琉球大のキャリア授業の一コマで演劇について講義することになったけど?!よく生きるとはよく演じること☆日本の大学の「遅れ」は、この分野では全くたいへんな状況なので、急いで紹介する2冊の本を読んだのだが、それらを講義しても意味が...
人はそれぞれに複数の仮面をかぶり、日々それぞれの劇場(場所)で
役割を演じている存在である。それは誰にも否定できない。まったく同じ
仮面をかぶって生きている人はいない。一つの性格をもっているわけでも
なく、多様に場所や時間によってまた変わりうる身体と精神/感性をもっている。
公の顔、私的な顔があり、それらが交わる場面で個々の人間の本質が垣間見える
時もある。XXの役割をいくつも演じのけている個々の人間はすごい存在だとも
言えようか。宿命的に当てがわれた役割がある。逃げようにも逃げられない人類史が
滔々と流れてきた何千年、そして地球の生命が培ってきた49億年の果てしなく続いて
きた生命体として生き延びてきた現在、この存在は有機的で無機的であり、途方もない
が時や記憶が刻まれているのである。と、そんなことを考えると、とてつもなく今呼吸をして
ここに存在していることが、とても尊いことに思えてくる。
そして演じること、演じさせられる義務や、規範や、役割や、感性・思いがあり、そして、
日々の生きる日常の闘いがある。ゴールは見えていて、そこに向かっているのに、意識は
いつでも永遠にここにそうしているような錯覚を覚えたりしている。昨日は今日と決して同じ
ではなく、明日もまたかすかに、ひそかに、違っていくのだ。確実に変容していく事実が
ある。 しかし消える実態があり それでいて永遠を刻む営為がありつづける。
それぞれの舞台に立って歩いている。たまにワルツを踊ったり、そして走ったり、歌を
歌ったり、怒ったり、笑ったり、沈黙に落ち込んだり、その道のプロとしてパソコンの前で
緻密な作業に追われたり、スポーツに興じて競争心を剥き出しにしたり、生きている。
国家を背負った自負心で 脳内細胞が沸騰したりもする方々も役者だ。演じている。
誰もが何かを演じている。演じることのすごさがここそこにあふれている。おはようの
笑顔のあいさつは相手へのおもやり、優しさだよ、 と言い切った彼もまた演じている。
いい役者である君も、下手な役者のあなたも、生きている。
いい舞台、いい劇場を求めながら演じている。舞台や劇場を人生やあらゆる場に例え
ていい。それぞれが主人公を演じている。それぞれの輝く舞台があるはずなのだ。
その舞台を劇場を 社会を地球をよきものにしたい。
---なかなか論文完成は難しい。一挙に!