今朝方の民放テレビで見ました、聴きました。
「あすという日が」という歌を。
仙台市立八軒中学校の吹奏楽部と合唱部による演奏を。中学生が全国大会への出場を断念して、代わりに避難所となっている中学校で、避難している人々を前に歌いました。まさに天使の歌声、透き通るような歌声はすんなりと琴線に触れました。響きました。感動しました、静かなさわやかな感動。涙が滲んできます。
こういう歌があったのですね。歌詞と一体となった旋律が、今大地震、大津波の被害を受け、打ちひしがれ、明日に希望を見出せない被災者の気持ちにそっと寄り添い、見守りながら励まします。心に沁みてきます、聴いているだけで。
AC Japanのメッセージよりも、一企業であるサントリーですか、企業名を前面に出さないで流れてくる「上を向いて歩こう」や「見上げてご覧 夜の星を」がいいなあと思ってましたが、この曲を聴いてからは「あすという日が」が大震災からの復興に立ち向かう人々の心の支えになるのではないでしょうか。
何といっても「頑張れ」「頑張って」「頑張ろう」なんかよりはるかにいい。今日の朝日新聞の声欄の投書にもありましたが、我々日本人はあまりに安易に”がんばれ”という言葉を使いすぎます。それだけ便利な言葉であることは間違いないですが、ともすれば無責任な言葉にもなります。”がんばれ”といっておけばなんでもそれですむという雰囲気が嫌です。私は個人的に極力使わないようにしています。言うべき言葉が見つからなかったら、黙って見つめるだけでもいい、黙って見守っていればいいと思います。
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青空に手をのばす 細い枝 大きな木の実をささえてる
いま 生きていること いっっしょうけんめい 生きること
なんてなんて すばらしい
あすという日があるかぎり しあわせを信じて
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ふまれても なおのびる道の草 踏まれた後から芽ぶいてる
いま 生きていること いっしょうけんめい 生きること
なんてなんて すばらしい
あすという日が くるかぎり 自分を信じて
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昼前にイトーヨーカ堂に買い物に行きました。水産物販売コーナーから戻ってきた妻がいいました、「鮎がいっぱい並んでた、多分養殖だろうが」と。
すぐに行って見ました。いました、ありました、たくさんのあゆ・アユ・鮎が。岐阜県の養殖アユですが、氷の上に30から40匹くらいのアユが無造作に並べられていました。2匹セット、3匹セットのものもありました。
大きさは22センチくらい、養殖アユではありますが、そんなにデブちゃんアユではなかったです。1匹@198円でした。
今年初めてアユを見たのかな、そんなこともあり写真を撮ろうと思い、勝手に撮るのもなんだから店員に「写真を撮ってもいいですか?」と殊勝にも聞いたところ、彼は奥の方に行って鮮魚の責任者なのでしょうか、そういう人としばらく話しをしてから戻ってきました。
時間がかかったので、これだめだろうなと思っていたら、やはり「撮影はどうも」というお断りの返事。「そうですか、私はアユ釣りが大好きで、こんなにもたくさんのきれいなアユを見たものだから嬉しくなって写真を撮りたくなったのですが。」といってその場を去りました。
これで一人の客をなくしました。どこをどう見ても商売敵ではないし、どうぞどうぞと言って撮らしてくれたらよかったのに。デジカメだからどういう風に撮れたか見て判断できただろうに。
これでも商売人なのでしょうか。そうか、これが仙台商人の典型ということかも。サービス精神に欠け、殿様商売をしてしまう。「写真、何枚撮ってもいいよ、その代わりどんどん宣伝してよ」というようなことを言えないのでしょうか。残念です。