なんでしょ?
それぞれに「価値観」はある。絶対に・・・
なんか引っかかると言うか、腹落ちしないと言うか。。。
我が細かすぎるのか?
元々がもっと単純なモノなのか?
は正直わからない。
先日書いた「勝つ」の所の人たちは、
一体「どの」勝つを喋っているのだろうか?
会話の中で読み取れる、勝つと言う言葉の前と後ろの
内容からでしか判断は出来ないが、
理解できないわけではない。
が、ソレと我は相反する事は認識できる。
なぜなら我自身、始めた当初は
勝ちに狂った事もあるから・・・
最初に見たBチームの選手達は、勝てないながらも
愉しそうにゲームをして、1回勝ったくらいで
大はしゃぎするような連中だった。
一緒になって遊んでたな~
な次に、当時の制度から代表を任され、
勝つことの重要さってよりは、負けられない重圧
ってのが正直「邪魔」で・・・
団体自体が「強い」と見られてて、
1回負けると「どーしちゃったの?」と言われる始末。
なんなんだこの世界?って思った。笑
どなたも「勝って当たり前」と思われてた時代。
その裏には、今だから思うと「昔ながら」が多々
あって。。。
試合前のミーティングも
「いつものポジション」
となり。1.5~2Lvの選手は、練習試合しか
出れない。
それが「正義」となっていた時代。
まぁ傍から見てて、Bの子は育たないなと。。。
これがあっての
「帯同した選手は必ず使う定義」
が我の中に生まれたわけで・・・
この辺も、昔の人たちからすると
「本気でやってない」と思うらしい。
だから「県は本気で!」とかって言葉が出てくる
んだと思う。きっと・・・
学ぶもんは確かにあったけど、
対少年への定義は、まったく違ったんだなぁ。。。
と。
ブレるつもりは全く無いので、
会長さんが「結果だけ」を求めるのであれば、
我をクビにしてもらって結構。
まぁそんな権限と勇気はないだろうけどね・・・
まぁでも、時代がめまぐるしく変わる中で、
いつまでも我が子の強かった年代を語るってのは
そろそろ終わりにしてもらいたいね~。笑
んでその「勝つ」って部分。
冒頭の「どの?」の所。
目の前の試合の勝ち負けは、綺麗ごと抜きに、
「次の為の情報であり、サンプル」
でしかない。
試合前のプランには、進め方以外にも
「落としどころ」まで含まれるのは当たり前。
当然、後付けもある。内容次第ではね・・・
なのでこんなのを「勝ち」と定義していたら、
とてもじゃないけど、一生楽しめる事は無理の自論。
これを定義としているチームのおっさんが、
ガナるし、ロボットを作ってると思ってる。
中・高で活躍?
まぁプロ選手を出したとしても、それが「勝ち」
かどうかは・・・
「実感できる勝ち」があるとするならきっと、
この国の流れが、今ウチらがやっているような、
考えているような流れに変わったら、勝ったって
思えるかな?笑
何億光年先になるのか???爆
あ~でも一つ、確実に言える「勝ち」
ってので言うと、
仕事や家庭でサッカーをやめていく奴を
多々見ていると、
「我は勝ち組!」
ってのはきっと揺るがない。。。笑