半に大ヒットした社長シリーズ、駅前シリーズを思い出す。1964年の東京オリンピックを機に日本は高度成長期に入ったが、娯楽らしい娯楽といえばやはりまだ映画が主流で、人々は森繁さんや三木のり平さんの喜劇映画で大いに笑い、楽しみ、明日への糧としたのである。
1964年の『七人の孫』、1970年の『だいこんの花』、1986年の『おやじのヒゲ』などのファミリー番組は、毎週楽しみにして見たものである。森繁さんは、年を重ねるごとに人間的魅力が増していったように思う。おしゃれで、ちょっとエロっぽくて、白いあごひげのあの飄々とした姿で演じる老人役はすてきで、あの雰囲気を出せる役者は他にはいない。
11日、テレビ東京は午後9時から追悼番組として、急遽、『おじいさんの台所』を再放送した。このドラマは1997年9月に放送されたもので、森繁さんが84歳の時の作品である。原作は佐橋慶女(さはしけいじょ)、日本で初めての女性ばかりの会社を立ち上げた実業家で、これは83才~90才で亡くなるまでの実父の日記をもとに書かれた本だそうである。2007年に、登場人物の名前は全く違うが三国連太郎主演で連続ドラマ化されているが、やはりこのドラマの主人公は森繁久彌でなくてはならないのだ。何ともいえないほのぼのとした父と娘の交流は、森繁さん以外の役者ではとても表現しえないであろう。
いやあー、おもしろくて、ちょっと悲しくて、ほのぼのとさせられて……。頑固で、ユーモアがあって、それでいてちょっぴりペーソスの漂う、このステキな老人を演じられるのはやはり森繁さんしかいない。つくづくそう思わせるドラマだった。
『妻が亡くなり、独り暮らしを決意する真三。だが、会社勤めの経験もなく、家賃収入だけで暮してきたボンボンで、炊事洗濯まるでダメ。その晩から、3女雅美が父の自立のために特訓を開始する。米の研ぎ方から、風呂の沸かし方まで、生活の手順を事細かに書いた紙を壁一面に張り付けて指導した。ことある毎に、東京から名古屋へ出向いての雅美の特訓に、真三は「軍隊よりも厳しい。鬼軍曹だ」と愚痴をこぼす。真三と雅美は、些細なことで何度もけんかを繰り返した。けんかの度に、雅美はもう面倒は見ないと断言し、真三はもうおまえの世話にはならないと応える。そんなけんかを繰り返しながらも、近所の主婦・前川の手助けを得て、真三は徐々に生活の手順を覚えていく。やがて、父親と娘は衝突を重ねながら、心を通わせていく…』。最後に、「春になったらお花見に行こう」と、腕をからませながら歩く父と娘、今の世にはなかなか見られない光景である。
ドラマの中で、特に印象に残ったシーンが2ヶ所。
2人は言い争いになり、父親は仏壇に供えられたリンゴを娘に投げつける。娘も負けてはいない、そのリンゴを拾っては投げ返す。怒って東京へ帰ってしまった娘に、父から手紙が届く。「私はリンゴです。…投げつけられ転がって目が回りました。もう少しやさしくしてください。…」と、自分をリンゴにたとえた手紙を読む娘、だんだんと気持ちがほぐれて笑みが浮かんでくる。この娘雅美を演じるいしだあゆみと森繁さんは息がピッタリ、さすがである。
もう一つ、父親は、自分の死に対して“直角死”をしたいという。“直角死”とは、今でいうPPK(ピンピンコロリ)のことらしい。それも20日以上は寝ないで死にたいと願望している。なぜ20日かと娘が問えば、20日のうちに親しい人たちに別れを告げておさらばしたいのだという。誰もが望むこの“直角死”、どうやら森繁さんはこの願望を達成されたようである。
昨日、テレ朝の「徹子の部屋」で、森繁さんの全出演シーンを放送していたが、すてきに年を取ってこられているなあと、うらやましく思った。ご冥福をお祈りいたします。
どんな映画に出ても、演技、というより存在感が凄くて、いつも注目を浴びていたように記憶しています。
時代を画した歌「知床旅情」以来、森繁久彌の才能をまた見直したことを思い出します。
それにしても大勢の家族に囲まれてピンピンコロリとは、ほほ笑ましいし、羨ましいことです。
若いときはただの喜劇俳優としか思っていませんでしたが、おっしゃるように、「七人の孫」のようなおじいさん役をやらせると最高でしたね。演技ではない自然さがよかったです。
この年になると、どんな生き方ではなくどんな死に方をするかが大きな問題ですね。
私もピンピンコロリが願望です。
ぽっくり逝けることを祈願するお寺があるようですが、寝付くよりはと考えるのですね。
私の両親は健在ですが、同じことを言います。
でも、元気でできるだけ長生きして欲しいと子の立場で思います。
ピンピンコロリは誰もが願うことですね。
岡山県南には「嫁入らず観音」があり、舅姑たちはこぞって参拝するそうです。
人間は生まれる時と死ぬ時は、どうしても人のお世話になります。象のように死期を悟った時は群れを離れて独り森の奥深く入って行くそうです。そういう死に方ができればいいのですが、死期を悟るのは難しいですね。