「喜連(伎人郷)を着物で歩こう!」 Vol. 3 ~楯原神社と如願寺

喜連で、もっともDEEPなスポットといえば、イベント・オリジナル絵葉書にも登場した楯原神社と如願寺だ。
屋敷小路をあとにした着物姿一行は楯原神社に向かう。

新聞記者の皆さん、いい記事は書けそうですか?

中高野街道を臨む。


楯原神社、到着。相当の古社である。
社伝によると、崇神天皇の御代に・・とあるから、紀元前ということになるが、それはないにしろ、聖徳太子のいた推古天皇の頃の参拝記録があるというから、やはり相当な古さだ。




奥の院には「神宝 十種之宮」が祀られている。
現地説明板の記載を要約すると『この神宝は元は奈良・石上神社にあったが、戦国時代末期織田信長の焼き討ちに遭い、持ち去られたが、幸いにも保護されており、これを知った豊臣秀吉が、生魂の森深く(生魂神社?)に納めた。
幕末の混乱期に再び持ち去られ、行方不明であったが、古道具屋の店頭で発見され、喜連に住む小林某なる人がこれを買い求め、紆余曲折を経て、当社に奉納された。』とある。

拝殿のブルーシートが掛けられているのは藁。
年末には、新たな注連縄が作られる。

隣接する如願寺に入る。


如願寺は中世に存在したとされる喜連城本丸の地と推定され、享保年間築造の本堂の屋根には鯱鉾を載く。




再び、楯原神社を抜け、「天野茶屋」に向かう着物姿一行。

-つづくー

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屋敷小路をあとにした着物姿一行は楯原神社に向かう。


新聞記者の皆さん、いい記事は書けそうですか?

中高野街道を臨む。


楯原神社、到着。相当の古社である。
社伝によると、崇神天皇の御代に・・とあるから、紀元前ということになるが、それはないにしろ、聖徳太子のいた推古天皇の頃の参拝記録があるというから、やはり相当な古さだ。





奥の院には「神宝 十種之宮」が祀られている。
現地説明板の記載を要約すると『この神宝は元は奈良・石上神社にあったが、戦国時代末期織田信長の焼き討ちに遭い、持ち去られたが、幸いにも保護されており、これを知った豊臣秀吉が、生魂の森深く(生魂神社?)に納めた。
幕末の混乱期に再び持ち去られ、行方不明であったが、古道具屋の店頭で発見され、喜連に住む小林某なる人がこれを買い求め、紆余曲折を経て、当社に奉納された。』とある。

拝殿のブルーシートが掛けられているのは藁。
年末には、新たな注連縄が作られる。

隣接する如願寺に入る。


如願寺は中世に存在したとされる喜連城本丸の地と推定され、享保年間築造の本堂の屋根には鯱鉾を載く。




再び、楯原神社を抜け、「天野茶屋」に向かう着物姿一行。

-つづくー





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