鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

如何にも梅雨らしく、

2023-06-23 14:19:01 | 思いつくまま

       

きょうも涼しさを感じるような一日、暑くなくて過ごしやすいとも言えます。時折小雨がぱらついたり、外は厚い雲に覆われてどんよりとした梅雨空となっています。正午の気温は22.4度です。きのうは21.1度でした。

               

 

先週末から今週はじめにかけてのあの猛烈な暑さはいったいどこに行ってしまったのでしょうか。これで、夏が来るのか、7月になったら暑くなるのか、川にはいれるのか、いろんなクエスチョンが出てきます。

         

 

そうでなくても体調はよろしくないのに、このような天気が続くとますます体調にも影響を、悪い影響を与えてしまいます。夏を迎える準備ができないのです。この自分が!?あれほど夏の鮎釣りにのめり込んでいたこの自分がこんな気持ちになるのは初めてではないでしょうか?いったいどうしたというのでしょうか。

             

日曜日からは気合を入れて鮎釣りの準備をしていかないと。いくら在庫品一掃セールとはいっても、ぜめてチェックくらいはきちんとしておかないとね、川に失礼です、鮎に対して失礼です。喜び勇んで解禁日を待っている鮎釣り師のみなさんに失礼です。

 

 

この前なかなかできないことができました。できないというか、撮りたくても止まってくれないためなのですが。ツバメです。珍しく分流の右岸に止まってくれたりしてくれました。しかも2羽のツバメです。

  

私の持っている「身近な野鳥図鑑」には、ツバメは4種類載っています。ツバメ・コシアカツバメ・アマツバメ・イワツバメの4種類です。広瀬川本流の右岸の崖によく止まっていたツバメはイワツバメなのかな。これは普通のツバメと言っていいのでしょうか。

             

何にしても鳥類はいつまでもずーと猛スピードで急降下したり、急上昇したり、きゅうにuターンしたりはできません。でもツバメはできるのですねえ。少しも休まずに右から左へ、上空から低空へ、時に水面すれすれに飛び交います。すごい能力だと感心するのみですが。

 

飛ぶ生物の動き方と言えば、蝶々も素晴らしい動きをしますし、トンボもそうですね。とっても優雅でいてそれでも変幻自在な動き方をします。信じられないくらいの瞬間的な動きですね。

               

トンボも蝶々も羽は左右に2枚ずつかな。それを実に巧みに動かしながら飛ぶわけです。それを見ているとニンゲンはとても叶わないなと思います。それと感度のよさというのか、身の回りの変化に極めて敏感なのですね。生き物万歳!   降参です。

 

 

きょう23日ですか、インドネシアを親善訪問されていた令和天皇ご夫妻が帰国するのは。約1週間くらいいたのかな。インドネシアといえば先の大戦では言葉に尽くせぬ多大な迷惑をかけた国です。救いは日本が戦争に負けたあと、インドネシアの独立のために戦った元日本兵が多数いたということですね。

          

そういうことも含めて令和天皇ご夫妻がインドネシアを訪問されたことはとっても良かったと思っています。これをきっかけにもっともっとアジアの諸国を訪問してほしいと思いますし、願っています。そのためにも皇后陛下の病気が悪くならないこと、良くなることを願わずにはいられません。

こんな最低としか言いようのない自民党を中心とした政治家にこの日本を任せられません。国際的に見たら恥さらしもいいところです。ところが、もっともそういう政治家を選んだのは何を隠そう!国民なのですからね、何をかいわんやです。ここには失望と絶望しかありません。

いやはやびっくりです、世界経済フォーラムの「ジェンダーギャップ報告書」です。まあ、実にご立派な数字が並んでいます。日本は調査対象となった146か国のうち堂々の125番目の順位(去年は116位)となっています。

宗主国のアメリカは43位(前年は27位)、韓国は105位(99位)、中国は107位(102位)で、最低はアフガニスタンの146位ということです。日本ほど経済大国とのたまわっているものの現実は強固な男児差別が堂々と罷り通っているし、隙あらば戦前の家父長制に戻ろうとさえしているのですから。

 

きょう23日は沖縄慰霊の日です。きのうの朝日新聞の「耕論」では””ヘイト絶つには””と題して3人のインタビュー記事を載せていました。そのなかで、メディア研究者の砂川浩慶(ひろよし)さんの子どものころの経験に衝撃を受けました。

『ヘイトを生む差別や偏見をなくすには、「自分ごと」として考えられるかどうかです。私は沖縄の宮古島で生まれ、小学生から埼玉県に転居しました。3年生の時の担任に「英語で自己紹介してみろ」と言われて「できません」と答えると、バケツを持って廊下に1時間立たされました。沖縄が本土に復帰した直後のことです。』

こんなことを言う先生がいたんだあ~。当時の”でも・しか”先生だったのかなあ。嫌なことですが、これも差別に該当するのかな、当時の大学の学部のランク付けというか教育学部は最下位にランクされ、他の学部には入れないからせめて教育学部に入って「先生でもやるか」「先生しかやれないな」というわけで、先生になるのはバカにされていたことがあるのです。

現在でも、沖縄の基地反対闘争に対してもフェイクニュースが巷に流されていますし、闘争参加者に対して侮蔑の言葉を投げかけたりもしています。78年前何があったかちょっと勉強すればそんなことはできないとおもうのですが・・・・。


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