野鳥のプロムナード ~馬見丘陵公園
奈良県北葛城郡の馬見丘陵公園は県内では奈良公園に次ぐ広大な自然公園である。
かつて、聖徳太子が法隆寺を建てる場所を探して、“馬に乗って見て廻った”場所であるとも伝えられている。
冬になれば、渡り鳥を中心とした野鳥天国となる。
人なつっこい、オレンジ色の野鳥が近くまで、やってくる。
ジョウビタキである。
鳥は人間と違って、雌の方が地味である。ジョウビタキの♀。
ちょっと、目付きの悪い鳥がいた。シメである。
何でも食べる、くいしんぼな鳥、ツグミ。
マヒワの群れを発見!
ムシャムシャおいしそうに食べているのはハナミズキの実である。
サザンカが青い空に映えて綺麗だった。
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あさひめ・中村美優さんの、ソロデビューシングル、Now On Sale!!
あさひめ・中村美優さん、みーちゃんのソロデビューシングル「間宮海峡~林蔵の恋~」が、発売された。
音楽業界のことは、よくわからないが、これは ”メジャーデビュー” だという。
ずっと、応援してたから、なんだか、身内のことのように嬉しい。
”あさひめ”は2015年、新世界を拠点に”着物で昭和歌謡を歌う6人組のグループ”として、デビューした。
その後、6人組→5人組→3人組→2人組→ソロと波乱の変遷を経て、今に至る。
実力派の、みーちゃんだからこそ、ソロが一番似合っていると私は思っている。
翌年の2016年の平野南地域活動協議会主催の納涼大会で、平野出身の演歌歌手 ”吉野悦世さん” の妹分みたいな女の子が来てるなあというのが、みーちゃんのファースト·インプレッション。
その年の秋には、平野南の敬老大会に出演。
ワンダースターに早くも、初登場している。
(ここから、画像クリックで記事にジャンプします。)
時系列でバックナンバーを振り返ってみる。
翌年の2017年には、「平野郷を着物で歩こう!」に参加してもらった。
2017.4 あかる姫まつり
2017.10 平野商店会「カラオケ大会」
2017.10 初めて、新世界のステージに出向く。
2017.10 「長原東わいわいフェスタ」企画時の打ち合わせ
2017.11 「第1回 長原東わいわいフェスタ」本番では、初MC挑戦。
2018.4 あかる姫まつり
2018.8 喜連西 盆踊り大会
2018.10 出戸駅前·防災イベント
2018.11 「第2回 長原東わいわいフェスタ」では、吉川MANAちゃんと初コラボ企画。
2018.11 またまた、新世界に応援へ。
2019.2 大会場で初のワンマンライブ(シアター朝日)
2018.12 平野区防犯啓発大使
2019.4 あかる姫まつり
2019.7 七夕コンサート (シアター朝日でのワンマン)
2019.8 平野南 納涼大会
2019.11 「第3回 長原東わいわいフェスタ」
2020.9 コロナ禍に見舞われた昨年はアーチストにとっても受難の年。
でも、頑張った!
2020.10 平野環濠清掃にも、ボランティア参加!
そして、2020.12 ついに新曲発表!
さあ、 ”津軽海峡” を超えて行け!がんばれ、みーちゃん!!
ずうっと、見守ってます。
「幸せの青い鳥」 ~“ルリビタキ”
ずっと、探していたのに、現れるときは突然だ。
鮮やかな瑠璃色の鳥が私の目前を横切った。
「ルリビタキ」・・・メーテルリンクの「青い鳥」のモデルとも云われている鳥だ。
そして、小さい頃、大好きだった、あの物語を思い出した。
クリスマスイヴ、貧しい木こりの家では2人の子どもが寝ていました。
兄のチルチルと妹のミチルです。二人の部屋には醜い妖女が現れ、「これからわたしの欲しい青い鳥を探しに行ってもらうよ」といいます。
妖女から、ダイヤモンドのついた魔法の帽子を貰ったチルチルとミチルは、光やイヌやネコやパンや牛乳や砂糖や火や水たちと一緒に不思議な冒険の旅に出かけます。
「思い出の国」で青い鳥を見つけますが、これは籠に入れると黒い鳥に変わってしまいました。
二人は、その後も「夜の御殿」「森」「墓地」を訪れ、こわい思いをしながら青い鳥を探し続けます。
「森」の中で青い鳥を見つけますが、捕まえられませんでした。
「夜の御殿」では捕まえることに成功しますが、死んでしまいました。
「幸福の花園」を経て、最後に訪れた「未来の王国」でも青い鳥を捕まえますが、赤くなってしまいます。
こうして、二人は妖女との約束を果たすことができず、失意のうちに家に帰ってきます。
そこへ隣に住んでいるおばあさんがやって来て、病気の娘がチルチルの飼っている鳥を欲しがっていると告げます。
そういえば、鳥を飼っていたことを思い出し、見てみると、驚いたことに青い色に変わっています。
さんざん探し回った青い鳥は自分たちの家にいたのでした。
二人がこの青い鳥を病気の娘にあげると、娘の病気が良くなってお礼にやって来ます。
ところが二人で餌をやろうとしたときに、青い鳥は逃げて飛んでいってしまいます。
チルチルは、読者に向かって、次のように呼びかけるのです。
「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。
ぼくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」
私が一番、印象深かったのは、二人が「思い出の国」に行くシーン。
そこには、祖父母が昔の姿のままで、昔の家に住んでいる。
懐かしく安らぎを感じる、その国にも「青い鳥」はいなかった。
私は子どもの頃、祖父母の家に行くのが好きだった。
そこには、何故か心温まる安らぎの空間があった。
祖父母は私のこと、すべてを肯定してくれたからかもしれない。
祖父が亡くなる、ちょっと、前のことだった。
帰り際、悪い足を引きずるようにして、私を玄関まで見送ってくれると、「また、おいでや。」と言ってくれた。
そして、それが最後だった。もう二度と迎えてくれることはなかった。
もう存在しない空間だけれど、今でも、「思い出の国」は私の中にある。
幸せなんて、探し求めるものではなくて、一番、身近にあるんだ。
だから、それを大切にしなくちゃいけない。
この物語は、そう告げていた。
メスは茶色っぽい。
(馬見丘陵公園にて撮影)
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京都祇園・東山あたり ぶらり散策
京都は学生として、営業マンとして、毎日のように通った馴染みの町のはずだったが、いつの間にか京阪電車のツートンカラーが逆になり、祇園界隈の整備が進むとともに、異邦人になっている自分に気がついた。
新しくも懐かしい界隈を久々にぶらり散策してみた。
白川南通り
八坂神社には成人式帰りの着物姿。
円山公園の龍馬と慎太郎。
知恩院あたり。
恵比寿神社では十日恵比寿だった。
まちなかのレトロ感も自然。
法堂・天井画「双龍図」 ~建仁寺 ③
法堂の天井画「双龍図」は、2002年に建仁寺創建800年を記念して、日本画家の小泉淳作画伯が約2年の歳月をかけて取り組んだ壮大な作品。
互いに絡みあうように「阿吽」(口を開けた阿=生、口を噤んだ吽=死)の双龍が描かれている。
108畳にも及ぶ水墨画の迫力に圧倒されるのは間違いない。
方丈から法堂に続く長い廊下。
こちらは三門。
「大いなる哉 心や」という栄西禅師の禅の教え。
心は宇宙なのだ。確かにそう思う。
「風神雷神図屏風」 ~建仁寺 ②
俵屋宗達の最高傑作と伝わる「風神雷神図屏風」(国宝)は、建仁寺を象徴する作品。
デジタル複製画といえど、凄い迫力である。
「○△□乃庭」(まるさんかくしかくのにわ)。
禅宗の四大思想(地水火風)を庭の中に表現している。
歴代禅師?浮いて見えるのは展示ガラスのリフレクション。
開山の栄西禅師。
方丈襖絵 「雲龍図」 ~建仁寺 ①
建仁寺は800年あまりの歴史を誇る京都最古の禅寺である。
臨済宗建仁寺派の大本山で、開山は栄西禅師。
本坊の方丈にて、海北友松筆の襖絵「雲龍図」に見入った。
方丈の中は各部屋に「雲龍図」だけでなく、他にも貴重な襖絵が展示されている。
「竹林七賢図」、「山水図」、「花鳥図」、「琴棋書画図」。
建仁寺に展示されている絵画は殆どがCANONの協力による高精細デジタル複製画で、写真撮影可なのが嬉しい。
襖絵が置かれている建物は「方丈」で、枯山水の前庭は「大雄苑(だいおうえん)」という。
また、中庭は「潮音庭(ちょうおんてい)」という三連の庭である。
潮音庭の手水鉢には氷が張っていた。
「天気の子」 ~ワンダースター(彷徨星)的見解
初公開から、2年後のお正月となる1月3日、「天気の子」がTVでオンエアされた。
ドラマは数々の謎をチラつかせながら、軽快なテンポで水のように流れる。
ラストでは降りやまぬ雨により、水没した東京の姿を観せて、我々を愕然とさせた。
そのとき、水に覆われた町はコロナ禍により、すっかり変わってしまった現在 <今> の世界とダブって見えたのだ。
2年前なら、異常気象の果ての自然災害の暗示かと思うところだが、きっと、作者にも思いもつかない事態が、リアル世界で起きていた。
コロナ禍はSFや予言書にも、予見できぬ事態を現出した。
そして、現在進行中のこの出来事が我々に何かを啓示しているように思うのは、私だけではないはずだ。
(画像5点:プリ画像より)
<蛇足に>
以前、”晴れ男”だった私は、あのときを境に”雨男”になった。
それは、3年前、屋久島に行こうと思ったときのことだ。
旅立つ直前に奇妙なコースを描く台風がやってきた。
その台風は関東に上陸して、列島を東から西へ横断、北九州に到達した。
このまま、日本海に抜けるのかと思いきや、踵を返すようにして進路を南へ向けた。
そして、九州を逆方向に縦断するやいなや、なんと、屋久島の周囲を廻り始めるではないか。
3日間、屋久島の周りを廻り続けた台風はようやく、去っていった。
大阪発鹿児島行のフェリーは3度の欠航のあと、やっとのこと、私を乗せて出港した。
それからだ。いつも、雨雲に追いかけられるようになったのは。
龍神が憑くと、”雨男”になるという。
あの台風は龍神だったのだろうか。
そういえば、あれから、無意識のうちに”龍”がつく場所に出かけるようになった。
みんぱくアーカイブス ~国立民族学博物館
国立民族学博物館(みんぱく)の記事も13篇となるので、バックナンバーを振り返ってみた。
これだけ、膨大な資料があるにもかかわらず、撮影するものが被ってくるのは、何故だろうと考えたことがある。
まるで、自分の深層の潜在意識やDNAに刻まれた記憶を垣間見るような気がしてくる。
画像をクリックいただくと、記事にジャンプします。
命と記憶の継承 ~国立民族学博物館 ②
博物館に民族の暮らしと祈りが息づいている。
それに触れることは古代から脈々と受け継がれてきた命と記憶の継承である。
我々は単一の生命体ではなかった。
文化民俗学者になればよかった。 ~万博民族学博物館 ①
万博記念公園の国立民族学博物館は博物館好きの私の原点になった博物館で、数年に一度は訪れている。
そして、訪れるたびに思う。「文化民俗学者になれば、よかった」と。
私が旅に出る理由は、風景ばかりではなく、その地域の民俗に触れたいからなのだと、それが人生をかけて掘り下げたいテーマなのだと、今頃、悟った次第なのである。
こちらで学芸員をしていた友人がいるが、実は密かに羨んでいる。
寒中お見舞い申し上げます。 ~「遺作」
皆さん、新年、如何お過ごしでしょうか。
私事ではありますが、昨秋の父の逝去に伴い喪中でありましたが、本日、100ヶ日を迎えることとなりました。
生前、お世話になった方々には御礼を申し上げるとともに、父の遺作をアップさせていただきます。
父の一番の趣味が写真撮影で、あちこちのコンテストに応募するのを楽しみにしていました。
22年間、人工透析をして、最後は片目を失明していましたが、カメラを手放すことはありませんでした。
写真は数十年前のフィルムカメラのもので、長野の山奥だと思います。
本年も「ワンダースター★航星記」をどうぞ、よろしくお願いいたします。