鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

8月15日

2008-08-15 22:41:41 | 思いつくまま

 今日8月15日は、63回目の終戦の日、敗戦記念日。

 

 13日の朝日新聞です。見出しは、「国体護持へ『戦うべき』」 「東条元首相 終戦直前メモ」 というもの。

 太平洋戦争開戦時の首相だった東条英機が、昭和20年(1945年)8月10日から14日にかけて書き残した直筆メモが国立公文書館から公開されたそうです。

 

 中心は、ポツダム宣言が求める「日本国軍隊の完全武装解除」への懸念で、武装解除に応じてしまえば国体護持は「空名に過ぎ」なくなると主張し、「敵」が国体護持をを否定すれば「一億一人となるを敢然戦うべき」と上奏したとのこと。

 

 最後の14日のメモは、「道徳上の責任は死を以て御詫び」「敵の法廷に立つ如きことは、日本人として採らざる」と自決を示唆しているそうです。

 

 この期に及んでもこんな戯言としかいいようのないことをいっているのにはホトホト呆れてしまいます。 国民のことなんかどうでもいい、全ては国体が護持されるかどうか、されなければ一人になっても戦って死ね、ということ。

 

 そして一応は自決を試みるも、完璧な自決の方法も知らずに、心臓をピストルで狙うという形での自決、本当に死ぬ気があったのかどうか、甚だ怪しいものです。茶番劇の自決まがいの自決で助かり、結局は絞首刑。

 二重三重の恥の上塗りです。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓により、死ななくてもよかった兵隊が何十万人死んだことか。

 開戦時の政治家として、軍人として最高の地位にいた人間がこの有様。

 

 そういうA級戦犯を祀っている靖国神社に参拝する恥知らずの首相経験者たち。

 

 第一、270万人といわれる戦没者の半分以上の人たちの遺骨は帰ってきていません。東南アジアの地に埋もれたままです。失礼な言い方ですが、いわばほったらかしです。

 さらにいうならば、犠牲者のうちの大半は戦死ではありません。十分な武器を持って対等に戦って死んだのであれば、いわば軍人として、兵隊として本望といってもいいのかもしれません。

 戦没者の7割近くは、実は餓死や病死というではありませんか。逃避行のうちに飢え、病気になり、望郷の念にかられつつ死んでいったわけです。餓死するのならと、人肉食までさせられたというではありませんか。畜生道にまで落ちていったわけです。誰が責められるでしょうか。

 

 本当にたくさんの尊い犠牲者のお陰で現在の日本の平和があると思うのであれば、そのことを祈るために靖国神社に詣でるというのであれば、お金はいくらかけてもそれら野ざらしになったままだった遺骨、今は現地の土に埋もれているのでしょうが、その遺骨を探し、日本に持ち帰るべきとは思わないのでしょうか。最後の一人になるまで遺骨は持ち帰るという気持ちにはならないのでしょうか。

 

 そういう肝心なことを抜かして、軽々しく英霊だなんていうべきではありません。祖国のために死んでいったと本当に思うのなら、また本当に顕彰したいと思うのであれば、なぜ遺骨収集を再開しようとしないのでしょうか。

 

 それこそが本当に戦没した兵士を弔うことであり、平和のありがたさ、尊さを身をもって感じることにならないでしょうか。

 いつまでも戦後は終わらないことになりますが、それでいいと私は思っています。愚かなことをくり返さないためには、それしかないし、そうすることによって、継続することによって、依然として世界から戦火は途絶えませんが、戦争をしている国に対して戦争をするなと強くいえるのではないでしょうか。

 国連の舞台で、平和の尊さを訴えることができるのです。

 

 そんなことを考えた今日、8月15日でした。 合掌


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