「中世の面影」のところで、中世はあまり残っていないと書きましたが
時たま、残り過ぎているところもあります。言わば「中世のかたまり」
その一例が、前回、猫さんをアップしたシエナです
しまい込んだ写真が見つからないので、古い絵葉書をスキャンしました
シエナのパノラマ
右が市庁舎(パラッツォ・プブリコ)のマンジャの塔
左がドゥオモ(カテドラル)と塔
ヴィア・デラ・ガルッツァ(通りの名前)
絵葉書になるほど有名な?
つっかえ棒オンパレード
つっかえ棒については中世の面影参照
パリオのパレード(イストリーチェ)
パリオに関する本の表紙
市庁舎から見た当日の広場
旧市街(城壁に囲まれた典型的な中世都市)
大きめの地図はこちら
シエナは中世に極めて繁栄し、当時の大都市となりましたが、フィレンツェとの覇権争いに負けてルネサンス期以降は凋落、このため、城壁に囲まれた中世の街並みが、ほぼ完全に残されました。もちろん、近代化に伴う都市の拡大はありますが、新市街は、中世都市の城壁外に広がっています。あまり、中世都市の完成度が高いため、そのまま生き延びたのです。おかげで、ユネスコ世界文化遺産になっています。
シエナは大好きな街のひとつで、これまでに4回滞在しています。何年も前にはイタリア語集中コースで、1ヵ月シエナに滞在しました。このとき地図を片手に、旧市街を歩き回りました。非常に迫力のある街で、言わば中世の亡霊の中で生きている感じ。コースの終わり頃には、このまま住んでいたら気が狂うのではないかと思うほどでした。が、帰りの列車が動き出した途端、シエナを離れるのが残念でたまりませんでした。
シエナはパリオで有名です。コントラーダと呼ばれる各区の代表が鞍をつけない裸馬で競馬をします。普通の競馬は騎手が落馬すると失格ですが、パリオでは、馬だけでもトップなら優勝になります。
私が住んでいたのはイストリーチェ(ヤマアラシ)区です。この区はフィレンツェとの戦争時代、いつも真っ先に攻められるので、住みたがる市民が減り、助成金を出して「住んでいただいた」ということです。いつも真っ先に攻められて防衛にあたり、我々はヤマアラシみたいだというわけで、ヤマアラシ区になったそうです
ドゥオモの前に巨大なゲートのようなものが見えます。これは中世の繁栄期に人口が急増、世界最大の教会を建てようというわけで、工事が始まったのですが、当時の建築技術には大き過ぎて、結局この壁だけで終わり。しかもペストの大流行で人口も激減、大教会は不要になりました
油絵の具のバーントシェンナ(焼けたシエナ)は赤土色で、シエナ周辺の土を焼いて生産します。
Wikipedia日本語版はあまり詳しくありません。以下は英語版
Wikipedia:Siena
Wikipedia:Palio di Siena
Wikipedia画像:世界で最も美しい広場のひとつと言われるピアッツァ・デル・カンポ
時たま、残り過ぎているところもあります。言わば「中世のかたまり」
その一例が、前回、猫さんをアップしたシエナです
しまい込んだ写真が見つからないので、古い絵葉書をスキャンしました
シエナのパノラマ
右が市庁舎(パラッツォ・プブリコ)のマンジャの塔
左がドゥオモ(カテドラル)と塔
ヴィア・デラ・ガルッツァ(通りの名前)
絵葉書になるほど有名な?
つっかえ棒オンパレード
つっかえ棒については中世の面影参照
パリオのパレード(イストリーチェ)
パリオに関する本の表紙
市庁舎から見た当日の広場
旧市街(城壁に囲まれた典型的な中世都市)
大きめの地図はこちら
シエナは中世に極めて繁栄し、当時の大都市となりましたが、フィレンツェとの覇権争いに負けてルネサンス期以降は凋落、このため、城壁に囲まれた中世の街並みが、ほぼ完全に残されました。もちろん、近代化に伴う都市の拡大はありますが、新市街は、中世都市の城壁外に広がっています。あまり、中世都市の完成度が高いため、そのまま生き延びたのです。おかげで、ユネスコ世界文化遺産になっています。
シエナは大好きな街のひとつで、これまでに4回滞在しています。何年も前にはイタリア語集中コースで、1ヵ月シエナに滞在しました。このとき地図を片手に、旧市街を歩き回りました。非常に迫力のある街で、言わば中世の亡霊の中で生きている感じ。コースの終わり頃には、このまま住んでいたら気が狂うのではないかと思うほどでした。が、帰りの列車が動き出した途端、シエナを離れるのが残念でたまりませんでした。
シエナはパリオで有名です。コントラーダと呼ばれる各区の代表が鞍をつけない裸馬で競馬をします。普通の競馬は騎手が落馬すると失格ですが、パリオでは、馬だけでもトップなら優勝になります。
私が住んでいたのはイストリーチェ(ヤマアラシ)区です。この区はフィレンツェとの戦争時代、いつも真っ先に攻められるので、住みたがる市民が減り、助成金を出して「住んでいただいた」ということです。いつも真っ先に攻められて防衛にあたり、我々はヤマアラシみたいだというわけで、ヤマアラシ区になったそうです
ドゥオモの前に巨大なゲートのようなものが見えます。これは中世の繁栄期に人口が急増、世界最大の教会を建てようというわけで、工事が始まったのですが、当時の建築技術には大き過ぎて、結局この壁だけで終わり。しかもペストの大流行で人口も激減、大教会は不要になりました
油絵の具のバーントシェンナ(焼けたシエナ)は赤土色で、シエナ周辺の土を焼いて生産します。
Wikipedia日本語版はあまり詳しくありません。以下は英語版
Wikipedia:Siena
Wikipedia:Palio di Siena
Wikipedia画像:世界で最も美しい広場のひとつと言われるピアッツァ・デル・カンポ
ペストが流行してから、ねずみをとる猫が重宝されるようになったともききます。
でもねずみを食べずに住む猫は幸せかも。
戦争や疫病は、ないに越したことはないですね。
これほんとに今ある建物なんですか?
歴史を感じさせる、思わず深呼吸したくなるような町並みですね。
海外旅行にはあまり興味はなかったんですけど、この町は行ってみたくなりました。
ヤマアラシ区って言うのも面白いですね。
またいろいろと紹介してくださいね (*^^)v
戦争も病気も、人間の努力で食い止めたり事態を改善できる余地があります。不幸な猫さんも人間の努力で減らせますよね
こんな強烈なインパクトのある都市は、めったにありません
でも猫さんは、そういうこと全然気にしてないだろうな
フィレンツェの場合、ルネサンス以降も順調に発展し続けたので、ヨーロッパのほかの大都市と大差ありません
15世紀までに、あまり見事に出来すぎて、残る課題は、これを保存し続けることだけ、といった感じです
パリオには、ちょっと祇園祭に通じるものがあります。祇園祭が観光化しても、やっぱり山鉾町の町衆が楽しんでいるように、パリオもコントラーダの町衆のお祭りという感じです。コントラーダごとに、町会所が作られて、レースの前と後に酒盛り。レース前にある豪華なページェントは、ちょこっと山鉾巡行に似ています。
そうそう、レースに参加する馬も、それぞれのコントラーダの教会で洗礼を受けるんですよ
私は大昔、ロンドンにしか行ったことがないのですが
中世の建造物や街並みには、特別惹かれるものを感じます。
いつか私もこういう通りを歩いてみたいです
日本からのヨーロッパ駈足ツアーに必ず出てくるロンドン、パリ、ローマなどは、産業革命後19世紀の大型石造建築が多く、それに現代ビルが並んでいます。
15世紀までの街並みが、殆ど丸ごと残っている、しかもそれが、かなりの規模で芸術的にも見ごたえがある、という都市は、ヨーロッパでもあまり多くありません。
シエナは特に個性が強く強烈な印象を与えます。
シエナのほかの写真は何処へいったかわかないのに、猫さんの写真だけはあるんですよ
もし多少見られる写真が見つかったら、またアップします
シエナのパノラマ。
建物の色がそろっているといい感じですね。
この前都庁の展望台から見たら
「東京ってごちゃごちゃしてるな」と思わず口に出てしまいました。
パレードの様子はなんだか物語の世界のようですね。
ピサの斜塔も典型的な中世(ゴシック)建築で、初めから隣りにもうひとつ塔を建て「ツインタワー」にして、その間につっかえ棒をしておいたら、傾かなかったかも
江戸時代の東京・・・って、つまり江戸の街並みは、上空から見ても統一がとれて綺麗だったと思います。明治維新後に石造りの洋館が沢山登場しましたが、その当時も、まだ結構美しかったと思います。最初の大ダメージは関東大震災、でも決定的なダメージは戦争で焼け野原になった後、無計画・支離滅裂に建物ができたことだでしょう。
なぜそうなったかと言うと、洋館は日本の歴史的な伝統建築ではないので、再建への情熱がなく、当時普及していた鉄筋コンクリートに簡単に乗り換えてしまったからと思います。ヨーロッパの場合、空襲で破壊された石造建築の多くが、歴史的な伝統建築で、復元しなければ歴史の一部が失われるという切実な思いから、大半が元通りに復元されました。
パリオのパレードはコルテオ・ストリコ(歴史的行列)といい、京都の時代祭行列みたいなもんですね。旗持ちはアルフィエレと呼ばれ、旗を投げ上げたり(それをちゃんとキャッチ)、振り回したり、様々な「技」を披露します。服装は当時の最先端ファッションを取り入れ、むしろルネサンス・スタイルといえるでしょう
そうそう、パレードと競馬は「男の世界」で出場者は男性ばかり、女性は見物人ですが、祭神は聖母マリア様です