平野区の喜連(きれ)は、伎人郷(くれひとのさと)と呼ばれている。
この地域は古き時代、呉(くれ)の国から、やってきた渡来人が機織(はたおり)の技術を伝えたので、「くれ郷」となり、それが訛って「きれ」になったといわれている。
高句麗から伎(くれ)、そして、喜連(きれ)へと転化していったという説もある。
喜連の中心部を、南北に中高野街道が走る。
摂津と河内を繋ぐ交通の要地だ。
戦乱の絶えない中世には周囲に環濠を巡らしていた。
100年を越える寺・蔵・屋敷からなる歴史的街並みが残り、小さなタイムスリップが楽しめる。
第10代崇神天皇の頃に祀られたという延喜式の古社、「楯原(たてはら)神社」。
崇神天皇は前代までの天皇系譜と違い、初めての実在の天皇といわれている。
渡来人という説もあり、何故、ここにという古代史のミステリーを垣間見るような気がする。
聖徳太子の創建、弘法大師の再建と伝えられる、「如願寺」。
かつて、環濠には6っの出入口があり、地蔵堂が設けられていた。
環濠が埋め立てられてからも、地蔵堂は残り、今もお地蔵さんが喜連を守っている。
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