笑点50周年だそうだ、すっごいねぇ。
先週の番組で昔の映像の中で座布団の供養をしているところがありまして…。
日本人のこういう所好きだよなぁ、と思うのであります。
他にも針供養だの、包丁供養だの、人形供養だの、個人的な供養も入れたらありとあらゆる愛用品に対して供養がなされているんではなかろうか。
もちろん中には「悪さをしないでね、安らかにしていてね、悪霊にならないでね。」と願う供養もあるんだろうけど。
日本人は神様や仏様の他にも八百万の神様がいる、となんとな~く思って来てるよね。
昔の人程じゃないにしても自然の色々なものに神様が宿っていると、私は思っております。
台所の神様とか歌にもなったトイレの神様とかもね。
愛用していた道具だって使えなくなった時には、「ありがとね、お気に入りだったよ。」って感謝しながら処分するもんなぁ、
お友達はお酒と塩を振って感謝して処分すると言っていた。
まぁ、つまるところ根底にあるのは感謝の気持ちなんでありますなぁ。
「お日様、温かい日差しをありがとう。」
「恵みの雨をありがとう。」
「実りをありがとう。」
無宗教な私でもこう思うというのは、ずっとずっと昔から日本人がそういう感性を持ってきていたからだと思うのよね。
時代が変わっても環境が変わっても、こういう感性はなくならないで欲しいなぁ。
先週の番組で昔の映像の中で座布団の供養をしているところがありまして…。
日本人のこういう所好きだよなぁ、と思うのであります。
他にも針供養だの、包丁供養だの、人形供養だの、個人的な供養も入れたらありとあらゆる愛用品に対して供養がなされているんではなかろうか。
もちろん中には「悪さをしないでね、安らかにしていてね、悪霊にならないでね。」と願う供養もあるんだろうけど。
日本人は神様や仏様の他にも八百万の神様がいる、となんとな~く思って来てるよね。
昔の人程じゃないにしても自然の色々なものに神様が宿っていると、私は思っております。
台所の神様とか歌にもなったトイレの神様とかもね。
愛用していた道具だって使えなくなった時には、「ありがとね、お気に入りだったよ。」って感謝しながら処分するもんなぁ、
お友達はお酒と塩を振って感謝して処分すると言っていた。
まぁ、つまるところ根底にあるのは感謝の気持ちなんでありますなぁ。
「お日様、温かい日差しをありがとう。」
「恵みの雨をありがとう。」
「実りをありがとう。」
無宗教な私でもこう思うというのは、ずっとずっと昔から日本人がそういう感性を持ってきていたからだと思うのよね。
時代が変わっても環境が変わっても、こういう感性はなくならないで欲しいなぁ。