約百六十年前に建築された旧山﨑家住宅母屋。
先日きのさんが見えた時に誘われた古文書仲間の見学会で掛川に出かけた。
江戸末期まで掛川藩の御用商人(御用達)だった山﨑家の住宅を見学。
明治11年、明治天皇が泊まられたそうだ。
その後その部屋は家人でさえ立ち入り禁止とされていたという。
名誉なのか迷惑なのか。
敷地建物は山﨑家より市が買い取ったそうだが、管理維持の費用がないためボランティアの草取りやガイドで何とか月1回の公開をしているそうだ。
掛川市は市文化財に指定しているとのことだが、素人目に見ても文化財として乏しい市の予算の中から金を掛ける優先順位はそれほど高くないように見えた。
土蔵の土壁は崩れ、後年の増築部分の屋根などは瓦もずれ雨漏りもありそうな様を呈してる。
庭のバラもこの陽気に誘われて大分開いてきた。
もう1週間ほどで満開になりそうだ。
モンタロウたちが来る頃には見頃になるだろう。
腰掛が完成した。
妻が文太郎の世話から帰ってきた。
一昨日保育園から帰されたが、その後元気になりご機嫌だったそうだ。
金曜の夜はまた八ヶ岳の家に向かった。
先日きのさんが見えた時に誘われた古文書仲間の見学会で掛川に出かけた。
江戸末期まで掛川藩の御用商人(御用達)だった山﨑家の住宅を見学。
明治11年、明治天皇が泊まられたそうだ。
その後その部屋は家人でさえ立ち入り禁止とされていたという。
名誉なのか迷惑なのか。
敷地建物は山﨑家より市が買い取ったそうだが、管理維持の費用がないためボランティアの草取りやガイドで何とか月1回の公開をしているそうだ。
掛川市は市文化財に指定しているとのことだが、素人目に見ても文化財として乏しい市の予算の中から金を掛ける優先順位はそれほど高くないように見えた。
土蔵の土壁は崩れ、後年の増築部分の屋根などは瓦もずれ雨漏りもありそうな様を呈してる。
庭のバラもこの陽気に誘われて大分開いてきた。
もう1週間ほどで満開になりそうだ。
モンタロウたちが来る頃には見頃になるだろう。
腰掛が完成した。
妻が文太郎の世話から帰ってきた。
一昨日保育園から帰されたが、その後元気になりご機嫌だったそうだ。
金曜の夜はまた八ヶ岳の家に向かった。