みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

広場の石碑

2010-10-13 | 旧市街


前回見ない展の美術館前広場には、花崗岩の彫像による石碑群があります。

戦争とファシズムの犠牲者に捧げられた記念碑で
オーストリアの彫刻家アルフレート・フルドリチカ(1928-2009)の作品です。


広場はフィアカー(観光馬車)の発着地点になっています


この広場には、フィリップホーフと呼ばれる豪華な建築が立っていましたが、1945年3月の空襲で、完全に破壊されました。数百人が犠牲になったと言われますが、あまりひどく破壊されたため、犠牲者を掘り出すことができず、犠牲者の正確な人数も確認できていません。こうした背景から、記念碑を立てる場所に、ここが選ばれたのです。

記念碑の第一の部分:暴力の門


向かって左側は、ナチスの強制収容所で亡くなった犠牲者(思想信条や人種などを理由に殺された人たち)に捧げられたもの。右側は全ての戦争犠牲者に捧げられています。

フルドリチカが刻み込んだ「署名」


門の向こうには低い人物像が見えます


道路を清掃するユダヤ人(これはブロンズ像)


1938年、オーストリアがナチス・ドイツに併合された後、ユダヤ人は強制的に道路の清掃をさせられました。しかもモップや箒を使うのでなく、この記念碑のような掃除の仕方を強制されたのです。
このブロンズ像の上には、当初何もありませんでした。ところが、事情を知らない旅行者が間違えて、このブロンズ像に座ることが多く、これを防止するため、フルドリチカが鉄条網を上に付け加えたのです。

横から見たところ

後に美術館への階段や、映画博物館の入り口が見えます

記念碑の第三の部分:冥府へ足を踏み入れるオルフェウス

空襲の犠牲者、レジスタンスに参加して落命した人たちに捧げられています

記念碑の締めくくり

戦争末期の1945年4月、共和国臨時政府樹立宣言の抜粋

広場の向こうに見える教会の塔



  

前回の美術館は、ハプスブルク家のプライベートな宮殿だった建物です。
Wikipedia:Albertina(美術館について:英語)
Wikipedia:Alfred Hrdlicka(彫刻家について:英語)
Wikipedia:ホロコースト


 今日の蛇足:古代ローマ人の骨

つまり、この広場のあたりは爆撃の被害がひどかったのです。もう随分前のこと、この近くの建物が修復され、地下室も修理されました。そのとき人骨が見つかったので、第二次大戦の空襲犠牲者と推定されましたが、専門家の調査により、古代ローマ人の骨と判明しました。(これも大分前、友達から聞いた話)