時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

金沢21世紀美術館 ー21st Century Museum of Contemporary Art, Kanazawaー

2011年09月03日 | 加賀金沢散策
 仕事で金沢に来るたびに、なんてうらやましい街だろうと思う。仕事の合間の断片的な時間でしかその「うらやましさ」の片鱗を味わうことが出来ないのだが。もちろん兼六園や金沢城、東茶屋街、浅野川の清流、卯辰山公園、犀川.....そして加賀流能、伝統工芸、食文化... 室生犀星、泉鏡花... その文化的な資産の豊富さにいつも圧倒される。 そして今回は、仕事の合間を使って金沢21世紀美術館を訪ねた。一見伝統的な城下町の雰囲気にマッチしないコンテンポラリーアートミュージアム。しかし、今人気のアートスペースだ。どうして「地方都市」金沢はこんなに豊かな文化に恵まれているのか?

 前田の殿様は、徳川幕府に慮って武力の強化に金を遣わず,文化芸能、庭園にお金を使ったからだ、と地元の人は説明してくれる。400年余という時間が培った伝統が今に生きているのだろう。また町並み優雅なのは戦災に遭わなかったからだともいう。

 それにしても関ヶ原の戦い以降に,各地に領国を得た徳川幕藩体制の大名達は,それぞれの領国統治にふさわしい藩府、城下町を建設した。現在の「地方都市」はその多くが,そうした「関ヶ原戦後」に建設された城下町が起源となっている。しかし、よくよくそれぞれの町を見比べてみると、当時の建設者にして統治者であった殿様の戦略と文化センスによって、町の風貌が全く異なっている事に気付く。

 城下町として美しく,文化を伴って現存している町の代表格は金沢だろう。松江も美しい城下町だ。おそらく金沢と並ぶ文化度の高い城下町だろう。熊本は城が立派だ。姫路も城が有名だが,町は戦災で破壊されてしまった。大阪や名古屋は大都会になりすぎて城下町という風情が薄れてしまっている。岡山の後楽園、高松の栗林公園、水戸の偕楽園も大名庭園として有名で殿様の残した文化の香りを現代に引き継いでいる。萩も鹿児島も西南の雄藩の首都として、やや武ばった城下町の風格を今も保っている。仙台、高知、広島、松山も外様の大大名の城下町だ。

 一方、わが故郷,福岡も黒田五十二万石の城下町だが、福岡が城下町の趣を残す街だ,とあまり認識されていないのは何故だろう? ここの城は縄張りの名人、黒田如水、長政親子の築城になる名城だが、朝鮮式の平城で威風堂々足る風格に乏しい。如水の「平時に壮麗な天守閣や石垣はいらん」という合理主義が後世に「観光資源」を残さなかったのかもしれない。かといって大名庭園もない。有名な大濠公園は福岡城の外堀を明治以降勧業博覧会会場として整備したものだ。あまり大名起源の文化、芸能もない。食文化も,芸能も,祭り、工芸も隣の博多の商人文化におされている。黒田藩の残したもの、修猷館くらいか?先の大戦では博多は空襲で焼けたが、福岡は戦災に遭ってない。だのに城下町の名残はほとんど残ってない。かつて大名町あたりは重臣達の武家屋敷の趣を残す町並みが残っていたが、いつの間にか完全に消えてなくなってしまった。なぜ? あまり黒田公の「伝統」を残そうと言う気分の少ない影の薄い城下町だ。

 城下町金沢の文化度の色濃さに比して、城下町福岡のそれは如何。もともとの城下町としての創建者の思想に違いがあるのかもしれない。そしてその思想がその後の街の変遷の中で継承されて行ったのだろう。取りこぼした文化の量、文化受容度の高低は、オリジンの町づくりの伝統を引くのだろうが。「比較城下町研究」がこれからの時空トラベルのテーマになりそうだ。

 話題がドンドンそれてしまった。金沢21世紀美術館の話だ。伝統文化の城下町のこのコンテンポラリーミュージアム。この金沢の文化パワーはいったいなんなんだ!いまや全国から人を集める人気観光スポットの一つになっている。それは金沢の他の観光スポットと組み合わせて回るのに良いからではなく、この美術館に行く為にだけ金沢に来てもいいくらいの魅力を持っている。

 そして,この美術館は、一部の教養ある趣味人資産家のコレクションを基礎に創設されたものでもなく、自治体が市民の税金を使って建てた「箱もの公共投資」の産物でもなく、市民の出資による財団が建設、保有、運営している点でもユニークだし、金沢市民の文化的な成熟度を感じさせられる。

 建築設計は、妹島和世+西沢立衛/SANAA。今最も注目される建築家達だ。まず建物自体が現代美術作品だ。金沢市の中心部に位置し,誰でもいつでも立ち寄れる公園のような美術館を目指しているという。その意図は見事に成功していると思う。建物は裏も表もない円形のガラスの筒の中に複数のエリアが設定されている。好きな所へ行き、回遊を楽しめばよい。美術館巡りで結構楽しみなのはショップとレストランだ。私はこのしつらえのセンスで美術館の好き嫌いが決まる。ここのレストランは特に洒落ていて、コーヒーを飲んだり、簡単な食事をしたり,語らったりすること自体がアートになる。

 ちなみに、もともと、この美術館の敷地にはは金沢大学付属小学校中学校があったそうだ。金沢大学も金沢城内にあったが郊外に移転して、あの壮麗な櫓がが復元されている。こうした都市の模様替えによって伝統的なゾーンと新しい集いの場を生み出した自治体の構想力と都市設計のセンス、パワーもすごい。金沢駅のデザインも素敵だ。金かけ過ぎという批判もあるやに聞いているが、この頃はやりのエキナカショップやデパートで人がごった返した商業施設化し、駅本来の動線や風格を無視した品のない中央駅ではなく、堂々としたアート作品になっている。これも金沢の玄関にふさわしい文化度シンボルだと思う。

 こうした街全体が伝統的な町並みと、伝統工芸、伝統食文化と、コンテンポラリーなアートパワーをみなぎらせている街は、日本にはそう多くはないだろう。まるでヨーロッパの街の匂いがする。金沢という街の人々のセンスの良さとそれを街の資産として継承、発展させてゆくパワーを感じさせられた。次回は仕事抜きで、ゆっくり街全体を見て回りたいものだ。

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金沢 北のみやび

2010年11月21日 | 加賀金沢散策
 先週は金沢に仕事で出かけた。出張であちこちへ行くたびに,地方都市のそれぞれの美しさと,文化の香りと、穏やかな人々の暮らしを垣間みることが出来るのは役得かもしれない。特に金沢などうらやましがられる出張先の代表だろう。忙しく駅/空港と出先とホテルの間を行き来するのだが,時間を見つけて垣間みるその町の佇まいにふれることは楽しい。

 考えてみれば明治維新以前は,地方都市は,単なる「地方」ではなくて,それぞれの国の大名の「お膝元」でありいわば「みやこ」であった。廃藩置県が行われ、中央集権で東京一極集中となってゆくのは明治以降の出来事だ。戦後の高度経済成長、さらにはグローバル化の中でそれが加速される。

 人々は豊かさを求めて,こぞって東京へ出てゆこうとした。いや田舎にいても次男坊以下は田畑もなく,働く仕事場もない。憧れの東京。「花の都、うれし楽し,夢のパラダイスよ東京」。地方には何にもない、と自虐的な歌がはやり、東京へ出てゆく恋人の後姿に涙する。東京は生き馬の目を抜く激しい競争社会。脱落する若者もでる。故郷の山河を思い望郷の思いにとらわれる。しかし,帰る所はない。「故郷は遠きにありて想うもの...帰る所にあるまじや」だ。都会で孤独と戦いながら生きてゆく。時々は「ふるさとの訛なつかし停車場」を徘徊する。いつかは故郷に錦を飾ることを夢見て...

 そんな「東京」、「地方」という二分法、二元論が明治以降この国を支配して来た。
気がつくとバブル崩壊。さしもの高度経済成長は過去のものとなり、20年もの経済停滞期を経験し、未だに立ち直れない。いち早く西欧流の近代化を果たしたアジアの優等生、アジア唯一の経済大国を自任して来た日本は,いまや中国や韓国、さらにはインドやASEAN諸国の目覚ましい経済成長を横目で見ている情けない状況に陥ってしまった。

 そんな時,心折れて、ふと我々が飛び出し、捨てて来た故郷、地方、田舎に目をやると,そこには破壊されずに残された文化や,心穏やかな風景、町並み、生活風習が残されているではないか。経済成長に取り残された地域であればある程,すなわち田舎であればある程、それが残されていることに気付く。

 なあんだ,こんな所に美と安らぎが隠れていたのか。そういえば忘れてたなあ。よくぞなくならずに今まで...まさに「美の壷」

 その美しい町の代表の一つが金沢だ。現代的な評価軸でいえば人口45万の政令指定都市にもなれない北陸の一地方都市に過ぎないが、かつては加賀前田家百万石の城下町で、京都や江戸にも負けない文化の華開いた町だ。その繁栄の面影と雅な趣が今も町の随所に感じられる文化都市だ。こうした空気は雲州松江でも感じることが出来る。

 江戸期にはこうした独特の文化を育んだ「地方都市」が日本全国いたるところにあった。徳川幕藩体制と言っても、地方分権の時代であった。例の重要伝統的建造物群保存地域に指定されている町はたいてい,こうしたかつて地方文化が花開き、物流や金融の中心として栄えた「地方都市」であった。皮肉にもその後の明治維新や戦後の経済成長などの激震に取り残された町である。不幸なことなだったのか,幸運なことなのか,その評価はこれからかもしれない。

 こうした町に共通の構成要件はつぎのとおり。城郭、大名庭園、藩校、武家屋敷、商家、町家、花街、寺社仏閣という「ハコもの」の道具立てが揃っている。それに「中身」たる偉人、文化人、芸能、食、職人技、そして祭り。こういった道具立てがなにがしか揃っている町がいまでも風格を保っている。金沢はその代表格だろう。

 ただ実態はなかなか「地方の活性化」につながっていないのが現実だろう。この経済低迷のアオリを受けているのはまさに「地方」都市である。しかし、従来型の経済成長モデルで考えるから旨く行かない。やっぱり東京型都市像を追いかけているからだろう。あるいは工場誘致、などという20世紀型産業構造を軸に「活性化」モデルを組立てるからだ。

 ここでも「活性化」モデルイノベーションを行わなければならない。町毎の価値の多元性を再認識することが必要だろう。もちろん経済的な価値に繋げていくことが豊かさと成長のベースには必要だ。ある程度の経済的豊かさが保証されることがボトムラインで、その上にプラスアルファーの価値を実現することが必要となる。地方にはこれまでの経済的価値観にとらわれない新しい価値創造、資産の再評価、活用が求められよう。

 あれ?こんな評論家コメントを書くつもりではなかった。最後は、意に反して「NHK時論公論」風になってしまったが...

 とにかく金沢は良かった。秋晴れの好天にも恵まれた。橋場町、卯立山公園、浅野川、主計町... 高校生の時に旅し、出会った加賀乙女との甘酸っぱい思い出とともに。

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