仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

男はつらいよ 寅次郎忘れな草

2021年07月31日 | ムービー
シリーズ第11作『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「車寅次郎(寅さん/渥美清)が故郷柴又のとらやに帰ってきた。仏間で御前様(笠智衆)がお経をあげているのを、家の誰かが死んだものと勘違いしたり、妹さくら(倍賞千恵子)がピアノも買えないのはタコ社長(太宰久雄)が諏訪博(前田吟)に払っている給料が安いからだと毒づいたり、早々に騒動を起こしてしまう。居ずらくなって初夏の北海道へ向かった寅さんは、網走行きの夜汽車で、外の暗闇を見ながら一人涙を流す女性が気になった。翌日偶然にそのリリー(浅丘ルリ子)と出くわし、言葉を交わした二人だが・・・」という内容。
息子の満男にピアノを買ってやりたいと言うのを聞いた寅は、早速おもちゃのピアノを買ってきて得意満面の様子だが、これは誰でも分かる勘違い。
そこになかなか気がつかないのが寅さんなので、竜造(おいちゃん/松村達雄)、つね(おばちゃん/三崎千恵子)など周囲の人達が何かと気を使う。
さすがに寅さん本人もハッと気がついた時には、引っ込みがつかなくなってしまってどんどんとおかしな雰囲気になってしまうのは、お約束のようなものだ。
(^_^)
しかし、自分に照らし合わせて考えられることだとすんなりとよく分かるのか、寅さんがリリーの気持ちを察するのは早かった。
リリーも寅さんにはシンパシーを感じていたのか、二人はなかなか良い雰囲気になるのだが、うまく行かないのが寅さんシリーズ。
ハッピーエンドはシリーズの終了を意味することなので、そうはならないのだ。
(^_^;)
残念。

男はつらいよ 寅次郎物語

2018年03月30日 | ムービー
シリーズ第39作『男はつらいよ 寅次郎物語』(1987年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「柴又駅前の自動販売機でジュースを買った満男(吉岡秀隆)は、野球帽をかぶった少年に、"にいちゃん、寅さんを知ってる?"と声を掛けられて驚いた。見ると、寅さんからの年賀状を持っている。とらやに連れて行き、母のさくら(倍賞千恵子)、おばちゃん(つね/三崎千恵子)、あけみ(美保純)が話を聞くと、父親が生前に"俺が死んだら寅さんの所へ行け"と言っていたので群馬から一人で来たのだと言うが、はっきりしたことは分からないのだった。そして翌日に帰ってきた車寅次郎(寅さん/渥美清)によると、その少年は秀吉といい、自分が名付け親なのだという。秀吉の父親・佐藤政吉は"般若の政"と呼ばれ、女房の髪を掴んで引きずり回すような酷い男。秀吉の母親・ふで(五月みどり)の蒸発したと聞かされてもさほど驚いてない様子だった。可哀想に一人きりになってしまった秀吉のため、ふでを探し出そうとする寅さんは・・・」という内容。
仲間のポン州(関敬六)等を訪ね、ふでの居所に見当がついた寅は、秀吉と2人で和歌山市へと行くのだが、ふでは既にそこにいなかったことから、奈良市の旅館・翠山荘に向かうものの、そこにももういない。
これには寅さんもガッカリで、秀吉も高熱を出して寝込んでしまうのだが、うんうんと唸る秀吉を前にして、なんと東京のさくらに"どうしたらいい?"と電話をかけるほどに(もうどうしていいか分からず)パニックだったのだろう。
フロントに声を掛けても医者を呼んでもらえず、タクシーで迎えに行って往診をしてもらったが、診た菊田医師(松村達雄)は「どうしてこんなになるまで放っておいたんだ!!」と怒り出す。
この時に助けてくれたのが隣の部屋の客・高井貴子(秋吉久美子)だったが、これは本当に助かった。
このエピソードの際の、
貴子「おとうさん、帳場に寄ってタオルをあと何枚か届けるように言うて」
寅「うん。かあさん、あと頼んだぜ」
とか、
医者「おかあさん、お尻出しなさい」
貴子「えっ。お尻・・・」
医者「あんたのお尻じゃない。子供のお尻じゃ」
といったやり取りは笑いのセンスが感じられて面白いし、今回のシリーズ第39作は極端な物語だったけれども、博(前田吟)や、あけみ、満男の設定や台詞もこれまで以上に練られているような気がして、ドタバタ劇にとどまらない、いつにもまして良い作品だったように思う。
特に、「おじさん、人間てさ・・・。人間は何のために生きているのかな?」という満男の台詞は、見ているこっち側も考えさせられる。
『男はつらいよ』に3回登場したリリー(浅丘ルリ子)はシリーズを代表するキャラクターの一人だが、貴子はこの1回しか登場しないとはいえ、とても印象深いキャラクターになった。
これはナカナカに素晴らしい作品だった。
(^_^)

男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花

2017年09月28日 | ムービー
シリーズ第25作『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年/山田洋次監督)を見た。
物語は、「久々に帰ってきた車寅次郎(寅さん/渥美清)だったが、ちょうど水元公園にあやめ見物に出かけようとしていた車竜造(下條正巳)、つね(三崎千恵子)、諏訪博(前田吟)、さくら(倍賞千恵子)ら、"とらや"の面々と早速ひと悶着。帰ってきたばかりだというのに、すっかりへそを曲げてしまった寅さん。店を飛び出していこうとしたのだが、そこへちょうど配達された寅さんあての速達に気がつく。その手紙は入院しているという松岡清子(リリー/浅丘ルリ子)からの手紙だった。"旅先の沖縄で血を吐いて倒れ、入院している。また寅さんに会いたかった。それだけが心残り"という随分と弱気なことが書かれていた。早速、沖縄に向かおうとする寅さんだったが・・・」という内容。
さくらが手紙を一行読むたびにいちいち反応して返事をする寅さん。
たこ社長(太宰久雄)が同じように口を挟むと「黙ってろ!!たこ!!」と怒鳴りつけるのが面白い。
(^_^)
身寄りのないリリーとあって誰も見舞いになど来るはずもなく、ずっと一人きりだったようだ。
寅さんが預かってきた御前様(笠智衆)やたこ社長からのお見舞いを手にして、「お見舞いなんて初めてもらった」と喜んでいたし、寅さんが見舞いに来るからと化粧もする。
それまで医者の言うことを聞かなかったけれど、寅さんが来てからはきちんと治療に前向きにもなったらしい。
長い一人きりの生活が続いた人生で、随分と心も病んでいたのだろう。
沖縄の暑さはとても耐えられる暑さではないようで、初めのうちは真面目にテキヤ稼業に励んでいた寅さんだったものの、やがて毎日ぶらぶらし始めるようになる。
リリーの退院後は、国頭フミ(間好子)の家に住まわせてもらうようになり、息子の高志(江藤潤)が連れて行ってくれた水族館が寅さんの大のお気に入りになったようだ。
涼しさを求めて電柱の細長い陰にさえ隠れようとするくらいだから、もう限界だったのだろう。
(^。^)
リリーはこのシリーズ全48作のうち、『男はつらいよ 寅次郎忘れな草』(1973年/第11作)、『男はつらいよ 寅次郎相合い傘』(1975年/第15作)、『男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花』(1980年/第25作)、『男はつらいよ 寅次郎紅の花』(1995年/最終作)の4作品に登場したマドンナだったが、二人の気持ちが通じ合っていたにも関わらず、「男に食わしてもらうだなんてまっぴら」というリリーと、結婚に消極的な寅さんの意地がぶつかり合うばかりで、どうにもならなかったのはとても残念だった。

博士の愛した数式

2017年09月18日 | ムービー
『博士の愛した数式』(2006年/小泉堯史監督)を見た。
物語は、「生徒たちからも"ルート(√)"と呼ばれている数学教師(吉岡秀隆)は、新学期の最初の授業で、自分になぜ"ルート"というあだ名がついたのかを語り始めた。母親(深津絵里)が家政婦として働きながら女手ひとつで彼を育てていた10歳の頃、交通事故の後遺症で記憶が80分しか保てなくなった元大学の数学博士(寺尾聰)の家に派遣された。雇用主は義理の姉の未亡人(浅丘ルリ子)。"博士"の記憶の蓄積は事故があった1975年で止まっているので、毎日四六時中顔を合わせている家政婦とはいえ、翌朝には常に初対面の家政婦だったのだが、博士はやがて彼女には10歳になる息子(齋藤隆成)がいることを知り、翌日から3人一緒に夕食をとることになり・・・」という内容。
"後頭部が平らだから絶壁"とはよく聞くが、"頭のてっぺんが平らだからルート"とは、さすが数学教授らしい着眼点だ。
(^_^)
授業は"虚数"、"友愛数"、"完全数"などの数学に関するエピソードを織り交ぜながら進んでいく。
教科書の内容に沿っていなかったとはいえ、生徒たちにとって無駄な時間ではなかっただろうと思うのだが、現実社会だと、子供の誰かが家でその話をしたら、"モンスターペアレント"からクレームがつきそうだなぁなどとつまらないことを考えながら見てしまった。
(^_^;)
阪神タイガースの話や不倫を感じさせる描写もあったが、浮世離れしている博士は何とも穏やかな優しすぎる人で、これは完全無欠のファンタジー。
(^。^)
少年野球のユニフォームの背番号も"√"だったり、なかなかに面白い物語だった。

影狩り

2016年09月17日 | ムービー
『影狩り』(1972年/舛田利雄監督)を見た。
物語は、「江戸時代の中期。老中の田沼意次(丹波哲郎)は、日本各地に潜ませている"影"こと公儀隠密を使い、各藩の小さな落ち度さえも見逃さず報告させていたが、但馬国出石藩(現兵庫県北部)が金鉱山の開発に成功したとの情報を得た。難癖をつけて出石(いずし)藩を取り潰しに追い込み、領地を取り上げようと企んだ田沼だったが、出石藩はかつての大阪の戦での功績により外様ながら譜代の扱いとなっており、さらに出石藩家老・牧野図書(辰巳柳太郎)の元には、かつて東照神君・徳川家康公より下された"永代本領安堵のお墨付き"が存在することが分かって、どうにもできずにいたのだった。一方、家老・牧野は、藩内に潜んでいる"影"に対抗すべく、"影狩り"と呼ばれる殺し屋・室戸十兵衛(石原裕次郎)、日光(内田良平)、月光(成田三樹夫)の3人を雇い、幕府に対抗しようとしたのだが・・・」という内容。
胆馬国出石藩は5万8000石の貧乏藩なのだそうで、老中・田沼と公儀隠密の頭領・陣馬仙十郎(草薙幸二郎)は「藩士といえどもひえやあわを食している」などと馬鹿にして笑っていた。
そのような貧乏な小藩から折角開発した金山を取り上げようなどと企むとは何て酷い奴らだ。
地方の小藩が自衛手段として"影狩り"を雇うのは必死の自衛手段だったのかもしれない。
また、影狩りの3人にしても、藩を幕府によって取り潰されたか、脱藩せざるを得ない状況に追い込まれ、流浪の身となってしまった怒りと怨念を晴らすことができるわけだから、双方の利益がぴったりと合ったわけだ。
おまけに十兵衛などは元許嫁の千登世(浅丘ルリ子)からも命を狙われてしまうのだから踏んだり蹴ったりだ。
(^_^;)
それにしても、主役の石原裕次郎の顔が汚かった。
真っ黒だ。
眉を描いたり、影を描いたり、あそこまでのメイクは必要なのだろうか。
どうにも不自然に見えた。
(^。^)

男はつらいよ全48作

2005年06月23日 | ムービー
TVhで平成14(2001)年10月から2年間にわたって『男はつらいよ/全48作大放送』をしていたが、今年8月6日から、今度はNHK-BS2で全48作が放送されることになっているのだという。
しかも、前回と同じく2年をかけてだ。
んー、なんと良い企画だろう。
(^_^)
かつての仁左衛門は日本映画について、例えば戦争映画などでも「あぁ悲しいねぇ」で終わってしまって、最後に五○ひろしやさだ○さしの主題歌が流れるお涙ちょうだいものの"感動巨編"、まず役者ありきなんだろう?くらいにしか思っていなかったので、松竹や東映の映画を映画館に見に行こうという気にはなれなかった。
だから、映画『男はつらいよ』のシリーズも映画館で見たことは一度もなかった。
昭和44(1969)年の第1作から平成7(1995)年の第48作まで26年間も続いたのにである。
仁左衛門がこの『男はつらいよ』を好きになってきたのはここ7~8年くらいのことなのだが、例え作られているものだとはいえ、この映画の中に映し出される生活感や風情といったもの、寅さんの優しさや不器用さといったものを理解したりそれに惹かれるような年齢になってきたということなのだろうか。
もしかしたら、それは心の中のどこかで日本らしさというものを求めているということなのかもしれないが、しかし、何よりも「この"男はつらいよ"は、最初は渥美清ありきだったのかもしれないが、おいちゃんが何人代わっても作られ続けたことからも分かるように、俳優有りきではなく、やはり寅さんとその世界に魅力があるんだということに気がついた」ということが、この映画を好きになってきた理由なのかもしれない。
そして、それだからこそこの映画が26年間も続いたということなのだろう。
まぁ終いには、"渥美清"と"車寅次郎"は観客の中で同一人物化されてしまったのかもしれないが。
いつだったかテレビ番組『徹子の部屋』で女優の浅丘ルリ子さんが話していたのだが、第48作『男はつらいよ/寅次郎紅の花』(1995年/山田洋次監督/松竹)の撮影時、渥美清さんは撮影に耐えられる体力はほとんどなかったらしい。
それまでの撮影だったら、渥美清さんが撮影の合い間に地元の人に冗談なんか言ったくらいにしてファンサービスをしていたそうなのだが、その時には浅丘ルリ子さんが気を使って普段はしたことがないファンサービスをしていたから、奄美大島では「渥美清はムスッとして感じが悪いけど、浅丘ルリ子はいい人だ」ということになっているらしい。
(^o^)