鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

是非とも読んでください!

2016-02-21 15:26:00 | お知らせ

 雨も上がり朝からいい天気ですが、一部に黒い雲があり、午後から雨になりそうだという予報が当たるような天気です。 でも暖かい一日となりました。

            (午前10時頃の東方面の様子)

  

                (同じころの南南西方面の雲の様子です。)

            

 見ましたか?「題名のない音楽会」です。 きょうは世界的に有名になりつつある、あの若きマエストロ 山田和樹 さんが出ました。 若いからでしょうね、また自信があるからでしょう、いろんなことに積極的に挑戦しています。

              

( きのうの雨の影響でしょうか、広瀬川は水量が増えています。)

 

 (いい水量です。分流なんかすっかり生き返ったかのようです。)

             

 きょうはもう山田和樹さんの独演会と言ってもいい内容で、あっと驚くようなことに挑戦していました。 といってもそれぞれの演奏形態は、世界的に見れば誰かが実際にやっているものなのです。それに挑戦したということ。 でもその挑戦と言うか、オーケストラのメンバーにとってはある意味挑発行為です。その挑発にきちんと応えるところはさすがプロのオーケストラです。

              

 

 挑戦その1;ノーリハーサル・・・リハーサルを行うと、どうしても制約を感じることがおおくなります。 そこで一発勝負の緊張感のある演奏をしたいということ。演奏の自由さが感じられるとか。

                          

 挑戦その2;譜面台を無くす・・・つまり完全な暗譜で演奏すること。演奏者は全ての情報を覚えなければならないし、ひとつの曲を何度も真剣に練習しなければならない。 演奏が生き生きとし、音楽に自由さが感じられる、インスピレーションが音にすぐ反映されるということです。

 

 挑戦その3;配置をバラバラにする・・・現在の標準的な楽器の配置は、1930年以降に確立されたもののようです。さまざまな音がミックスされるのではないか、新鮮な響きが生まれるのではないかということでの挑戦ですが、大きなまとまりを感じるし、演奏者の自主性を感じるとのことです。 オケがより一生懸命になるので、ひとつにまとまるとか。第1バイオリンの人がティンパニーの席で演奏したのですが、”時差”が生じるとかいっていました。

                  

 挑戦その4;オケメンバーに歌ってもらいたい・・・自分の担当の旋律を歌うことは曲全体のイメージをつかむのにいいとか。演奏者のテンションが上がって、、演奏効果も上がったとのこと。 前半を歌って後半を楽器演奏するのですが、そうするとモノクロからカラーになった感じとか。演奏の幅が出て感動を与えるとも。

  

 それぞれ異なった曲を演奏したのですが、如何せん私の耳ではどれも何も変わらないというか変化は感じられませんでした。寂しいですけど、それが普通でしょう。 プロの世界はやはり違うものだと感じた次第です。 でも楽しかったですね。

                          

 何といっても山田和樹マエストロには好感をもっていますから。このブログでも何度か書いていますが、私も実際に彼の指揮でベートーベン交響曲第9番の第4楽章「合唱」を歌ったのですから。 それも子どもたちと一緒に、さらに大人のパートはテンデンバラバラにシャッフルされた状態での合唱でした。この経験は強烈でした。だから忘れようにも忘れられません。

   

 

 ここからが短い本題です。 みなさんは河北新報をとっていますか?私はとってはいないので分からなかったです。オンラインのニュースは毎日受信はしてたのですが。去年の12月1日から19日にかけて15回シリーズで掲載されたものです。

                 <もう一度会いたい>

 じつはそのことを知ったのはこれを読んでいた時でした。

        

        (拡大して見ると) 

 これは雑誌「世界3月号」のなかの 『特集 震災から5年「集中復興期間」のあとで』の最初の対談記事です。 対談者の伊藤寿行さんが河北新報の報道部副部長だったときに、100時間に及ぶインタビューをもとに記事にしたものです。

               

 これは私が自分用に15回分とあとがきをA4にコピーし、読みやすいように目次をつくって印刷して製本したものです。

 読んだ後の感想等は後で書きたいと思っていますが、圧倒された連載記事でした。 よくぞここまで掘り下げて書いたものだ、よく書くことを許可したものだ、インタビューするだけでも大変だったろうに、・・・。

 石巻市在住の今野ひとみさんと今野浩行さん夫婦は、7人家族でした。夫婦のほかに夫の両親と3人の子ども(長女(当時18歳)・次女(16歳)・長男(12歳))がいました。しかし、2011年3月11日の東日本大震災による巨大津波で、夫の両親と3人の子どもを一挙に亡くしてしまったのです。

 全く予想もしないことです。まさか5人も一度に無くすことになるなんて当時考えること自体がおかしいことでしょう。しかし現実にまったく思いもよらぬことで一度に周りの家族を失い、夫婦二人だけになってしまいました。 失礼ですが親はまだしも、子どもが3人とも、子ども3人が突然目の前から居なくなってしまう現実。

 想像できますか。 わたしにはいくら想像してみようと思っても想像の域をはるかに超えています。軽々しく感想なんてとても書けません。圧倒されて、黙っているしかありません。

 当時長女と次女は高校生、長男はあの大川小学校の6年生でした。

 でもこのブログをご覧になってくれている皆様には、是非ともまだ読んでいないのならネットで検索して読んでもらいたいと切に願うものです。こういう人がいたということを覚えておいてほしいと思います。

       


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