能の理念は幽玄、侍の身体と魂の品格(?)組踊は琉球士族のチュラの理念(?)そうだろうか?昨日の紙面のこの寄稿が気になって観世寿の著作集全四巻の中の一巻『世阿弥の世界』をめくった。お能を創設した観阿弥世阿弥は侍ではなかった。の演戯者だった。江戸時代にお能は式楽になっ...
去年のブログが送られてきた。1年前にこんな事を考えていたのだと
備忘録にはなる。美意識の在り処である。倫理性のありかでもあろうか?
真善美、琉球・沖縄の美意識はまた独自の真善美の世界をもっているの
だろうか?真実があり、善があるならその真逆の嘘も悪も醜もある。
美意識の対局にある醜悪なるものが何なのかも、興味がわく。
それとも美醜は伴ってありえるものなのか、伴ってもいると言えようか?
美はまたその影を写し出す。醜も美を隠しもっている。生の中に死が常に
潜んでいるように。死はまた生を再現させるものなのかどうか、永遠をまた
どこに見出すのか、求めるのか、によって人の意識も無意識も変わっていく
のかもしれない。図書館にこもる日々ー。