goo blog サービス終了のお知らせ 

お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

携帯電話・インターネットに対する提言。

2005年08月14日 | 本・雑誌・漫画
壊れる日本人 ケータイ・ネット依存症への告別

新潮社

このアイテムの詳細を見る

1999年、「アメリカ小児科学会」は、「二歳未満の子供にテレビをみせるべきではない」という「一般への勧告」を出した。つまり、テレビを見る事は、「直に親を始めとする人とのコミュニケーションの発達」を妨げると言うのである。

この事は、今読んでいる柳田邦男の「壊れる日本人」に書いてあった事で、読み進めていくうちに、気分が「鬱」になり、リビングで横たわってしまった。テレビで放送していた「バンキシャ!」の民主党の管さんと自民党の竹中さんの「揚げ足取り」にも嫌気が差し、テレビを消してしまった。

確かに、携帯電話とパソコンの出現で日本人は大きく変わった様に僕は思える。主だった宗教の無い国に、これだけ、大きなツールを与えてしまった事が果たして良かったのかどうか。

1時間位、何をする気も起こらず、リビングに寝そべっていた。
僕もやっている「ブログ」というメディアが一昨年あたりから、急成長を遂げている。降りかかる大量の「情報」に対抗して、個人個人が「主張」を始めたのかもしれない。
こうして、「ブログ」を書いていると、少し「鬱」の気分が改善されるのは、僕も既に「ネット依存症」にかかっているのかも。

「ゲーム脳」になった若者達は、「政治」とか、興味はなく、実はひたすら、「喜怒哀楽」を求めている様に思う。「感動したい」・・・だから、バレーボールやサッカーの試合が支持され、明らかに感動するであろう実話やベストセラーを元にした「ドラマ」の視聴率が上がる。「さまよえる日本人」である。






新潮社文庫新刊「カイン」です。目からウロコがボロボロと・・・。

2005年08月14日 | 本・雑誌・漫画
カイン―自分の「弱さ」に悩むきみへ

新潮社

このアイテムの詳細を見る


昨日、帰宅時にバスが来るまでの間、本屋で立ち読みしていたら、気になって、衝動買いした本です。
「生きる事に悩む」事は多々あり、斉藤茂詫さんの本や加藤諦三さんの本をたくさん読んでいた時期がありました。でも、あの本たちは、「どうどうめぐり」の事しか書いてないのです。
この本は違いました。凄い本だと思いました。200ページ位の本なので゛すぐ読めます。目からウロコが落ちて、僕の周りはウロコだらけになりました。

目次だけ、抜粋して記しておきます。
1. どんなことがあっても自殺してはならない
2. 親を捨てる
3. なるべくひとの期待にそむく
4. 怒る技術を体得する
5. ひとに「迷惑をかける」訓練をする
6. 自己中心主義を磨きあげる
7. 幸福を求めることを断念する
8. 自分はいつも「正しくない」ことを自覚する
9. まもなくきみは広大な宇宙のただ中で死ぬ

哲学者が書いた本です。「哲学」とは、「いかに生きるか、何故生きているのか」を考えるという事だと知りました。



こんな番組は、昔だったら、成立していないと思う。

2005年08月14日 | テレビ番組
何か、世の中に変化が起こりつつある様な気がしている。

一つは日本テレビが作った篠原涼子主演の「アルコール依存症」のドラマ。
もう一つは、一昨日放送されたTBSとフジテレビの「日航機墜落事故に関するドラマ・ドキュメンタリー」。

何故、こう言う事をいうかというと、具体的な会社名は挙げないが、民放には、たくさんの「お酒メーカー」が提供だったり、CMだったりを買ってくれている。その民放が「アルコール依存症」を扱うのは、タブーだと僕は思っていた。あの名作ビリー・ワイルダー監督の「失われた週末」もテーマが「アルコール依存症」だった為なのか、ゴールデンタイムで放送されなかった。

「御巣鷹山の事故」も、「航空会社」という大スポンサーゆえ、正面きって、番組が作られる事は無かった。もちろん、ニュースを除いて。

それだけ、視聴者もテレビの制作者も、「命の大切さ」「人間の心の葛藤」を見たいし、描かなければならない時代だという、無意識な自覚が芽生えつつあるのではなかろうか。

太平洋戦争終戦60年の番組企画も数多い。もう一度、「自分達の生き方」が本当にこれでいいのか?という疑問にさいなまれている人が多いという風に僕は考えるのだが、どうだろう。

「決断をできない上司」

2005年08月14日 | エッセイ・日記・意見
「細かい間違い」を見つけては、「鬼の首」を取ったかのごとく、それを部下に行ってくる上司がいる。僕の所属している部署の話ではない。

それなのに、その部署の「将来的な大きな方針」とか「部下の気持ち」「他部署への大きな影響」「そして、大事な時の素早い決断」ができない。まるで、「郵政民営化で棄権した国会議員」の様だ。

傍から見ていて、見苦しい。確かに、「何も決定しない」のは、「出世の一つの方法」である。つまり、「決定」したという事はその事に対して、自分が責任を負わなければならないからだ。だから、僕も20年以上サラリーマンをやっているが、「決定しない上司」にどれだけ遭った事か。

そして、物事が上手くいくと、「あたかも自分の手柄の様に上に報告」し、物事が失敗すると、「部下の性にする」。もちろん、すべての上司がそういう訳では無いが、そんな人物のいかに多い事か。

だから、細かい事で、「上にアピールできる事」を絶えず探している。部下にとってははなはだ迷惑である。

それと、「偉い人」を知っていると言う事、それだけを「自慢する奴」。いくら、「偉い人と会食しようがしゃべろう」が、言っているお前は偉くないのを自覚せい!と怒鳴りつけたい。本人、鈍感なので、その辺全然分かっていない様だが。

どこの会社でもいると思うが、何が面白くて「生きている」のだろう?組織って、そういう「勘違い人間」を生み出すのです、はい。


「ニンニク」で困った、困った・・・。

2005年08月14日 | 料理・飲み物・食べ物
夏休みも無く、土日以外は働きづめだ。昨日は、まず起きて、「鍼」に行って来た。体じゅうが硬いらしい。「疲れ」が溜まっているのであろう。
起きた時、いつもの「寒天」と「大盛り焼きそば」を食べて、「鍼」に行った。「鍼」が終わって、とてもとても「ニンニクラーメン」が食べたくなり、調布駅前の「ラーメン屋」に入った。「キムチ」と「ねぎ」と「ニンニク」をトッピング。
東京の「ねぎ」は「青いねぎではない事」を忘れていて、ラーメンが出てきた時、ガックリ。ニンニクは300グラム位、積み上がった皿をくれた。それを全部ラーメンに入れる。汁まで飲み干した。

その後、「散髪屋」に行く。混んでいて、40分位待っただろうか。次第に、自分の発するニンニクのニオイの強さに気持ち悪さを覚えつつ、散髪。

帰宅し、何か、夕食を食べようかと思ったが、「ニンニクパンチ」のおかげで、かなりの「鬱」状態に入り、何を読む気も、このブログを書く気も起きず、多分午後7時台には寝てしまったのではないだろうか。

一晩明けて、今でも「ニンニク」のニオイがする。もう僕には「ドラキュラ」は近づいてこないだろう。それだけがメリットだった。