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沖縄昭和遺跡「伝説の料亭・左馬」とOCN≪かつてここは料亭だった~「左馬」物語~≫を見た昨今!

2015-04-04 12:17:42 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

                       (このマップは那覇市歴史博物館所蔵からの転載です、謝!)

沖縄昭和遺跡「伝説の料亭・左馬」

料亭左馬についてOCNの城間保志さんも放映していましたね。2014年12月20日です。≪かつてここは料亭だった~「左馬」物語~≫です。先日出演した方からDVDを見せていただきました。左馬の歴史に興味を持って見ていたのですが、ネットに打ち込むと出馬さんのこのドキュメントがありました。左馬のかつての豪華さをこれでもかと伝えています。親川キヨ、親川つるさんたち母娘の戦後の勢いが感じられますが、なぜ左馬は時代にのれなかったのだろうか? 

出馬さんの映像から左馬の内部が伝わってきて良かったです。ここに多くの歌・三線に優れた多くの女性たち、また踊り子たちがいたのですね。左馬は戦後は栄街にできて、それから1951年に豪華な料亭として誕生したのですね。上村梁ではなく前村渠を代表する戦前の妓楼が戦後は料亭として再生したのですね。歴史が刻まれた建物がそのまま壊されたことは残念です。それはすなわち沖縄の文化行政の陥穽を示しているかと考えます。

女性芸能者の歴史をつまり270年間の遊里・遊郭で継承されてきた芸能が無視されてきたことでもあり、人権意識から女性たちが辻が育んだ祭祀芸能まで阻止する始末ですから、歴史や文化を見る眼差しの負の部分を嫌でも見せつけられます。

また男性たちが多い古典や民謡にしても、眼差しがどうも歴史や文化の表を評価してもそれを支えてきた裏なり根の部分を無視してきた、蓋をしてきた戦後の沖縄でもあったのかもしれませんね。今掘り起こしているが、かなりの隠ぺいがありますね。玉城節子先生は花風を踊り出馬さんの次の映画の重要人物ですが、お母様は歌三線に優れた芸能者だったのですね。左馬で三線を弾いていたのでしょうか?辻や仲島、渡地の遊里があってこそ芸能が滔々と継承されてきた歴史の文化価値をそろそろしっかり評価すべきですね。そのために論文を書いているのだが、実証データは盛りだくさんです。2004年にトヨタ財団から助成をいただいてはじめて辻遊郭と芸能について足を踏み入れたのですが、現在琉球舞踊界で羽振りのいい方々が辻などと関わりがあるのが歴史ですね。

一方で歴史を隠ぺいせんとする勢力もありますが、そのための歪みはまた直されていくのでしょうが、真実なり事実を見据えるのは痛い点がかなりありますが、それでも見て聞いて記録し、後世に残すのが今の私たちの責務ですよね。

芸能の神様のように尊敬されている玉城盛重さんは辻で舞踊とお箏を教えていましたね。有名な舞踊家は上間郁子さん、御一緒に「姉妹敵討」の舞台にも立っています。玉城盛義さんは辻で多くの芸妓に舞踊の指南をしていますね。三番目の奥様も元辻のジュリだった才覚のある方ですね。古典音楽家の幸地亀千代さんはお箏に優れた芸妓のなへさんと結婚されています。事例は多いですね。新垣松含さんも辻に稽古場を持っていたのですね。伊良波尹吉さんの多くの歌劇の中には辻の物語も秀作になっています。「思案橋」とかー。親泊興照さんも詰ジュリがおられたのですね。光裕さんも艶話が多いですね。つまり艶と芸能は古事記の神話の世界からして、「あまのうずめのみこと」に見るように、神話や信仰体系に必ず関与してきますね。ジュリ馬の芸妓たちも神女の瓜二つ(体系)だと、伊波普猷説です。古いシヌグなと裸踊りですね。信仰、芸能、セクシュアリティーは三つ巴です。エロスとタナトスのスウィングの中に私達が生き生かされているからでしょうか?浮世をどう生きるかですね。谷茶の按司のことばはいいですね。

『左馬』から話がドンドン拡散していきますが、OCNの城間さんの映像を見て、歴史のつながりが見えてきました。それは『左馬』がかの悪名高い奈良原繁が明治41年に渡地と仲島を辻に統合する前から、渡地で羽振りのいい妓楼だったことが推定できるからです。辻に統合された時、海岸の方の前村渠の方に集合させられた可能性が高いですね。推定ですがー。その歴史の推移に薩摩在番もまた絡んでいますね。薩摩の役人は現地妻を薩摩に連れ帰ることができなかった。それで残される妻と子のためになんらかの金策(生活の糧)をしてあげたのですね。「情」が流れています。単に支配と被支配ではない人間の関わりがありますね。

城間保志さんが、『左馬』と関わりのあった方々を映像に捉えたことはたいへんなご苦労があったと推測するだけですが、あれだけの料亭が多くの秘められた物語と共にあったであろうことも想像できます。表に出なかった優れた踊り子や優れた多くの歌・三線やお箏の演奏者・唄者たちのことはもっと知りたいですね。歴史を自ら隠ぺいすることのないあり方は、どの時勢でも問われるようです。


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (匿名希望)
2021-11-25 13:29:43
はじめましてこんにちわ。左馬でバイトしていました懐かしい風景です。
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コメントありがとうございます! (nasaki)
2021-11-28 20:48:49
投稿者さま

ぜひ、左馬の当時の様子をお伺いしたいです。

よろしければ電話かメールをお教えください。それはメッセージ用で表に開示されません。

よろしくお願いします。
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