続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

お久しぶりの塙保己一の里

2023-06-28 16:31:45 | 埼玉県

明るく晴れ上がった朝です

タバちゃんジャンプです

今朝は緑内障のタバちゃんにも、側溝がよく見えるようです

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、天神田(字天神の田んぼ)を歩いてきました。

田んぼの淵の甘草(かんぞう)、アブラムシはあんまり関係なく豪華に咲いてます。

暑くなりそうだね。

 

ひめちゃんちのヘメロカリス、アブラムシに負けながらも花を咲かせました。

和の雰囲気の花です

 

 

 

6月17日、高窓の里・小平から、塙保己一記念館に戻ります。

まず、道の脇の気になった社に参拝です。

お稲荷さんです。

貼り紙があります。

賽銭泥棒が発生しています。器物が壊される怖れがあるので賽銭は入れないように

ですって

ちょっと悲しい世の中になってきました

お賽銭を入れずに2礼2拍1礼です

 

 

それでは、塙保己一記念館の方に行ってみます。

「こんにちは

「こんにちは、やっていますよ

「ありがとうございます。」

 

何か作業中で一休みの方々かな?

 

 

記念館も静かです。

「こんにちは

「こんにちは、どちらからお見えですか?」

「群馬です。」

「ごゆっくりどうぞ。」

 

やはり一番目立つのは、ヘレンケラーが触ったという塙保己一の像(複製)です。

触ってみます。

合掌

 

像の近くにあった、彼の事蹟の説明が一番分かりやすいです

版木に彫ると言うことは、すごい事だったのです。

移しまちがいも無く、何度でも刷る事が出来るのですね。

原稿用紙の元になったんですか

和綴じ本、厚すぎず確かに利用しやすいようです。

盲目の塙保己一が、『群書類従』の編集・出版を成し遂げたのです。

 

 

塙保己一生家への道を教えてもらい、足を延ばします。

まずは、お墓のある塙保己一公園に駐車です。

その人となりを顕した戒名ですね。

合掌

 

すぐ隣に生家のかやぶき屋根が見えます。

 

でも、案内に従って裏から見学です。

7才で失明、15才で江戸に出たんですね。

安永八年(1779)から41年間かけて群書類従を編さん・刊行するなど、学問上多大な貢献をし、文政四年(1821)には総検校となり、この歳の九月二日に76才で亡くなりました。

 

ここで生まれたんですね。

 

 

以前、前から覗いた記憶があります。

ちょっと前の方に行ってみます。

あぜ道ですけど細い道があって、前に回り込めます。

説明板もあります。

花開く夏草の向こうの塙保己一生家です

 

 

すぐ裏の、保己一少年が遊んだという、大きなカヤの木があるお寺にも寄って行きましょう

 

コメント
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