阪神間は関西の住宅地として昔から人気があるエリアである。特に西宮7園(甲陽園、苦楽園、甲風園、甲東園、昭和園、香櫨園、甲子園)と呼ばれる地域や、六麓荘、奥池に代表される芦屋は昔から関西の高級住宅地として名高い。いや日本を代表するセレブなエリアと言ってよいだろう。こうしたエリアは大きな経済力を持った大都市があって初めて成立する。ロスアンゼルス郊外のビバリーヒルズ、ニューヨーク郊外のグリニッチなどがその例だ。戦前、大大阪と呼ばれ、金融、製造業、商業等、日本の経済の中心であった時代の繁栄ぶりを彷彿とさせる邸宅街がいまでもこの辺りに広がっているわけで、当時の大阪、神戸がいかに大きな財力を持っていたか,改めて実感する。。
芦屋、西宮は六甲山の東に位置し、北に甲山(西宮7園の「甲」の字は甲山から来ている)、南には瀬戸内海を控える、なだらかな傾斜地である。その間を武庫川、夙川、芦屋川などの短い河川が山から海へと急流となってそそいでいる。全くリゾート地の条件を満たした地勢だ。しかも大阪/神戸の間を、東海道線はじめ、阪急、阪神が30分程で結んでおり、交通至便。大阪や神戸の富豪、素封家がリゾートとして開発して住み始める理由は説明しなくても分かる気がする。
その芦屋には(それゆえ)、明治,大正,昭和初期に建てられた素封家の邸宅が今でもいくつか残っており、芦屋川のほとりの高台に自然と調和して佇む旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)はその代表と言ってもよい歴史的な建築物だ。かのフランク・ロイド.ライトが設計している。芦屋川を挟んで反対側には旧三和銀行の前身である山口銀行の創業者山口家の邸宅も残っており、現在は山口文化会館、滴翠美術館として公開されている。
残念ながら、芦屋、西宮の邸宅街でも、時代の変遷とともにこうした広大な敷地を有する邸宅は減少を続けている。こうしたお屋敷は、一億総中流、富豪のいなくなった時代では、個人で所有、相続するには手に余るものとなり、企業に売却されたり、やがてはバブル崩壊とともにその企業も遊休資産売却で、バランスシートを軽くしたり、経費の穴埋めをしたりの必要上、不動産ディベロッパーに売却、そう、「マンション建設」の格好の敷地となる。こうして古い文化的な価値がありそうな邸宅も、短期的な経済的価値を生み出すであろうマンションへと立て替えられて行った。こうして、この辺りの景観も大きく変貌しつつある。もっとも芦屋は景観保護に力を入れている自治体ではあるが。
今や日本にライトが残した数少ない文化遺産であるこの邸宅も、こうした再開発という名の破壊の危機に直面した。一度は「マンション用地」として売却が決まりかけていたそうだ。山邑家が手放してから、いくつかの人手を転々として、終戦直後は占領軍の倶楽部として使用されたり、ヨドコウが買い取ってからは、社長公邸、社員寮などに使われていたそうである。 しかし、厳しい経済情勢のなか、ついにはヨドコウが売却を決意して、建物は取り壊される事が決まっていたようだ。それを当時こうした建築文化遺産を守ろうと言う機運が高まる中、市民の活動、県や市の支援もあり、ヨドコウの社長の決断で保存が決まったそうだ。ここでも市民の地道な運動とともに、企業の社会貢献活動に対する意識の高まりが、「保存」「市民への公開」という成果として結実している。なかなか経営環境が厳しい中での決断だったのであろう。敬意を表したい。
この邸宅の創建当時の山邑家は、櫻正宗のブランドで知られる灘五郷の酒造会社で、帝国ホテルの設計の為に来日中のアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに自邸の設計を依頼した。建物は大谷石で飾られているが、躯体はRCコンクリート造り。戦前としては珍しい造りだと言う。山肌に沿うように建物が一階から四階まで配置され、エクステリアもインテリアもライトらしい装飾に満ち満ちている。テラスからの展望は素晴らしく、芦屋川に沿った芦屋の街が一望に見渡る。北は遠く大阪まで展望出来る。南は六甲山系の緑が眼に鮮やかで海と山に囲まれた別荘地の佇まいだ。内部には和室が3室有り、ライトもこの日本的な建築エレメントに触発されたようだ。
この建物の特に際立っている点は、自然との調和に配意されていることだろう。芦屋川から見上げても,小高い山の緑の中に埋もれていて、辺りを睥睨するような威圧感はない。また、室内からも、ライトらしい装飾に縁取られた窓に,まるで絵画がはめ込まれているような緑溢れる風景が。玄関も、車寄せはあるがドアは小振りで、訪問者をアットホームな気分にさせてくれる。玄関脇の大谷石で造られた大きなプランターは四季の花で埋め尽くされている。
今やライトの建築は日本には現存するものでは3件しか残っていない。このヨドコウ迎賓館と自由学園明日館、旧林愛作邸(現電通八星苑)のみだ。旧帝国ホテル本館は愛知県犬山市の明治村に正面玄関のみが再建「展示」されている。明治以降日本にやってきた外国人(特にジョサイア・コンドル、ウイリアム・ヴォーリスなど)のが設計した近代建築はその多くが破壊の危機に直面していた。しかし最近ようやく,狂気のようなバブル経済、エコノミックアニマルのメンタリティーを卒業したのか、文化の分かる大人の日本人になりつつあるのか、近代建築遺産を有形文化財として保存される事が多くなってきた事は歓迎すべきだ。それでもまだ,人知れず消えて行く建築文化遺産は数知れないだろう。
景気が良くて、金が回ってるときの方が、こうした文化財の保存にも金が回ってきそうに思うが、実はより金を生む資産に化けさせようと再投資する、すなわち古い文化遺産を破壊する方に働いてきた。人間の経済的欲望には際限がない。むしろ金金と言わなくなってようやく、自分たちが今までないがしろにしてきた別の「価値」を取り戻そうとする動きがむくむくとわき起こってきているような気がする。こうした「文化的」なものに価値がある事に気づき始めたのだ。むしろこうした「文化的価値」がこれからの経済的な価値を生む源泉にすらなって行くのだろう。ヨーロッパの国々を見ててそう思う。日本も向う気ばっかり強い若造から、少しは落ち着いた違いの分かる大人の国になってきたか。イギリスの域にはまだまだ達していないがね。
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芦屋、西宮は六甲山の東に位置し、北に甲山(西宮7園の「甲」の字は甲山から来ている)、南には瀬戸内海を控える、なだらかな傾斜地である。その間を武庫川、夙川、芦屋川などの短い河川が山から海へと急流となってそそいでいる。全くリゾート地の条件を満たした地勢だ。しかも大阪/神戸の間を、東海道線はじめ、阪急、阪神が30分程で結んでおり、交通至便。大阪や神戸の富豪、素封家がリゾートとして開発して住み始める理由は説明しなくても分かる気がする。
その芦屋には(それゆえ)、明治,大正,昭和初期に建てられた素封家の邸宅が今でもいくつか残っており、芦屋川のほとりの高台に自然と調和して佇む旧山邑邸(現ヨドコウ迎賓館)はその代表と言ってもよい歴史的な建築物だ。かのフランク・ロイド.ライトが設計している。芦屋川を挟んで反対側には旧三和銀行の前身である山口銀行の創業者山口家の邸宅も残っており、現在は山口文化会館、滴翠美術館として公開されている。
残念ながら、芦屋、西宮の邸宅街でも、時代の変遷とともにこうした広大な敷地を有する邸宅は減少を続けている。こうしたお屋敷は、一億総中流、富豪のいなくなった時代では、個人で所有、相続するには手に余るものとなり、企業に売却されたり、やがてはバブル崩壊とともにその企業も遊休資産売却で、バランスシートを軽くしたり、経費の穴埋めをしたりの必要上、不動産ディベロッパーに売却、そう、「マンション建設」の格好の敷地となる。こうして古い文化的な価値がありそうな邸宅も、短期的な経済的価値を生み出すであろうマンションへと立て替えられて行った。こうして、この辺りの景観も大きく変貌しつつある。もっとも芦屋は景観保護に力を入れている自治体ではあるが。
今や日本にライトが残した数少ない文化遺産であるこの邸宅も、こうした再開発という名の破壊の危機に直面した。一度は「マンション用地」として売却が決まりかけていたそうだ。山邑家が手放してから、いくつかの人手を転々として、終戦直後は占領軍の倶楽部として使用されたり、ヨドコウが買い取ってからは、社長公邸、社員寮などに使われていたそうである。 しかし、厳しい経済情勢のなか、ついにはヨドコウが売却を決意して、建物は取り壊される事が決まっていたようだ。それを当時こうした建築文化遺産を守ろうと言う機運が高まる中、市民の活動、県や市の支援もあり、ヨドコウの社長の決断で保存が決まったそうだ。ここでも市民の地道な運動とともに、企業の社会貢献活動に対する意識の高まりが、「保存」「市民への公開」という成果として結実している。なかなか経営環境が厳しい中での決断だったのであろう。敬意を表したい。
この邸宅の創建当時の山邑家は、櫻正宗のブランドで知られる灘五郷の酒造会社で、帝国ホテルの設計の為に来日中のアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトに自邸の設計を依頼した。建物は大谷石で飾られているが、躯体はRCコンクリート造り。戦前としては珍しい造りだと言う。山肌に沿うように建物が一階から四階まで配置され、エクステリアもインテリアもライトらしい装飾に満ち満ちている。テラスからの展望は素晴らしく、芦屋川に沿った芦屋の街が一望に見渡る。北は遠く大阪まで展望出来る。南は六甲山系の緑が眼に鮮やかで海と山に囲まれた別荘地の佇まいだ。内部には和室が3室有り、ライトもこの日本的な建築エレメントに触発されたようだ。
この建物の特に際立っている点は、自然との調和に配意されていることだろう。芦屋川から見上げても,小高い山の緑の中に埋もれていて、辺りを睥睨するような威圧感はない。また、室内からも、ライトらしい装飾に縁取られた窓に,まるで絵画がはめ込まれているような緑溢れる風景が。玄関も、車寄せはあるがドアは小振りで、訪問者をアットホームな気分にさせてくれる。玄関脇の大谷石で造られた大きなプランターは四季の花で埋め尽くされている。
今やライトの建築は日本には現存するものでは3件しか残っていない。このヨドコウ迎賓館と自由学園明日館、旧林愛作邸(現電通八星苑)のみだ。旧帝国ホテル本館は愛知県犬山市の明治村に正面玄関のみが再建「展示」されている。明治以降日本にやってきた外国人(特にジョサイア・コンドル、ウイリアム・ヴォーリスなど)のが設計した近代建築はその多くが破壊の危機に直面していた。しかし最近ようやく,狂気のようなバブル経済、エコノミックアニマルのメンタリティーを卒業したのか、文化の分かる大人の日本人になりつつあるのか、近代建築遺産を有形文化財として保存される事が多くなってきた事は歓迎すべきだ。それでもまだ,人知れず消えて行く建築文化遺産は数知れないだろう。
景気が良くて、金が回ってるときの方が、こうした文化財の保存にも金が回ってきそうに思うが、実はより金を生む資産に化けさせようと再投資する、すなわち古い文化遺産を破壊する方に働いてきた。人間の経済的欲望には際限がない。むしろ金金と言わなくなってようやく、自分たちが今までないがしろにしてきた別の「価値」を取り戻そうとする動きがむくむくとわき起こってきているような気がする。こうした「文化的」なものに価値がある事に気づき始めたのだ。むしろこうした「文化的価値」がこれからの経済的な価値を生む源泉にすらなって行くのだろう。ヨーロッパの国々を見ててそう思う。日本も向う気ばっかり強い若造から、少しは落ち着いた違いの分かる大人の国になってきたか。イギリスの域にはまだまだ達していないがね。
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