志情(しなさき)の海へ

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「諸屯」の型ですが、玉城盛重さんの高弟護得久朝章さんの手はまた格別ですね。

2015-01-16 10:07:11 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

         (この写真は3月10日に「辻が支えた沖縄芸能」の題で講演してくださる宜保栄治郎先生の著書『琉球舞踊入門』の中からもってきました。)謝! この本は静かなベストセラーなのかもしれませんね。写真もいいですね。辻の芸能について調べているのですが、辻は近代芸能の母胎であり、「ジュリ」の女性たちの芸は一つの芸能史として評価すべきだとの立場で論稿を書いています。3月10日にはその一端を御紹介できたらと考えています。

(このスケッチは金城光子先生の『舞踊における美への視点』から写真を撮らせていただきました。眞境名佳子さんの「諸屯」の全容、動さスケッチが紹介されています。手の違いが明らかにわかります。舞踊を研究されている方や実演家の参考になりますね。諸屯の構成も細やかに紹介されています。

こちらは眞境名佳子さんの型です。同じ所作でもこんなに違います。腰を折ったように屈んだ姿勢の護得久さんに対し眞境名さんは中腰ですね。型の統一がなされた時、眞境名さんの型に統一されたのでしょうか?手の位地も違いますね。顔を隠すかのような所作が佳子さんで、護得久さんは顔を見せて手をあげていますね。

昨今琉球舞踊が気になっています。

盛重さんの型はどなたが現在継承されているのでしょうか?料亭那覇の女将だった上江洲フミさんは「諸屯」の名手だったそうですね。写真が残っているとのことでぜひ見たいです。琉球女性のフェミナンな女舞踊の代表ですね。座敷芸とも言えますので、辻では人気があったのではないでしょうか?男性舞踊家の手ともまた女性は微妙に、変わっているようです。戦前、辻で踊っていた芸妓の方々の舞踊はまた魅惑的だったでしょうね?座敷芸と舞台芸ともまた微妙に異なっていたのでしょう。しかし、女踊りは一人で踊る限り、あまりスペースは必要ありませんね。王府時代は一人でおどることはなかったようですね。

≪やっとブログの編集が元に戻った。謝!これでまた以前のように続けることができる。時間泥棒だけど、ブログやツイターで世界とつながっている感覚、は何だろう?≫


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