貴志川線の猫電車 ② ~豪華な「たま電車ミュージアム」
貴志川線を走る漆黒にゴールドをあしらった「たま電車ミュージアム号」はローカル線の豪華列車「ななつ星」を思わせる。
車内各所に初代たま駅長などをデザインしたミュージアムのようなつくりで、2両編成の車両に770匹を超える猫が描かれている。
貴志川線の猫電車 ② ~豪華な「たま電車ミュージアム」
貴志川線を走る漆黒にゴールドをあしらった「たま電車ミュージアム号」はローカル線の豪華列車「ななつ星」を思わせる。
車内各所に初代たま駅長などをデザインしたミュージアムのようなつくりで、2両編成の車両に770匹を超える猫が描かれている。
貴志川線の猫電車 ① ~「たま駅長」と桜
和歌山電鐵「貴志川線」は、JR和歌山駅から貴志駅を結ぶローカル線。
貴志駅で迎えてくれるのが、猫の「たま駅長」。
凛々しくも、可愛らしい全国初の猫駅長に会うために、多くの人々がこの駅を訪れた。
檜皮葺の屋根に、ステンドグラスをはめ込んだ「目」や「口」の窓の貴志駅舎、プラットホームにある「たま大明神」を祀る神社、「たまミュージアム」に「たまカフェ」、が人気を呼んだ。
猫駅長という見事なアイデアで赤字路線を蘇らせた。
天守閣にて・和歌山城が桜花に包まれるころ ②
和歌山市の中心にある虎伏山(とらふすやま)の頂上にそびえ、白亜の三層からなる大天守閣を持つ和歌山城は8代将軍吉宗、14代将軍家茂を輩出した紀州藩紀州徳川家の居城で、御三家の威容にふさわしい風格を醸し出している。
現在の天守閣は大戦の空襲で焼け落ちたあと、1958年(昭和33年)に再建された。
御三家だけが、徳川姓を名乗り、徳川の葵紋を使用することが認められたということで、城内いたるところで葵御紋を目にする。
天守閣から絶景を見おろしながら「暴れん坊将軍」になった気分で桜花を謳歌した。
バルスの伝説・地下迷宮 ~友ヶ島探索 ④
第4砲台は、沖ノ島の中心部やや東寄りの山中に位置し、東側の海域を防衛するために構築された。
第3砲台とよく似た構造で砲座間(大砲を設置していた場所)はすり鉢状になっており、360度全周を射界に捉えていた。
ただ、第3砲台跡が島観光のメインスポットであるのに対し、閉鎖されるのも早かった第4砲台跡は山林に埋没したままになっており公開されるようになったのもつい最近という。
当然、整備されるのも遅れたというわけだ。
その分、今でも懐中電灯がなければ入れないほどの暗闇の地下迷宮があり、まるでインディジョーンズになったようなスリリングな気分を味わうことができる。
そういう意味ではラピュタの「バルスの伝説」を一番、感じられるスポットかもしれない。
持参のランタンで奥に進む。(懐中電灯は現地で借用可能)
迷宮奥が、らせん状になっている。
第3砲台同様、看守衛舎跡は廃墟だった。
滅びの美学と豊かな自然が混在した島だった。神が宿るという神島が左に見える。
海を臨むブランコで風に揺られる島時間。
友ヶ島を後にする時が来た。
加太へ帰還。島を彼方に臨む。後方は淡路島。
<番外編>
加太の淡島神社、参拝。人形供養の神社には、只ならぬ気が満ちていた。
「ラピュタの要塞」と「リス」 ~友ヶ島探索 ③
第2砲台は、紀淡海峡を通過し大阪湾に侵入しようとする敵艦に対して真横から砲撃を加えるべく設置された「要撃砲台」で、友ヶ島西端北寄りの海岸沿いに位置する。
海沿いのため、敵艦の砲撃をまともに受ける可能性が高いので厚さ2mもあるコンクリート壁で覆われていたが、長い間の浸食や風化により、廃墟要塞と化している。
ジブリのアニメ「天空の城 ラピュタ」のイメージを彷彿とさせる友ヶ島のなかにあって、もっとも、ラピュタっぽい場所なのかもしれない。
「今は、ラピュタが何故、滅びたのか、あたし、よくわかる。」 シータ
人類が何故、滅びたのか、いつか、誰かが回顧する日が来るのだろうか。
旅館跡や住居跡の廃墟感も半端ない。
野奈浦広場にある唯一の食事処「らぴゅカフェ」横のベンチに何やら小さな動物が・・・
ラピュタやナウシカに出てきた「キツネリス」ではあるまいに・・・
かつて、観光用に放った「タイワンリス」が野生化しているようである。
友ヶ島探索 ② ~地下要塞基地と友ヶ島灯台
第3砲台は全周360度を射撃でき、紀淡海峡防備のための主要な施設だったそうだ。
対岸の淡路島との距離は僅かで海峡を通過する軍艦を充分に射程内に収めたことだろう。
砲台の地下には砲弾貯蔵庫や揚弾装置が設置されており、階段から地下に降りれば、地下施設全体を見学することが可能。
地下要塞の探検は冒険心を大いに擽って、ワクワクさせてくれる。
外に出ると「砲座」がある。
タカノス山展望台に上がってみる。
明治5年建築で今も現役という友ヶ島灯台を眼下にみる。
東に目を移すと小さな「神島」、その奥に「沖ノ島」と堤防で陸続きの「虎島」。さらにその奥には二番目に大きな「地ノ島」。
対岸は大阪、和歌山である。
孝助松海岸
灯台横の子午線広場と「第1砲台跡」。
友ヶ島探索 ① ~第3砲台跡・時空超えた煉瓦造り遺構
紀淡海峡に浮かぶ4島、地ノ島、虎島、神島、沖ノ島を総称して友ヶ島と言う。
加太港から定期船(約20分ほど)で渡る一番大きな沖ノ島では明治政府によって作られた砲台跡を巡ることができる。
ただ、定期航路の友ヶ島汽船は便数、定員共少ないうえに天候による欠航も多く、アクセスがいいとは言い難い。
島に到着した途端、5月というのに、猛烈な蝉時雨に迎えられた。
わずか約20分の航海なのに、いきなり、南の島に来たような錯覚に陥る。
この蝉は「ハルゼミ」らしい。
まず、最初に友ヶ島における最主力砲台である第3砲台跡に辿り着く。
明治政府が紀淡海峡防備のため、由良地区(淡路島)および友ヶ島・加太・深山地区(和歌山市)に築造した由良要塞の一つの砲台跡で煉瓦造りが独特の風景を演出している。
監守衛舎跡と発電所跡で、廃墟化している。すぐ横のトンネルをくぐると・・・
煉瓦造りの4っの弾薬支庫が佇んでいる。
この辺りの風景写真が友ヶ島のシンボルのように観光案内で使われている。
南紀白浜から白崎へ ~シーサイド・ドライブ
南紀白浜といえば、”関西の奥座敷”といわれ有馬温泉とともに、関西人が、もっとも、訪れる機会が多い温泉地だろう。
その白浜から、白崎海洋公園までのシーサイド・ドライブコースを紹介。
まずは、白浜の三段壁とともに代名詞である、千畳敷のショットから。
円月島は同じく白浜のシンボルで、来るたびに、「よく崩れず、もってるなあ」と思っていたが、やはり、アーチ部分の補強工事は実施しているとのこと。
番所山公園からは円月島の後ろ姿を望める。
フィーシャーマンズ・ワーフでは、オーダーすると獲れたての魚を、その場でさばいてくれる。
平草原からは白浜温泉街を一望できる。
白浜から御坊市に入り、海岸沿いに日の岬を目指す。
日の岬パークには昔よく訪れたが、久しぶりに訪ねると、すっかり裏ぶれた雰囲気が漂っていた。
灯台だけが、以前と変わらず、凛々しく屹立して海を睨んでいた。
さらに海岸沿いに白崎海洋公園を目指す。
〈緊急事態宣言を受けて〉 2020.04.07 azuknieta
緊急事態宣言を受けて、当ブログでは、当分の間、蔵出し画像を中心とした記事に切り替えさせていただきます。
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湯浅まちあるき ② ~町家のひなめぐり
入江の奥に位置する湯浅の町は、海路の便が良かったこともあり、古くから物流の中心地として栄えてきたほか、1800年代初頭にはなんと92軒もの醤油屋が営業していたという醤油醸造の町。
この時期、湯浅町は雛人形で飾られる。
活気あふれた江戸時代、明治時代に思いを馳せ、懐かしい雛人形を辿るように、まちあるきをした。
地元のボランティアガイド(語り部)さんが、まちあるき中、終始、名調子で説明してくださった。
湯浅まちあるき ① ~醤油醸造の町並
和歌山県湯浅町は100年以上前の古い商家や町家が建ち並ぶ「重要伝統的建造物群保存地区」を中心とした醤油醸造で栄えた町並みが残る。、
醤油発祥の地ともいわれ、醸造文化の伝統を受け継ぎ、守り続けたことで、日本遺産の認定を受けた。
まちあるきの前には工場見学と、やっぱ、これでしょ。
「醤油ソフトクリーム」の意外とあっさりとした甘さ。
まちあるきには、地元のボランティアガイドさんに案内していただいた。