日曜絵かきの散歩道 “doucement,doucement”

日曜絵かきは楽しくて孤独 青空に誘われてつい散歩に
“ドゥスモン、ドゥスモン(ゆっくり、ゆっくり)”

VIOLETTE

2016年04月25日 | 映画
この前 二度見した映画
どう書こうか考えているうちに日が過ぎて
別の映画が先になった


パンフレットを隅から隅まで読んだから
パンフレットの受け売りを
書くこともできるけど
自分が見た感想を書こうと思う


ヴィオレット・ルデュック
ボーヴォワールに才能を見出された作家


自分のことを 醜い と思っていて
何かにつけて それを口に出す
私が醜いから 愛せないんでしょ!
といった具合に

付け鼻して醜い女を演じる
エマニュエル・ドゥヴォス
最初は醜いとは思えなかったのが
だんだん醜く見えてきた


たぶん
顔がというよりは やることが
醜いというか 猛烈だからだ
同性愛者の男性に
ぐいぐい迫っていったり
ボーヴォワールの留守宅に
本当はいるんでしょうと押しかけていったり
私生児として自分を生んだ母親に
習慣的に詰め寄ったり


ヴィオレットと対照的に
ボーヴォワールは
いつもきりりとしていて理性的
洗練された雰囲気を漂わせている


両性愛者のヴィオレットは
ボーヴォワールにも ぐいぐい迫って
ついには その思いのたけを小説にする
題名は 飢えた女


ヴィオレットとボーヴォワールの
好きな場面がある

映画の中で
ヴィオレットはボーヴォワールに
2度 花を贈る
2度目の時 すでにボーヴォワールは
ヴィオレットの思いを
うっとうしく思っているのだけど
花束(カラーか何か 茎のまっすぐな花をぎっしりくくった束)を
ぐいと差し出されて
突っ返すでもなく さっと受け取って
部屋を横切っていく


きっとそのあとは
ごみ箱ではなく 水を張ったバケツの中に
放り込んだはずだ
というのは私の想像だけど
その場面は
ヴィオレットとボーヴォワールの関係を
象徴しているように思う

ボーヴォワールは
まるでストーカーのように
つきまとうヴィオレットを疎ましく思いながら
その才能を誰よりも認め
ひそかに生活費の援助までして
ヴィオレットに書くことを続けさせた


40歳を過ぎて
自分には何もない
恋愛もない
孤独しかない
そうわめき散らしていたヴィオレットが
なおも書き続け
得たものは…


solitude (ソリチュード)
フランス語で孤独をそう言うのだと
この映画を見て知った


ヴィオレットの行動を見ていて
自分にも思いあたることがある
私にとってのボーヴォワール
憧れの人
ヴィオレットと違って
思いを伝えるつもりはなかった
恋心には気付くまいと たかをくくっていたら
とっくに気付かれていた
好きという気持ちを 止められず
その人のためにと することのすべてが
いつからか その人の負担でしかなくなり
彼女のために最後に私ができたのは
もう何もしないことだった