志情(しなさき)の海へ

琉球弧の潮風に吹かれこの地を掘ると世界と繋がるに違いない。世界は劇場、この島も心も劇場!貴方も私も劇場の主人公!

1936(昭和11)年頃撮られた驚くべき写真、ジュリ馬の女性たちは白足袋をはいて路上で踊っている!

2013-10-06 22:43:27 | ジュリ(遊女)の諸相:科研課題

       (1936年頃撮影されたジュリ馬の写真。白足袋を履いたまま踊る女性たち≪琉球大学附属図書館≫に感謝しながら)

(この写真は以下の琉球新報記事で紹介された「琉球舞踊写真解説」の中に含まれた貴重な写真である。従来写真スタディオでこのような姿で撮られたジュリ馬の写真はすでに紹介されているが、この写真は従来のジュリ馬のイメージをまた塗り替えた。裸足で歩き回る沖縄の民衆も多かった時代である。見学の民衆は下履きを履いているが、このジュリ馬の女性たちは白足袋のままで踊りの構えをしている。写真館の写真とも比較してみたい。馬は赤馬である。扮装も、髪の飾り(長サージ)も着付けも差異がある。写真館の内装のイメージも異なる。同じ写真館で撮られた写真などの収集や分析は、沖縄のコレクター友の会の皆さんがかなり前から取り組んでいるのだが、一枚の写真から実に多くのメッセージが伝わってくることに驚く。上の写真は赤瓦、白瓦の辻の妓楼の建物が背後に大きく並んでいる。傍らの民衆の貧しさが浮かんでくる。小さな子供たちもまたジュリ馬見物に馳せている。スタジオの女性たちは美しい。選り抜きのジュリだったのだと、推定できる。ハレのジュリ馬の日に記念写真をした美妓の女性たちがいたということがわかる。(新しい発見ですね!)下の写真スタジオのジュリ馬姿の女性たちは大正時代辺りに作成された絵葉書の中の写真である。写真館で撮影され販売された物も多い。「那覇歴史博物館」より。この白足袋を履いて写真館で写真を撮った女性たちが、そのまま通りでジュリ馬を踊った可能性もあるのですね。

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独の特使に芸能を紹介 1936年撮影、同化の中“沖縄”発信2010年4月12日 

 1936年ごろに県内で撮影された琉舞の写真や解説を収めた「琉球舞踊写真解説」(琉球大学付属図書館所蔵)にドイツ特使や琉舞関係者らの集合写真が含まれていることが11日までに分かった。琉舞の歴史などを研究する琉球舞踊研究会(又吉靜枝会長)が確認した。専門家によると、戦前は日本への同化が進み沖縄文化を否定する風潮が強かったにもかかかわらず、海外の要人をもてなすため琉舞を独自文化として紹介したことがうかがえる貴重な資料という。
 「琉球舞踊写真解説」は36年に来沖したドイツ人、ドクトル・M・トラウツ博士が所有者だったとみられる琉球舞踊の写真貼込帳。トラウツ博士はドイツ大使代理特使として36年11月に宮古島で行われたドイツと宮古の交流を深める「博愛記念碑建立60周年記念式典」に出席し、その帰路、那覇市に滞在。滞在中に同市内の写真館などで撮影された17枚が収録されている。
 このうち弁護士の安慶名徳潤宅で撮影された集合写真にはトラウツ博士や舞踊家の新垣松含、松含の次女で人気が高かった女性舞踊家の新垣芳子、のちに琉球新報社社長を務めた又吉康和、沖縄研究者の島袋源一郎ら当時の文化人が並ぶ。
 新垣芳子さんをモデルにした「鳩間節」「花風」などの舞踊写真も9枚ある。芳子さんの同じ写真は他の複数の書籍にも見受けられる。那覇市辻の女性たちが踊る「ジュリ馬」や「紅型衣裳(いしょう)」なども収められている。
 沖縄芸能研究家の崎間麗進さんは「戦前はウチナーンチュ自体が沖縄の文化に否定的で、琉舞を見る人は限られていた。ただ、外来の人には組踊や琉舞を文化として披露した。写真もそれを示すものだろう」と語る。琉球舞踊研究会の鈴木耕太さんは「沖縄側が当時人気の高かった踊り手の新垣芳子の写真入りでトラウツ博士へ渡したのではないか」と指摘した。
(古堅一樹)

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2014年3月8日、県立博物館・美術館講座室(100人)で『絵画、写真、芸能に見るチージ(辻)、ジュリ』のフォーラムを開催します。絵画や写真、芸能や文献にみる近代沖縄の遊郭・チージ(辻)、ジュリ(伊波普猷が尾類と記述した女性たち)についての報告と質疑を持ちます。

これは科研・研究『沖縄の文化表象にみるジュリ(遊女)の諸相』(2013・4-2016・3)の一環として、開催します。2014年11月、2015年2月、2015年11月にも開催する予定です。その他、沖縄のチージ、芸能、ジュリのテーマで民謡、琉球舞踊、沖縄芝居、映像などの舞台を企画したいと考えています。なぜか?近世・近代の琉球・沖縄の歴史の中で埋もれていた文化史(芸能史)・生活史・女性史・ジェンダー史すなわち歴史総体を見つめなおし、新たな掘り起こしをするためです。難しい言葉では歴史の再構築≪解釈≫になるかと思います。戦後の沖縄文化の表象も対象にします。

 


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