狸  森  日  記

                 ムジナnoモリnoクラシカタ

カマキリ先生

2007-03-20 01:07:22 | ひとりごと


晴れの天気なれど気温は低め、何時になったら暖かく
    なるのやら・・・。


昔、野間四つ角から東へ続く道は、狭い、黒土の道だった。
現在の住吉中学の辺りまで続いていたが、今のようにJRの線路を
跨ぐ陸橋はなかった。今はその通りを「きよみ通り」と言う。


西鉄が高架ではなく、高宮駅まで線路沿いにたんぼ道を歩いて行った。
住吉中方向から見て左側の田んぼの真ん中に、古い民家がポツンと
建っていた。そこが我が中学の英語先生の家である。


同級生の中にネーミングが上手な者がいて、「カマキリ」という渾名を
つけていた。時効だから言っても差し支えないと思うから言うが、本名を
「寺尾」といい、朝日か毎日か忘れてしまったが、そこで新聞記者をして
いたと聞いていた。渾名は、多分容姿から付けたのだと思う。



今にも折れそうに細い体格で、首が長く丸い頭をし、丸い眼鏡をかけていた。
僕らが悪戯したり、授業で答えられないと「カマキリチョップ」を見舞う。
腕を振って頭に当たる瞬間手首を軸にして、少し内側に曲げた指でコツンと
叩く。それが予想以上に痛いのである。



この「カマキリチョップ」も渾名を「カマキリ」とつけた一因になって
いたことは疑いようもない。


頭を後ろから見ると、聖パウロが被っている帽子状に禿げていて、しきりと
気にしていた。僕はカマキリチョップを見舞われる度に「この聖パウロ禿げ」
と、声には出さずに、叫んでいた。


そんな僕にも「おい義兵衛明日遊びに来るか」とお声がかかり、友人3名
と共に、田んぼの真ん中の古びた民家を訪れた次第でした。
この道は、家から穴観音へ饅頭の葉を取りに行くとき通る道で知っていたが
まさか、こんな処に先生の家が有るとは思いもしなかった。


昔は何処へ行くにも大抵が歩きで、自転車に乗ってくる者はいなかった。
電話も無い時代だから、どうやって連絡を取り合って約束の時間と場所を
決めていたのか、今はすっかり忘れてしまっている。


今日、たまたまガソリンを入れに行って、その懐かしい道と先生の家を
思い出した。常日頃通っている道なのに、何故今日思い出したのか
不思議でならない。


僕は小学校中学校時代は決して頭が良い方では無かった。当時の通知票を
見ても、3が殆どなのだ。悪戯と野球ばかりしていたように思う。
先生にはよく怒られたし叩かれもした。当の先生は、同窓会で会っても
忘れたと言っていたが、僕は覚えている。


天国で楽しく暮らしていられるのだろうか、カマキリチョップには磨き
がかかって、より強烈になっているかも知れません。
懐かしい先生でした。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿