5月3日火曜日、憲法記念日。毎年この日は改憲派と護憲派が競って集会を開き、市内をデモ行進するのが恒例でしたが、今年は3月11日の巨大地震がその流れを変えてしまったのでしょうか。
昨日から一番のニュースは米軍によるオサマビンラディンの殺害のようです。9・11の報復がようやく叶ったというのでしょうか。アメリカとしてはこれで面子が保たれ、オバマ大統領もこれで支持率がアップして再選が有利になると喜んでいるのでしょうか。
考えてみればオサマビンラディンもアルカイダも、もともとはアメリカが養成した人物であり組織ではないですか。それがいつしか親米組織から反米組織になり、ついには飼い犬に大怪我をさせられる始末。
これでイスラム過激派のテロ、反米闘争がなくなると考えますか、本気でそう思いますか。甘く楽観すぎやしませんか。オバマになって少しはましになったアメリカではありますが、まだまだアメリカ帝国主義は世界にとって打倒の対象であることに変わりはありません。
そもそもアメリカがかってに国外で、自国民ではない人間を殺害すること、これは許されることなのですか。逮捕拘束するのならまだしも、一気に殺害とは、しかも彼の子どもと女性も殺害するとは、許されることなのでしょうか。まるでアメリカが世界を牛耳っている。世界の警察であり軍隊であるという思い上がり、世界を何とでも出来るという鼻持ちならぬ思い上がり、そういう気持ちに基づくさまざまな行動が世界から反発を買っているわけです。
なぜアメリカは世界から嫌われているのかそのことを謙虚に考え、慎み深さを身に着けるべきです。世界の金の亡者はアメリカを絶賛するでしょうが、私みたいなプロレタリアートの息子はアングロサクソンは好きにはなれません。アメリカは建国時代に戻って謙虚に時刻の歴史を反省し、生まれ変わっていかなければなりません。アメリカの先住民を虐殺、抹殺したこと、ここから虚心に反省しなければ世界から好意を持たれることはないでしょう。
話しは逸れてしまった。
唱和(syouwaと入力して変換したら、「昭和」でなくて「唱和」が一番先に出てきた!!何だ、これは!)20年の、昭和20年の今頃は沖縄では沖縄の住民を巻き込んでアメリカ軍と日本軍の激戦が展開されていました。3月26日からの戦闘は、アメリカ軍優勢の展開で、戦史によると小波津での戦闘、前田高地での戦闘が行われていたようです。
5月3日は憲法記念日。この日は憲法とあわせて沖縄戦についてももっと語るべきです。300万人近い人々の犠牲によって、新憲法ができたといってもいいでしょう。日本国憲法はまさに平和の象徴、平和と対極にあるのが戦争です、その際たるものが沖縄戦です。だからもっと沖縄戦について思いを馳せ、語るべきです。
沖縄戦といえば住民虐殺、日本軍による直接の殺害ではないが自決を強いたということからいえば、集団自決は集団虐殺に他なりません。大江健三郎の岩波新書「沖縄ノート」に対する最高裁の判断が下されました。軍による(また揺れている)強制された集団自決ということが認められました。
そうなのです、沖縄戦は軍隊というところはどういうところなのか、軍隊の本質は何かを教えてくれるからこそ、憲法と一体のものとして教え、学ぶ必要があると考えます。日本もアメリカ同様、先の戦争について、軍隊の行動について深く反省し、謙虚に学ばなければなりません。
堤防では八重桜が咲き誇っています。京都の二条城の八重桜もきれいでしたが、いまもあるのでしょうか?むかしむかしの話ですが。
桜を愛でて戦死者や大津波で亡くなった人を偲ぶといったら怒られますか。無念さを抱きつつ桜を見る、ゆるされることと思います。
日本に世界に平和が訪れますように。