文化はどのようにしてできるのか考えた。
青島のサルのことが頭にうかんだ。
イモとなづけられたそのサルにあったことはない。
ライアルワトソンの生命潮流で読んだだけである。
えさのイモを海水で洗い出した初めは母猿であった。それを子猿がまねをして、群れに広まっていった。そして不思議なことは海を挟んで遠くの高崎山の猿にまでその習性が伝わったことである。ワトソンの本にはこのような不思議な出来事の紹介が多いが、これを読んだときはなにか「わくわく」する気持ちになった。
文化ということはそのようにして生まれる。
初めは偶然のことかもしれない。それが好奇心の強い子猿に伝わる。
良いことをまねれば良いが悪いことが伝わることもある。母猿は責任が重い。
子猿からその母猿に伝わる。雄猿に伝わる頃には群れの文化になっている。
別のことを考えてみよう。
整理、整頓で始まる5S、最後のSは「しつけ」である。それに「習慣」をつけて6Sとよんでいる。このような語呂合わせをあまり深く考えるべきではないが、躾と習慣とは、少し強引過ぎるように思う。流行の言葉を使えば「上から目線」である。
継続的改善をもっと楽しむことはできないだろうか。
小猿のような好奇心(母猿に守られている安心感があるかもしれないが)でまねるのが、水平展開といっても良い。
改善提案の提出を義務とし、提案制度を堅苦しく考えるのは、良い文化を創ることに対するぶち壊しである。
文化になるのはもっと自然で柔らかい発想がなければならない。
継続的改善そのものも考え直したいと思う。