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もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

冬の「そなた」

2007年07月29日 | 家・わたくしごと
 数日前、車の中でなぜか「冬ソナ」の話になった。なんだかずっと前に流行した韓流ドラマのような気がする。たまにBOOK OFFにいくとCDコーナーにもDVDコーナーにも「冬ソナ」はたくさん出回っているし、完全にそのブームは終焉した感がある。わが家でも数年前は結構、この話で盛り上がっていたが、今ではチェ・ジュウのポスターが寝室に寂しく張ってあるくらいで、CDを部屋で聞くこともなくなった。
 車に同乗していた小学校の息子も「冬ソナ」の話に加わった。さんざん家で聞かされているわけだから、子どもにとっても他人ごとではない。そんなとき、何かのきっかけで「ソナタ」の話になった。
 私 「ソナタって知ってる?」
 息子「もちろん知ってるよ」
 私 「何、何?」
 息子「冬のあなた、って言う意味だよ。だって「そなた」は「あなた」っていう意味でしょう?」
 子どもは自信満々である。さて困った。確かに「そなた」は日本語の二人称の人称代名詞であり、目下の相手をやや丁寧に指す言葉である。小学校高学年ともなれば、そんな難しい日本語を知っているのかと関心する一方、冬のソナタを、冬の「そなた」と何年もの間、信じ続けていたと思うと少々複雑である。
 わが子は芸術大学の教員を親にもつとはいえ、これまで西洋芸術音楽は学校で学ぶだけで、家では全く習っていない。というより、家に電子ピアノがあるが、自分からスイッチを入れて弾くことはまずない。どちらかといえば、置いてあるガムランの方を気が向くとたたいている。私が小学校5年のとき、「ソナタ」といえば、音楽形式のことしか思い浮かばなかっただろう。「ソナタ」はカタカナの単語であって、ひらがなではなかった。しかし彼にとって「そなた」は「ひらがな」であって「カタカナ」ではない。
 息子は間違えていない。西洋音楽の専門用語なんて、知る人ぞ知るものであって、日本語の「そなた」は「あなた」を意味すると答えて当然である。私は息子を笑えなかった。なぜなら正常なのは彼の方なのだから。