Pの世界  沖縄・浜松・東京・バリ

もの書き、ガムランたたき、人形遣いPの日記

子どもたちのガムラン――小玉川でのこと(4)

2007年07月09日 | 
 小玉川では私たちの演奏の前、子どもたちにワークショップを行った。下は小学校1年生から上は大学1年生まで、子どもたちの年の差は12、3歳はある。実は、子どもたちとはいえ、ほとんどの子どもはガムランを演奏するのが初めてではない。なんとこの小学校は、バリのガムランのセットを一式所有しているのである。もちろん、大編成のガムランを一式所有している小学校など、日本で唯一この小玉川の小学校だけである。かつてこの集落のある小国町がインドネシアと長きにわたり交流をもっていたことから、所有することになったバリのガムランは、今ではさまざまな経緯からこの小学校に保管されている。
 1時間半にわたる休憩なしのワークショップの途中、飽きて他のことを始める子ども達は驚くことに誰一人いない。小学一年生ですら、集中して演奏する。恥ずかしそうにガムランをたたいていた高校生たちの目つきも徐々に真剣さを増してくる。そんな雰囲気の中、生まれてくる子ども達の音は小玉川の空気に溶け込んで、やわらかな響きを作り出す。ガムランの音は、まるで住んでいる世界を投影しているようだ。彼らのガムランの音は小玉川という小さな集落の音。私たちには出せないようなやさしい音。
 都市の中で何不自由なく暮している子どもたちと比べると、彼らの輝きや素直さは明らかに違う。もちろん、どこの子どもたちもやるようにテレビで楽しみ、DSで遊ぶ。テレビのチャンネル数が多少違い、「ゲーセン」が村にないとしても、今や子どもの娯楽に都市と村落の違いはない。
 違うこと、きっとそれは社会の成員としての高い意識と大人の成員たちとの親密なコミュニケーションだ。彼らは子どもでありながらも小玉川集落の成員としての高い意識を持っているのだと思う。そして大人たちも、彼らを自分たちと同様に成員の一人として扱う。そういう点ではバリの村落の子どもたちと同じように生きている。
 3月で小学校は閉校になるが、ガムランはこのまま学校に残るのだろうか。たとえ学校がなくなっても彼らが小玉川の成員としての高い意識を持ち続ける限り、ガムランの音は変わらない。絶対に変わらない。だからこそ、いつまでもそんな音を紡ぎだして欲しいと私は切に願う。濁ってしまった音は簡単にはもとには戻らない。壊れてしまった人間関係の修復が簡単にはいかないように・・・。