この夏はいろいろな事が重なり、倭国邪馬台国への時空旅が出来なかった。引越、入院、猛暑... しかしようやく時間が出来,西宮の新居から桜井経由で三輪山、大神神社を訪ねた。天王寺の旧居より,一時間程余分に時間がかかる。奈良,大和路がすこし遠くなったのが悲しい。
三輪山は大和王権成立にとって重要な神域である。神社自体に本殿はなく、拝殿のみ。まさに甘南備型の三輪山自体がご神体。その秀麗な円錐形の山容はまさに自然崇拝の古代神道を思わせる秀麗な山だ。この古神道の自然崇拝の聖地が、後の天皇中心の国家体制確立の結びついて行く。皇祖神である天照大神を伊勢神宮に祀る以前の本邦最古の神社であるといわれている。
さらに大国主命ゆかりの古社である所が興味深い。日本書記の記述によれば、出雲の国譲りで大和王権の傘下に入る意思決定をしたのがこの大国主命。その見返りに壮大な出雲大社を出雲の地に建てる事をを大和王権に認めさせたという。日本書記は天武持統朝に編纂されたいわば大和王権の正史。壬申の乱後、天皇支配の正統性を認めさせる為に編纂した日本書紀、古事記であるから、多くの意図的な創作があり,史実とは一致しないとするのが通説であるが、大和王権が神代の昔から倭国全域を容易に統治できた訳ではない事は、この出雲の國譲りの一説を見ても分かる。
それにしてもその出雲の大豪族、いや大王であった大国主命がなぜ、ここ三輪山の麓(ヤマト:山の麓)、すなわち大和王権の故地に祀られているのか?伝承によれば、大国主命が国の運営(何処の国なのか?)で悩んでいる時に大物主大神が現れ,自分を大和の三輪に祀ればその悩み解決して進ぜよう、と。そこでこの三輪山の麓に大神神社を建て主神として祀る。大和と出雲。この二つの古代大国の統合に大国主命が果たした役割の重要性を想起させるエピソードが日本書紀に隠されている。
一方、大物主大神は蛇の化身(蛇神)で、日本書紀によれば、倭トトヒモモソ姫命(漢字変換不能)のもとに通い結婚して子をもうけた。姫は夫の姿を見た事がなかったので,ある日その姿を確かめる為に、櫛の入った小箱を開けるとそこには蛇がいた。これを見て姫はショックを受け自害してしまった。その姫の墓が、昼は神が造り,夜は鬼が造った、と言われる大きな塚、箸墓古墳だ。卑弥呼の墓ではないかとも推測されている古墳だ。一方、大神神社には巨大な杉の木があり,ここにご神体の蛇が住んでいるとされている。実際、最近まで白蛇がこの杉の大木の根元に生息していたようだ。
このように大神神社辺りは、いろいろと神話と現実と政治的意図と素朴な自然神信仰、空想や説話が混在していて不可思議な神秘的な雰囲気を漂わせている神域である。日本古来の神道は、山や岩や杉の木などの自然物,一木一草に神が宿ると信じられた自然崇拝。あるいは精霊信仰、祖先霊の崇拝という多神教の世界である。6世紀の仏教伝来までの間、それを大和王権の確立に取り込んで行った、その原型がこの大神神社である。
ちなみに三輪山にはいくつかの神の宿る神籠、磐くらがあると言われている。古神道の原型をこの目で確認してみたいものだが、三輪山への入山は基本的には禁止。許可を得ると入山出来るが、山中では写真撮影禁止、植物や石などの持ち出し禁止、飲食禁止だ。筑紫の海上の浮かぶ孤島、宗像大社の沖津宮にも同じような古来からの禁足地としての掟がある。であるが故に、結果的に古代祭祀遺跡として貴重な考古学的資料がかなりよく保存されていている。この沖の島は海の正倉院と言われているが、三輪山も巨大なタイムカプセルなのだ。
この後、古代の道「山辺の道」を北上して石上神社まで行く予定であったが、突然のゲリラ豪雨に見舞われ、JR三輪駅への逆戻りを余儀なくされた。「ついてないな」と思ったが、その後益々雨は激しくなり、ついには雷雨となり短時間集中豪雨が奈良、大阪地方を襲った。三輪山の神が私の「山辺の道」への時空旅を止めたのだろう。このまま行ってたらひどい事になっていたに違いない。ちなみに主神の蛇が住むと言う杉のご神木は古来より雨をもたらすご神木だそうだ。
大神神社鳥居(三輪明神の表記)
蛇神の住むという杉のご神木
このご神木を詣でる人々も多い
甘南備型の美しい山容の三輪山
ゲリラ豪雨に見舞われた環状線鶴橋駅
三輪山は大和王権成立にとって重要な神域である。神社自体に本殿はなく、拝殿のみ。まさに甘南備型の三輪山自体がご神体。その秀麗な円錐形の山容はまさに自然崇拝の古代神道を思わせる秀麗な山だ。この古神道の自然崇拝の聖地が、後の天皇中心の国家体制確立の結びついて行く。皇祖神である天照大神を伊勢神宮に祀る以前の本邦最古の神社であるといわれている。
さらに大国主命ゆかりの古社である所が興味深い。日本書記の記述によれば、出雲の国譲りで大和王権の傘下に入る意思決定をしたのがこの大国主命。その見返りに壮大な出雲大社を出雲の地に建てる事をを大和王権に認めさせたという。日本書記は天武持統朝に編纂されたいわば大和王権の正史。壬申の乱後、天皇支配の正統性を認めさせる為に編纂した日本書紀、古事記であるから、多くの意図的な創作があり,史実とは一致しないとするのが通説であるが、大和王権が神代の昔から倭国全域を容易に統治できた訳ではない事は、この出雲の國譲りの一説を見ても分かる。
それにしてもその出雲の大豪族、いや大王であった大国主命がなぜ、ここ三輪山の麓(ヤマト:山の麓)、すなわち大和王権の故地に祀られているのか?伝承によれば、大国主命が国の運営(何処の国なのか?)で悩んでいる時に大物主大神が現れ,自分を大和の三輪に祀ればその悩み解決して進ぜよう、と。そこでこの三輪山の麓に大神神社を建て主神として祀る。大和と出雲。この二つの古代大国の統合に大国主命が果たした役割の重要性を想起させるエピソードが日本書紀に隠されている。
一方、大物主大神は蛇の化身(蛇神)で、日本書紀によれば、倭トトヒモモソ姫命(漢字変換不能)のもとに通い結婚して子をもうけた。姫は夫の姿を見た事がなかったので,ある日その姿を確かめる為に、櫛の入った小箱を開けるとそこには蛇がいた。これを見て姫はショックを受け自害してしまった。その姫の墓が、昼は神が造り,夜は鬼が造った、と言われる大きな塚、箸墓古墳だ。卑弥呼の墓ではないかとも推測されている古墳だ。一方、大神神社には巨大な杉の木があり,ここにご神体の蛇が住んでいるとされている。実際、最近まで白蛇がこの杉の大木の根元に生息していたようだ。
このように大神神社辺りは、いろいろと神話と現実と政治的意図と素朴な自然神信仰、空想や説話が混在していて不可思議な神秘的な雰囲気を漂わせている神域である。日本古来の神道は、山や岩や杉の木などの自然物,一木一草に神が宿ると信じられた自然崇拝。あるいは精霊信仰、祖先霊の崇拝という多神教の世界である。6世紀の仏教伝来までの間、それを大和王権の確立に取り込んで行った、その原型がこの大神神社である。
ちなみに三輪山にはいくつかの神の宿る神籠、磐くらがあると言われている。古神道の原型をこの目で確認してみたいものだが、三輪山への入山は基本的には禁止。許可を得ると入山出来るが、山中では写真撮影禁止、植物や石などの持ち出し禁止、飲食禁止だ。筑紫の海上の浮かぶ孤島、宗像大社の沖津宮にも同じような古来からの禁足地としての掟がある。であるが故に、結果的に古代祭祀遺跡として貴重な考古学的資料がかなりよく保存されていている。この沖の島は海の正倉院と言われているが、三輪山も巨大なタイムカプセルなのだ。
この後、古代の道「山辺の道」を北上して石上神社まで行く予定であったが、突然のゲリラ豪雨に見舞われ、JR三輪駅への逆戻りを余儀なくされた。「ついてないな」と思ったが、その後益々雨は激しくなり、ついには雷雨となり短時間集中豪雨が奈良、大阪地方を襲った。三輪山の神が私の「山辺の道」への時空旅を止めたのだろう。このまま行ってたらひどい事になっていたに違いない。ちなみに主神の蛇が住むと言う杉のご神木は古来より雨をもたらすご神木だそうだ。
大神神社鳥居(三輪明神の表記)
蛇神の住むという杉のご神木
このご神木を詣でる人々も多い
甘南備型の美しい山容の三輪山
ゲリラ豪雨に見舞われた環状線鶴橋駅