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みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

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通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

75年

2013-03-28 | その他

75年前、1938年3月12日、ナチスドイツ軍がオーストリアに進駐し併合しました。

今年の3月12日にも、例年のように国会で記念セレモニーが行われました。もちろん、喜んでいるのではなく、2度と起こってはならない、2度と起こしてはならない事態を歴史的教訓として忘れず、後代に伝えるためのものです。


ヒトラー率いるナチスドイツ軍オーストリア進駐の模様


英語解説付き(一部英語字幕付き)


第一次世界大戦後、多民族国家オーストリア・ハンガリー帝国内の主要民族が独立し、大帝国はアルプス地方の小さなオーストリア共和国となりました。
ゲルマン系オーストリア人の多くは、一瞬にして大帝国から劇的に縮小した小共和国は、独立国として成り立たず、ドイツと「合併」するより生き残る道はないと考えていました。
それで、画面でも分かるとおり、ヒトラーもドイツ軍も熱烈な歓迎を受けています。
しかし、それからナチスによる大弾圧と侵略戦争による大きな犠牲、そして敗戦に至る破局を体験することによって、自意識を確立したオーストリア第二共和国は、永世中立国として独自の歩みを進めることになりました。

ところが第二次大戦後は直ちに冷戦時代となり、東西の接点にあるオーストリアは、当時のソ連とアメリカの争奪戦の目標となり、こうした下心もあってかソ連はオーストリアを「ナチスドイツ最初の犠牲者」と宣言したのです。これを拠り所に、オーストリアは長年、自らを犠牲者と称し、戦争責任を回避し続けてきました。

漸く1991年に当時のフランツ・ヴラニツキー首相が国会演説の中で、第二次大戦におけるオーストリアの戦争責任を公に認め、これから本格的に、オーストリアの戦争責任に対する批判・分析が始まりました。

ヴラニツキー首相については日本語ウィキに何ら記述がないので英語をどうぞ

1938年のドイツ軍進駐の際、当時のオーストリア首相のラジオによる呼びかけで、オーストリア側からの軍事的抵抗は一切ありませんでした。
今でも「あの時どうすべきだったか」について意見が分かれているようです。
私の友達のひとりは勇ましく「すぐ鎮圧されてもいいから抵抗すべきだった」と言います