前回
見ない展の美術館前広場には、花崗岩の彫像による石碑群があります。
戦争とファシズムの犠牲者に捧げられた記念碑で
オーストリアの彫刻家アルフレート・フルドリチカ(1928-2009)の作品です。
広場はフィアカー(観光馬車)の発着地点になっています
この広場には、フィリップホーフと呼ばれる豪華な建築が立っていましたが、1945年3月の空襲で、完全に破壊されました。数百人が犠牲になったと言われますが、あまりひどく破壊されたため、犠牲者を掘り出すことができず、犠牲者の正確な人数も確認できていません。こうした背景から、記念碑を立てる場所に、ここが選ばれたのです。
記念碑の第一の部分:暴力の門
向かって左側は、ナチスの強制収容所で亡くなった犠牲者(思想信条や人種などを理由に殺された人たち)に捧げられたもの。右側は全ての戦争犠牲者に捧げられています。
フルドリチカが刻み込んだ「署名」
門の向こうには低い人物像が見えます
道路を清掃するユダヤ人(これはブロンズ像)
1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合された後、ユダヤ人は強制的に道路の清掃をさせられました。しかもモップや箒を使うのでなく、この記念碑のような掃除の仕方を強制されたのです。
このブロンズ像の上には、当初何もありませんでした。ところが、事情を知らない旅行者が間違えて、このブロンズ像に座ることが多く、これを防止するため、フルドリチカが鉄条網を上に付け加えたのです。
横から見たところ
後に美術館への階段や、映画博物館の入り口が見えます
記念碑の第三の部分:冥府へ足を踏み入れるオルフェウス
空襲の犠牲者、レジスタンスに参加して落命した人たちに捧げられています
記念碑の締めくくり
戦争末期の1945年4月、共和国臨時政府樹立宣言の抜粋
広場の向こうに見える教会の塔
前回の美術館は、
ハプスブルク家のプライベートな宮殿だった建物です。
Wikipedia:
Albertina(美術館について:英語)
Wikipedia:
Alfred Hrdlicka(彫刻家について:英語)
Wikipedia:
ホロコースト
今日の蛇足:古代ローマ人の骨
つまり、この広場のあたりは爆撃の被害がひどかったのです。もう随分前のこと、この近くの建物が修復され、地下室も修理されました。そのとき人骨が見つかったので、第二次大戦の空襲犠牲者と推定されましたが、専門家の調査により、古代ローマ人の骨と判明しました。(これも大分前、友達から聞いた話)