ワールドカップをみた。
サッカーのことはわからないが、野球のように攻撃と守備が分かれているスポーツと違い一瞬にして攻めと守りを繰り返すスポーツの難しさがある。無責任な解説者のように、無責任に観戦するものにとって疑問なのは、攻めと守りという二元論で考えることが的確なことなのか、ということである。
マネジメントのことである。
維持管理と改善とどちらが難しいか考えてみたい。
本来、維持と改善は別々のものではないので、二元論で考えたくないのだが、あえて考えてみる。というのも、ISOが日本には入った当初、ISOは維持管理を主体とした規格であるという解説がされた。さすがに、いまはそんなことを言う人はいないが、生きた経営に対して、二元論を持ち出し、二つに分けて一方を強調する考えは危険である。
改善により成果が得られ、その成果を続けたいから維持をするのである。
改善に努力した人は、維持にも力を入れられるのである。
ついで、横道にそれるが、水平展開、監査で指摘されたので、問題の認識もなく水平展開する。成果のないものも水平展開する。これでは、心配症が守りを固めすぎて、自分の殻に引きこもるようなもの、外部環境の変化についていけなくなるだけである。
維持管理は難しい。だから、改善を繰り返して、維持を学ぶのである。
攻め抜いて負けるなら、若者らしい、潔さが(いさぎよさ)を感じる。
サッカーのことはわからないが、野球のように攻撃と守備が分かれているスポーツと違い一瞬にして攻めと守りを繰り返すスポーツの難しさがある。無責任な解説者のように、無責任に観戦するものにとって疑問なのは、攻めと守りという二元論で考えることが的確なことなのか、ということである。
マネジメントのことである。
維持管理と改善とどちらが難しいか考えてみたい。
本来、維持と改善は別々のものではないので、二元論で考えたくないのだが、あえて考えてみる。というのも、ISOが日本には入った当初、ISOは維持管理を主体とした規格であるという解説がされた。さすがに、いまはそんなことを言う人はいないが、生きた経営に対して、二元論を持ち出し、二つに分けて一方を強調する考えは危険である。
改善により成果が得られ、その成果を続けたいから維持をするのである。
改善に努力した人は、維持にも力を入れられるのである。
ついで、横道にそれるが、水平展開、監査で指摘されたので、問題の認識もなく水平展開する。成果のないものも水平展開する。これでは、心配症が守りを固めすぎて、自分の殻に引きこもるようなもの、外部環境の変化についていけなくなるだけである。
維持管理は難しい。だから、改善を繰り返して、維持を学ぶのである。
攻め抜いて負けるなら、若者らしい、潔さが(いさぎよさ)を感じる。