何なのでしょう、この天気の急変は!! 一昨日が15.7度で、きのうの最高気温はナントなんと何と 20.9度もありました。 2月14日バレンタインデー(関係ないですが)で20.9度ですよ!? だからきのうは過ごしやすかった、とっても。
(午前10時20分頃)
(見てください、広瀬川の本流の流れを。 いい水量となってきました。 雪どけ水でしょうか)
それが何ですか、この急変は?! 許される範囲の急変ではありません。 最高権力者までの決裁を受けなければいけません。 朝方は暖かかった感じでしたが、時間の経過とともに気温は下がり寒くなってくるではありませんか!
(中洲を挟んで分流も生き返ったかのような流れでしょう。)
くるまで外出したのですが、お昼頃は車からの外気温は5度でしたが、3時過ぎには3度になっていました。 こういう天気が一番困るのですね、わが身には。 まるで日本の株式市況のようです、この乱高下は。 経済が安定しないと気温まで不安定になるのですか??全世界の金持ちのため息が気温を不安定にするのかも、・・・・・・・。(馬鹿ですね)
(このくらいの水量が安定的に流れ続けてくれたらさいこうですね、もう。)
(上はきのうの堤防の顔壇から。 下は隣家の梅の木の花です。)
きのうの朝日新聞の文化面の記事です。というか日曜日は読書特集になるので、その一環でしょう。 去年残念ながら亡くなってしまった野坂昭如の世界と題して、文芸評論家の水口という人が書いていました。
書いていることはすごくまっとうなことと思いますが、最後のまとめたところがいいですね。
『無辜の民が飢え、惨い死をむごい死を迎えることへの憤り、少年時代に妹恵子をわが手のなかで餓死させた無力感、空虚感、罪悪感。終末と破滅への警告を、一生発信しつづけた昭和最後の文士だった。人さわがせのパフォーマンスは、「生き残れ少年少女!」という応援歌でもあった。』
一昨日か、買ってしまいました、文芸春秋三月特別号を。 芥川賞を受賞した二人の作品が載っているから買ったのですが、ほかにこういう文章も載っていました。
野坂昭如の奥さんの暘子(ようこ)さんが、50年連れ添った野坂昭如の素顔を、8ページにわたりきれいな文章で包み隠さず?に書いています。奥さんは大分前に、といっても脳梗塞で倒れてからの看病(闘病)記みたいなことを新書版くらいにまとめて出版したことがあります。
そのときからきれいな読みやすい文章を書く人だなあと思った記憶があります。
介護は実に13年目になったそうです。彼女の介護のキャッチコピーは、『あせらない、あきらめない、頑張りすぎない』、そして『私はどんな偉いドクターより彼の主治医は私なのだと自分に言いきかせてきた』と書いています。
そして、作家なのに脳梗塞の後遺症のために、筆が持てないため、『白いボードを求め、毎日日付と名前を書いてもらう』ことを13年間続けてきたそうです。
『彼は自分の病について一言も語ったことがない。一言の文句も愚痴もこぼさない。腹が立つくらい。』とも書いています。いかにも野坂昭如みたいです。 見習いたいことです。 身ならいたことと言えばこうも書いています。
『私は結婚以来ただの一度も料理について文句を言われたことも貶(けな)されたこともなったのです。遅かろうが拙かろうが、必ず何か誉める。そしてご馳走さまと言う。』
わたしも極力作ってもらった料理については文句は言わないようにしていますし、文句は言ったことがない(つもりです)、不平はあるかも、こうして欲しかったとかは遠慮がちに言うことはあります。美味いときは美味いとは言っています。もちろんご馳走様とも言います。
(合掌)
『人間だけが戦争をする。愚かな生き物だ。たくさんの犠牲の上に今の日本があり、二度と戦争をしないことが死者に対する礼儀である。戦争は醜い。戦争は悲しみしか残さない。』
最後に野坂のこういうことも紹介しています。『ぼくは自分の食べた物を、牛のように反芻することができる。今でも出来る。悲しい癖だ。』と。
『飢えを満たす方法として、十四歳の頃に身につけた悲しい特技。これからの子供達にそんな思いをさせてはならない。悲しすぎる野坂の言葉だ。』と奥さんは言います。
この部分を読んでいて思い出したのはこのブログでも書きましたが、広島に原爆が落とされた後のヒロシマの惨状です。子どもたちがやはりお腹を空かせています、食べるものがありません、そこでどうしたか道路に落ちている”石”を拾って口に入れて、飢えを一時的でも凌ごうとしたことです。
下水口の大きな厚い鉄のふたが少し開けられていました。 先月からかうちの町内周辺で下水管の中にたまった汚泥を取り去る作業と管のなかの検査をしていますので、その一環としてここの開かずのふたを開けたのだと思います。
つっかい棒をしています。出来てまだ使われていなかった頃は、このなかに入ってよく遊んだものです。