時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

ストリートフォトグラフィーに最適のカメラは? 〜ライカM?ライカQ?〜

2017年02月27日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

 私はストリートフォトが苦手だ。基本的に都会の人混みが嫌いなのと、その人々のうごめきにあまり興味がない。人間に興味がないわけではないが、個性や人格を押し殺し、マッシブな群衆となって空間移動する人々にはカメラを向けるインセンティブがわかない。もちろん、他人と関わりたくない、無表情、没個性の都会人(特に電車の中でスマホばかりいじってる人)といった切り口で表現するストリートフォトグラファーもいるが、自分の好む被写体ではない。第一、勝手に他人を撮ることはトラブルの元になる。肖像権がどうの、マナーがどうの、迷惑行為がどうのとメンドくさい。そうまでして被写体として切り取る気持ちが湧いてこない。要するに都会の人の多さ、冷淡で個人主義的な人間関係にウンザリしているので、街へ出て(ルールやマナーに縛られながら)それをわざわざ写真に収めようという気がしないだけなのだ。人生を皮肉って見せる事もできるかもしれないが、どう見ても楽しいワクワクする写真にはならない。これは同じ人間を被写体とするにしても、一人の人間としてのポートレートを撮らせてもらうのとは異なる。相手とのコミュニケーションが成立している場合とそうでない場合とでは感情移入の仕方が違う。また家族や友達と気兼ねなく記念写真やスナップを撮るのとは全く異なるシチュエーションなのだ。

 

 それよりは、美しい自然、里山、田園風景、都会なら街角や建築物の造形美、古代の心象風景、歴史の情景などに強く心惹かれる。これまではそうした「風景写真」「情景写真」を追いかけてきた。したがって私の写真には人が写っていない。まるで風景写真に写りこむ電信柱や電線のような人工物を避けようとするのと同じ捉え方してる。ようするに「人」が写らないように構図する。写っていてもそれは景観の一部として必要があると考えた時だけである。しかし、関西にいた時はともかく、残念ながら東京に居を移してからというもの、なかなかそうした写真を撮る機会が減り、日々の生活では、人にあふれた都会の雑踏に身を置くことばかり。したがってだんだんカメラの出番が減りフラストレーションが溜まる一方だ。せいぜい街角の花を撮ったりするくらいになってしまった。

 

 一方、私が持っているカメラ機材の中には、風景写真に適した一眼レフやミラーレスシステムカメラばかりではなく、ストリートフォトに適したものがある。この場合、大型で物々しい「いかにもカメラ」ではなくステルス型の目立たない機材が良い。かといってスマホカメラやコンデジでは満足できない。適度にカメラとしての実在感があって、手応えを感じながら撮影でき、しかも相手には目立たない。そんな機種が必要となる。ライカMやQはその代表格だ(ライカの赤バッチは目立つのでマスキングテープ貼る人もいるが)。

 

 じゃあ、せっかく持ってるならもっと使ってみたらどうだ、となる。宝の持ち腐れとはこのことだ。そもそもライカMはこうしたストリートフォトに最適のカメラだと言われる。人物を撮るには良いとも言われる。被写体と撮り手の距離を縮めるカメラだという。私はライカMを風景写真や、花のクローズアップ写真に使おうとするので、望遠もないし、クローズアップで寄れないし、ライカは使いにくいカメラだと不平を言い募ってきたのである。違う所に違う道具を持ってくるという愚を犯しているわけだ。そもそも出番を間違えているわけだから笑ってしまう。そうだ!せっかく人混みの東京に住んでいるのだし、ライカMやQを持っているのだし、条件は揃った(意図的に揃えたつもりは全くないのだが)。ストリートフォトに挑戦してみようと考えるようになった。

 

 

 機材としてのLeica M Type240とLeica Q:

 

 まずは定番、M Type240ボディーにはSmmilux 35mm F.1.4 ASPHの組み合わせ。ゴールデンコンビだ。ただしマニュアルフォーカスオンリー。ライブビュー機能も搭載されているが、いまいちレスポンスが遅く、外付けEVFは邪魔なので、基本はレンジファインダーでの撮影となる。手ぶれ補正機能なし。レンズ交換はできるが路上という撮影現場で、ごそごそレンズ交換するのはあまりスマートではない。

 

 Leica QはSummilux 28mm f.1.7 ASPH固定レンズ。AF機能付き、ボディー内手ぶれ補正機能付き。今風のデジカメの機能がほとんど全て実現されている。もちろんライブビュー撮影できるし、優秀なEVFが内蔵されているのでこちらを使う手もある。35mmが標準レンズだと思っている伝統的ライカ使いは、28mmという焦点距離に違和感があるようだが、私はこちらの方がいい。24mmでも良いくらいだが。

 

 35mmと28mmという広角単焦点レンズというこの二台をぶら下げて、東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出かけた。大盛況で混雑ぶりは申し分なしだ。集まっている人たちは売る人も買う人も皆真剣だから面白い。まずは手始めにイベント会場での人間観察と撮影に挑んでみよう。

 

ライカファミリーの優等生たち。左はLeica Q Summilux 28/1.7 右が Leica M Type240+Summilux 35/1.4

 

 

 いわゆるキャンデットフォトを試みるのにライカは最適なカメラだとよく言われる。もちろんきちんとファインダー覗きながらアンリ.カルチェ.ブレッソンよろしく、街を流れるように移動して撮るという神業もあるが、素人はファインダーをいちいち覗きながら構図をきちっと決めて撮影するのでは無く、デジカメ時代なので液晶画面見ながらで撮る方が楽だ。すなわちライブビュー撮影が便利だ。お宝選びに熱中している人、売り手と会話している人、観に来る人もなく暇そうにしている骨董屋さんもいる。立ち止まってファインダーで覗いてピント合わせしながら撮るよりは、ライブビューで瞬時に切り取ってさっと移動する。この点ではライカQが理想的なカメラだ。フィルム時代にもノーファインダーというテクニックがあったが、デジタルになってより便利になった。ライカM Type240でもライブビューは使えるが、少々シャッターレスポンスが遅くてイラつく。やはり基本的にはレンジファインダーを覗くことが求められる。あとはピント合わせ。ライカMの場合手動ピント合わせだから、絞って被写界深度を稼ぐ方法もある。広角レンズでパンフォーカスを狙う方法もある。しかし最近のデジタルカメラはみなAF精度が良くなり、合焦速度も速くなったので、ライカQが有利。マニュアルフォーカスは、じっくり構えて撮る時は良いが、ライカマエストロの域に達していない私のような人間にはやはり不利。こうして未熟で楽をしたがる使い手は、どんどん怠惰になる。本当は基本に立ち返ってもっと練習して技を磨く必要があるのだろう。ライカ使いのプロは、むしろマニュアルフォーカスの方がAFより速い!というからこれは名人芸の域だ。

 

 ライカQは良いカメラだ。改めてその速写性と画質の良さと操作性に感心する。いちいちファインダーを覗かなくてもライブビューでだいたいの構図を確認してシャッター押せばAFでピント合わせしてくれる。もちろん絞り開放でボケを生かすこともできる。マクロ撮影もできるのだから、もうこれ一台あればほとんどのストリートフォトがカバーできる。M の方はファインダーを覗きながらすっと近ずいて、さっと引く。あの身のこなし、フットワークを身につける必要がある。それにしてもMでもQでも、その生み出す画のクオリティーが非常に高いのに驚かされる。2400万画素フルサイズCMOSセンサーの威力だ。画素数だけ比べれば日本製のライバルのそれはさらに高画素を誇るが、秀逸なレンズ群とのマッチングが、ポストプロダクションに耐えうる豊富な情報量を画像ファイルに蓄えてくれる。とくにRAW/DNG撮影がオススメ。Lightroomでクロップによるリフレーミングをすると画素数が減少するのであまりやりたくないが、画質が劣化しないのが不思議。またシャドウ部もハイライト部も、つぶれたり飛んだりしない。画像情報がしっかり記録されているので、調整できちんとイメージ通りに再現可能だ。むしろポストプロダクションを積極的に利用するのもライカ使いの特権だろう。

 

 私のようなストリートフォト素人には、やはりQの方が使いやすい。結局この日はほとんどの写真をQで切り取った。ほぼあらゆるシチュエーションをカバーしてくれるし扱いやすい。フレンドリーな優等生だ。その一方、やはりMは気難しい優等生だ。誰にとっても付き合いやすくて思い通りの結果を保証してくれるわけではない。使い手を選ぶ。いや使い手が成長することを期待する。まるで私のロンドン時代の恩師のようなカメラだ。You must be much more ambitious!と叱られる。彼は自身が優秀な学者だったが故に、学生が並みのことしか求めてない人間だと分かると手厳しかった。Mはそういうカメラだ。まだまだ修行が必要だ。

 

 以下に作例を掲出する。やはり広角レンズを使う時は「もう一歩前へ!」が鉄則だと反省する。これだけ人が集まる場所で「遠目」写真ばかりだと、何を狙ったのかが曖昧になるということに気づかされた。くだくだと能書き書く割にはこの程度かと、ご寛恕願いたく候。

 

 追記:気がついた事ども。

 

 Qを絞りオート(A)で撮ると、絞り値は1.7開放側が選択されるようプログラムされることが多い。28mmとはいえ高速レンズなのでアウトフォーカス部分が目立ってはいけない時に目立つ。やはり絞り優先で撮ったほうがよさそうだ。安易にAEに頼るのではなく特にパンフォーカス狙う時は絞って撮ろう。

 

 M Type240はやはりピント合わせが課題。以下の写真もよく見るとピンボケが目立つ。フィルム時代の被写界深度利用の「絞って撮るテクニック」を思い出す必要がある。しかし、絞ると、今度は手ぶれに気をつけるべし。要するにかつて当たり前だった写真撮影の基本を思い出せと。要修練。

 

 ステルス性という点では、Qのほうが目立たない。Mはかえって目立つ。モノにうるさい人間が集まる骨董市では、「いいカメラぶらさげてるねえ〜」なんて、違いのわかる男が結構多かった。それで会話が盛り上がるのも悪くはないのだが、撮影バレバレではステルス効果ゼロ!かえってQのほうは見栄えのしない地味ないでたちであるせいか、ちょっと大きめのコンデジかな?くらいに思ってる人が多いようだった。注目されないという点では、Qはやはり究極のストリートフォトカメラかもしれない。

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

 

 

 


Leica M10登場 〜ライカMは永遠だ!〜

2017年02月12日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

M10

Black Chrome Body

外見は少し薄くなったが基本的には伝統のLeica Mスタイル。

しかし、その中身、すなわち心臓と脳が大幅に力をつけた。

 

M10

Silver Chrome Body

 

 

 

 

 今年の1月18日ドイツで発表されたライカのMシリーズの最新機、M10がついに日本でも1月28日に発売開始となった。昨年のフォトキナでの新型Mの発表がないな、と思っていたら、今年になって急にリリースのアナウンスがあった。これは2012年10月のフォトキナで発表され翌年3月に発売となったM Type240から4年目の新型Mライカだ。例によって入荷した実機は極めて少数で、ライカショップや公認ディーラーで手に入れた人は限られていたようだ。なぜライカはいつもこうなのか? M Type240の時は、次の入荷が半年後だった。ライカショップ銀座に問い合わせると「今度は3ヶ月後くらいには入荷するから、それほどお待たせすることはありませんと」。それだけ待てば十分だろう。これもライカ商法なのか。私の商売の経験上、市場投入のタイミングと投入量は極めて重要だということ疑ったことはないのだが。注文生産ならともかく、コモディティー化した商材と「高付加価値商材」では出荷ロジックが違うのか? 会社業績は好調なのだから間違った戦略ではないのかもしれないが。M10発表時のインタビューでライカの新CEOは、これまでのライカ社のマーケティング、営業の姿勢を変え、「発売時の製品の完成度と市場投入量を改善する」と言っていたのをただ思い出しただけだ。

 

 今回は製品名はLeica M10となった。M9の後継機という位置付けのようだ。これまでのM Type240は併売するという。じゃあM Type240のMシリーズでの位置付けはなんなのか? 動画撮影機能がついたMシリーズの派生製品だったとでもいうのか? ライカ社の説明だと、MシリーズはType240以降はTypeナンバーで系列化する、といったん決めたのだが、やはり元のMナンバーに戻すことにしたのだとか。その理由はユーザーがM240と呼ぶようになったので、混乱し紛らわしくなったからだと。どうでも良いがあんまり一貫したしたネーミングポリシーに見えない。後付けでいろいろ言い訳しているようにしか聞こえない。ライカ社の市場戦略は、ビジネスケーススタディーとして非常に興味深いものがあることはこれまでもなんども述べた。時に違和感満載だったりするのでライカを語るとどうしても、辛口のコメントから入ってしまう。それだけ「いじられやすい」カメラなのだ。孤高の人はいじられやすい。

 

 しかし今回のM10は、非常に完成度の高いMに仕上がったと感じる。先日ライカショップで実機を手に取る機会があったが、なかなか手ごたえを感じることが出来た。あのM8登場時の、まだ試作品のまま売り出してしまったんじゃないかと思ってしまうような未熟さと、バグや???マーク満載のデジタルカメラ(また辛口!)から10年、「遅々として進んできた!」(またまた辛口!)デジタルカメラ化の進歩が、とうとう完成の域に到達した感がある。Type240でもかなり完成度が上がったと思っていたが、デジタルカメラとしての機能(特にライブビュー機能)、高感度特性、撮影・読み出し処理速度の改善、したがって撮影のサクサク感が大幅に良くなった。これまで何度も言ってきた通り、Mをデジタルカメラにする以上、デジタルカメラとしての信頼感・安定感と機能の高度化を目指して欲しい。それがようやく実現した。これは画期的だと言わざるを得ない。

 

 世の中はミラーレス時代。プロ用機材やハイエンド機材としても使用に耐えうるミラーレス製品が続々と市場投入されてきている。こうした中、いつもMの新製品が噂されるたびに、次のライカMはレンジファインダーを無くすのでは?といわれつつ、結局はなくならない。昨年、ライカ社はMとは別のラインアップを市場に投入し、ミラーレスはSLやTL,Qなどのシリーズでカバーし始めた。したがって伝統のMはあくまでもMとしてシリーズ化してゆく。レンジファインダーとったらMじゃない。ライカのアイデンティティーがなくなってしまう。クラウンジュエルは死んでも離さない。ニコンやキャノンがプロ用機材はあくまでも光学プリズムとミラーを使った一眼レフにこだわるのと同じだ。外見も頑なにM3からのラウンドシェイプを守っている。一時期M5で弁当箱型の大きなサイズに変えて評判を落としたのに懲りたのか、M6で元に戻した。しかしデジタル化した時、M8ではボディーは厚みを増し、全体に若干大型化した。以降M9, M Type240とこのボディーサイズを継承したところ、これに違和感を感じるユーザーが思いのほか多かったという。そいう意味で、今回のM10の最大の売りは、そのボディーサイズがM9やM Type240より4mmほど薄くなって「とうとうM3のそれと同じになった」ことだという。実装技術イノベーションで伝統的なサイズにリパッケージできた。これがM10の最大の特色というわけだ。さすがライカ社は技術ブレイクスルーの使いどころが違う。ライカユーザーはそんなに保守的なのか。拘ってるなあ。

 

 M10の特色

 

1)ボディーサイズが4mm薄くなった(ライカ社はこれが最大の特色だと言っているのだから、これを一番に挙げるべきなのだろう)。

2)画像エンジンがMaestro II (S, SL, Qと同じ)となり、高速でレスポンスが良くなった。特にライブビュー機能が大幅に改善した。

3)新しい2400万画素CMOSセンサー(ローパスフィルターレス)を開発し、Maestro IIとのチューニングで画像再現性(ダイナミックレンジ、高感度特性、周辺部画質など)が大幅に改善した。特に2400万画素のまま低輝度撮影の画質を大幅に改善した。色味はM9を再現したという。

 

 私はこの三点に尽きると思うが、そのほかのType240からの変更点をいくつか挙げると、

 

1)ビデオ撮影機能を廃止(Mには不要というユーザが多かったそうだ。私もだが)。

2)ISO感度ダイアルを軍艦部に設けた(相変わらず露出補正ダイアルは設けない)。

3)光学ファインダーの視野率が30%広がり見やすくなった。

4)外付けEVFはTL用のものを利用し解像度が増して見やすくなった。GPS機能付き。

5)WiFi搭載、スマホアプリとの連携。

6)フレームセレクタレバーを復活。

7)水準器機能を廃止(なぜ?)。

8)背面の機能ボタン数を減らした(削除ボタンも廃止)。

9)ストラップ擦れ防止ペグを廃止(傷がついても構わない)。

10)ブラックボディーはペイントからクロームに(「剥げ」を楽しめない)。

11)バッテリーがボディーサイズに合わせ薄型になった(動画もないので小型化)。

12)バッファーメモリーを2Gに増やし、連写機能が向上(Mで連写はしないが...)。

 

 何よりも、新しい画像エンジンMaestro IIと新CMOSセンサーでサクサク感が大幅に改善したのが一番だ。とくにライブビュー撮影でのレスポンスが良くなり、ミラーレスカメラとしての実用性が大きく改善した。Maestro IIは昨年発売されたミラーレス機であるSLとQに取り入れられており、その使用感は馴染みになっているだけに、同じ感覚でM10と向き合えるのは嬉しい。私はフレームの外側を見ながら「予想撮影する」というライカ使いの達人でもないし、ストリートフォトグラファーでもないので、結局、レンズとファインダーの視差がある不正確なフレーミングのレンジファインダーを多用することはない。もちろんクリアーな実像を光学ファインダーで見つめる喜びは共有しているが、コンパクトで良い道具感に溢れるMボディーを、きちっとしたフレーミングが取れるミラーレス機として、これまでのオールドレンズを含むMレンズ資産を活用できることが嬉しい。これはライカ社の本意ではないかもしれない。しかしせっかくライブビュー撮影機能を備えたのに、レスポンスが悪いのでは実用にならない。かといって、ライブビューを取り払ったType242に手は伸びない。そこまで私はストイックではない。デジタルカメラになった以上、最小限のデジタル化の恩恵を享受したいだけだ。惜しむらくはQのようにEVFを内蔵してくれると一番なのだが(Fujifilm X-Proのようなハイブリッドファインダーは凄いと思う)。スリークなボディーラインを楽しむカメラにプラスチック製の外付けファインダーは似合わない。

 

 また、高性能な画像エンジンと合わせて新規に開発された2400万画素CMOSセンサー(サードパーティー製)は、画像再現性が一段と良くなった。特に階調の豊かさはもともとライカMレンズの特色だが、ボディー側もそれを支える最適プラットフォームになった。シャドウ部の情報量をキープして潰れない。撮影後の後処理にも耐えうる高品位な画像データを生み出してくれるボディだ。またISO感度は100~50,000と拡大し、画素数を減らすことなく(2400万画素のままで)高感度特性が大幅に改善してノイズが少なくなった点も特筆に値する。これはavalable lightでの撮影を重視するライカ使いには大事な進化だろう。色味は、いろいろな市場調査からM9時代のCCDセンサーのそれにしたという。具体的にはGentle&Warm。それとCosyだそうだ。巷にはMシリーズのCMOSよりもCCDの画を好むユーザーがいることは知っていたが、それほどなのか。私にはよく分からない。これは好みがあるだろう。これまでと同様ローパスレスなので高解像度である点は変わらない。ただセンサー前のカバーガラスを改良してMレンズからの入射光が受光素子に対して最適になるよう再設計されているという。やはりこうした点からもMレンズに最適のボディーはやはりMボディーだということになる。ボディーサイズの改善も重要だが、この画像エンジン(Maestro II)と、新たに開発された2400万画素CMOSセンサー。カメラの脳と心臓の大幅な進化がやはりこのM10の特色だと感じる。

 

 ライカMは、デジタルになってもフィルム時代から長年使ってきたフォトグラファーの手に馴染む形と操作感を大事にしてきた。数字上のスペックよりも道具としての使い心地を大事にしてきた。そういう意味において、その使い心地の継続性を新しいデジタルプラットフォームの上でも実現させなければならない。デジタルカメラ化した以上、その基本性能のブラッシュアップは必須であったはずだ。今回、レンジファインダーが見やすくなって、ボディーサイズがフィルム時代のMに戻ったことはもちろん画期的であるが、それとともに、10年の試行錯誤の末に得た新しい画像エンジンと画像センサーを導入し、タフで繊細で頭の回転が速いデジタルカメラとしてのクオリティー、能力が大幅に改善したこと、これが私にはとっては一番嬉しい。

 

外付けEVF

シンプルな背面ボタン配置

 

軍艦部左にISO感度ダイアル

電源スイッチ部はオン・オフのみで連写クリックがなくなった

 

 

(写真はライカジャパンのHPより引用)

 

 

 

 

 (参考)Leica M Type240に関する過去のブログ:

 

2015年10月6日:Leica M (Type240)  〜2年目の使用レポート〜

 

 

2013年4月5日:Leica M( Type240) の使用感など 〜ライカのジレンマ〜

 

 

2012年10月26日:Leica Mという画期 〜MはやはりMなのか?〜

 

 

 


Leica Noctiluxという名馬を操る 〜「千里の馬は常にあれど伯楽は常にはあらず」〜

2016年08月29日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

Noctilux-M 1:1/50 + Voigtlaender VM-E Closed Focus Adapter + SONYα7RII

 

 

 ライカにはその歴史上数々の名レンズ/迷レンズがラインアップされてきた。だいたいにおいて万人向けの使いやすいレンズといったシリーズは少ない。が、使い手を選ぶ気難しいレンズはいっぱいある。Elmar 50mmやSummicron 50mm,35mmなどは比較的扱いやすい方だが、フレアーやハレーション華々しいSummar 50mm, Summitar 50mm,旧Summarit 50mmなど50mm標準レンズクラスでもクセ玉がずらりとラインアップされる。35mm広角レンズでは名玉・迷玉で有名な初代Summilux 1.4などは素人には出来損ないレンズに見えてしまう厄介な代物だ。そしてこの高速レンズNoctilux 50mm f.1。第4世代のレンズだ。最新のものはその開放F値が0.95という最高速レンズで非球面化(ASPH)されたので多少扱いやすくはなったものの、それでもNoctiluxは代々扱いが難しいレンズの代表格だ。これらはレンズの個性・味としてライカ使いのマエストロにもてはやされてきた。レンズ設計が手計算で、レンズ研磨も手磨きの時代。コーティング技術もまだ十分に確立されていないので、収差などにバラツキが出たり、逆光フレアーが盛大に出たり、手仕事による個体差が現れる。それを「道具の目利き」よろしくマエストロたちが自分にあった個体を選び出し、一生モノとして愛でる。そういう世界だった。そういう意味で現代のライカレンズは個性がなくなってしまった、とオールドファンは手厳しい。職人芸のマイスターが創り出す「お道具」から合理的な生産ラインで生み出される「モノ」になってきたということだ。

 

 Nictiluxの話の戻るが、まず開放で撮るには正確無比なピントあわせが必要。これがなかなか至難の技。合焦部分のピントの幅が極めて薄く、かつその周辺部分はうっすらとボケる。いやフレアーが沸き起こり、ハレーション起こしてるんじゃないかと思わせるようなふんわり感。どこにピントがあっているのか目視では分かり難い。ライカのレンズはどれも合焦部分とボケのコントラストが絶妙なのだが、これは素人には絶妙を通り越している。目の慣れた達人だけが「名人芸のごとく」そのピントを嗅ぎ分けられる。

 

 しかも、LeicaMカメラのボディーで撮影するとなると、ライカ秘伝のレンジファインダーで正確にピントあわせするテクニックと熟練の技が必要だ。この辺がライカは使い手を選ぶと言われる所以だろう。デジタル化されたType240のライブビューでの撮影にはさらに別種の慣れが必要だ。フォーカスピーキングや拡大機能が搭載されて便利になったはずだが、なおピンボケの山を築いてしまうのは何故なのだろう。液晶画面は意外にMFによる細部の確認に不向きなのかもしれない。

 

 さらにMボディーだと最短撮影距離が1mという老眼なのももどかしく感じる。高速レンズのボケ(Bokeh)を生かしたクローズアップ撮影を狙っても無理。そもそもレンジファインダーカメラは近接撮影を想定してない。従ってレンズ設計も寄れない構造を是とすることとなる。せっかくのf.1, f.0.95が勿体無いと思う。もともと夜間でもavailable lightで撮影出来る高性能レンズという触れ込みで開発されたのだが、近接撮影でもこのF値を生かしたBokehを楽しみたいと思うのが人情だろう。

 

 こうして私のような、ライカMボディーという厳しい親方に、いつも駄目出しされる撮り手は、ついSONYα7RIIなどという最新テクノロジーで武装した優しい親方の方に行ってしまう。ライカ道修行が足りないのだ。さらにこのSONYα7用にコシナからライカMレンズ用クローズドフォーカスアダプターがリリースされている。これを使えば、上記のフラストレーションが解消される。まず、最短撮影距離が30cmまで寄れる。そしてSONYα7ボディーに搭載されている手振れ補正機能、フォーカスピーキング、ピント拡大機能が、有効に働いてくれる。こうしてNoctiluxというモンスターレンズで「手軽に」近接撮影によるボケを楽しむことができる。なんと便利な世の中だこと。まさに「私にも写せます」だ。

 

  しかし、そうは言ったものの、なおNoctiluxの開放撮影でのピント合わせは厳しい。これだけSONYボディーの最新フォーカスアシスト機能があっても思ったところにきちっとピントを決めるのには修練がいる。なかなかピチッと決まってくれない。厳しい親方はMボディーだけかと思っていたが、このNoctiluxという親方はもっと厳しい。このモンスター名器を使いこなすにはまだまだ修行が足りない。もっともっとピンボケの山を築かないと腕は上がらないのだろう。「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」だ。名馬を名馬として見出し使いこなすには名伯楽がいなくてはならない。そしてその名馬は名伯楽を育てるのだ。



 掲載の作例は、このSONYα7RII+Voigtlaender VM-E Close Focus Adapter+Noctilux 50mm f.1という組み合わせで撮ったもの。

 

 

室内で開放で30cmほどの近接撮影。ピントの幅が極めて薄いことがわかる。

しかしボディー内手振れ補正が機能してくれるのが嬉しい。

おかげで狙ったところにピントがきちっと合った。

 

屋外で距離1mを超えると写しやすくなる。後ろのボケ方も自然だ。

 

撮影距離1m以内に寄っても上から俯瞰するように撮れば周辺がなだらかに減光/アウトフォーカスしてくれる。

 

ピント部とボケのコントラストがライカレンズ独特の立体感を生み出してくれる。

曇天の薄暗い光のなかで威力を発揮するレンズだ。

 

失敗作。

手前のエッジ部分にピントを置いたつもりが、後ピンになってしまった。手持ち撮影だと体がちょっと動いただけでピントは簡単にズレる。

 

Crazy Comparison!:

 

 Noctilux 50mm f.1と双璧をなす名レンズSummilux ASPH 50mm f.1.4による開放での撮影結果を比較してみた。Summiluxの方は非球面化(ASPH)された最新設計のレンズ。開放F値が一段暗い分、ピントあわせが楽であるほか、被写体周辺部のフレアーも少なくてさすがに解像度も高い。こうしてみるとSummiluxは使いやすいレンズということになるが、これはこれで結構なじゃじゃ馬レンズである。なにしろ、出自がXenon 50mm f.1.5を先祖に持ち、前述のクセ玉Summarit 50mm f.1.5の後継機種なのだから。収差はよく補正され、最短撮影距離も70cmとなり、最新のASPHレンズの性能は素人にも扱いやすいレベルになったが、もともとライカのレンズは開放F値が小さいほど使い手の技が求められる。したがって最も明るいNoctiluxはさらに熟練度を向上させなくてはならないというわけだ。どちらがよいレンズかという問題ではなく、自分の思った表現手段としてどう腕を磨き使いこなすかという問題だ。いずれにせよ使い手の力量、熟練度、そしてセンスを試される厳しさを持ったレンズ達だ。名器とはそうしたものだ。

 

 

Summilux ASPH 開放f.1.4

フレアーも少なくすっきりした画になっている

Noctilux 開放f.1

ロゴ部分はしっかり合焦しているが

全体に薄くフレアーがかかっている。

 

 

 

 














 

 

 


Leica SLとSONYα7RII  〜これからの高品質・高性能ブランドとは〜

2016年08月24日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

 

初瀬の長谷寺にて

 

大森貝塚公園にて

 

 掲載の作品2点はいずれもNational Geographic Your ShotのDairy Dozenに選ばれたもの。 

Leica SL+Vario-Elmarit-SL 24-90mm ASPHで撮影。

 

  

 どうも以前から気になっていたのだが、最近のLeicaのミラーレスカメラはSonyのそれとラインアップやテイストがよく似ている気がしてならない。そう言うと両社は必死で否定するのだろうが。だが、フルサイズのLeica SLはSony α7シリーズを、APS-CサイズのLeicaTはSony α6000シリーズを、LeicaQはSony RX1を、そしてパナソニックのOEMであるLeica D-LuxはSony X100を意識しているとしか思えない。偶然ではないだろう。

 

 Leicaはレンジファインダーカメラの頂点に立ち、その歴史的な勝利を手にした。押しも押されもせぬ大御所としての地位を誇り、そして一転して一眼レフに市場を奪われるというの敗北の時代を迎えた。そのトラウマからNikonやCanonのような一眼レフカメラ(ミラーあり)に大きな対抗心とコンプレックスを抱いていた違いない。ちょうどNikonが、LeicaM3という不動の名機にの登場にほぼ絶望感に似たコンプレックスと対抗心を抱いたように。渾身の技術力でNikon SPを出したが、市場での評価はM3に及ばず、やがて敗北感を胸に一眼レフNikon F開発へと方向転換。これが逆転の成功劇の始まりであった。そして今、デジタル時代になって、出遅れていたLeicaは一生懸命アナログMボディーにフィルムの代わりにCCDやCMOSセンサー詰め込んで、デジタルカメラでございます!とやってみたが、「何じゃこりゃ」反応に戸惑ったに違いない。全くこれまでのカメラ作りとは異なるテクノロジーの変化にとても日本勢には追いつけない。第二の敗北かと思われるなか、10年が経ってしまった。しかし、新たにミラーレスというカテゴリーに気づくと、ヤッタ〜!ここでリベンジしないともうリベンジする時は来ない、とばかりに矢継ぎ早にミラーレスカメラを打ち出してきた。Mデジタル化での試行錯誤とパナソニックとの協業、モンスター一眼レフカメラSの開発で追いついてきたLeica型のデジタルカメラ。ようやくミラーレスで、LとMの成功とライカ判の創始者という名門のジレンマ、保守的なユーザ層、オスカー・バルナックの亡霊から解放された感がある。

 

 このミラーレス戦略は実はSonyも同じだ。Sonyはそもそもカメラメーカーではなかった。世界に冠たるSonyブランドも陰りを見せているなか、デジタルカメラ市場に参入した。Sonyのカメラの前身は買収したMinoltaのカメラ部門であるから、本来はPentaxと同様に日の丸一眼レフの巨頭の一角を占めていたはずだ。現に旧Minolta αシリーズを引き継いだデジタル一眼レフをSony αとしてラインアップしているところがLeicaとは異なる。しかしデジタル一眼レフの市場ではやはり二巨頭Nikon, Canonの背中は遠かった。一方でSonyは画像センサーやチップなどの電子的デバイスの自社製造という優位点を持っているので、光学プリズムファインダーを排したミラーレスカメラは競争優位を打ち出すにはうってつけの製品だ。しかも軽小短薄路線はSonyの社是みたいなものだ。一時代を築いたトップランナーの成功と挫折、こうした背景を共有していることが、両社のラインアップ戦略とブランド戦略を似たものにしているのかもしれないと勝手に推測している。ちなみにLeicaの新社長が元Sonyの役員出身だということも関係あるのかな?

 

 こうしたミラーレス重点開発というモチベーションは同じでも、出来上がってくる製品には違いが現れる。この辺は両社のカメラ造りのDNAの違いだろう。

 

1)コンセプト

 

Leica SL:ミラーレスは軽量小型カメラ、という常識を見事にぶち破った(!?)カメラ。重厚長大カメラ(バズーカ砲を常時携帯!)になってしまった。日本製のフラッグシップデジイチに比べても重量級である。別に軽量化しようなんて考えてもいないだろうが。

 

Sony α7:フルサイズにしては軽小短薄ボディー。APS-CサイズのEマウントα6000シリーズのボディーとレンズの異様なアンバランスという軽小短薄路線からスタートしたわけだから。しかし(その意に反して?)結構本格的なレンズ群GやG-Masterを開発するにつれ重量級システムになってきた。

 

2)レンズへのこだわり

 

Leica SL:渾身の重厚長大ズームレンズ(ズームでも画質の妥協はない。鏡胴は全金属製でこちらも妥協がない)。現時点では標準ズームの24−90mmと望遠ズームの90−280mmがラインアップされている。一見、長さはNikon, Canonのそれと同レベルに見えるが、その質量は超弩級。焦点距離とf値は同じでも描写性能を重視するとこういうアウトルックになる、という例だろう。

 

Sony α7:Zeissブランドでスタートしたが、ミノルタロッコールレンズの伝統を引くGシリーズ、さらにはG-Masterシリーズを新たに投入してきた。イメージセンサーの高画素化に対応したレンズ群、すなわち高解像度に加えて滑らかなボケ味を追求した高性能レンズをこれから投入してくる予定だ。こちらも画質に妥協はないが鏡胴の質感はLeicaに比べるとさすがにそこそこだ。適度にエンジニアリングプラスチック素材を使い軽量化を試みる、というの日本的な合理化、コスパ追求、ユーザ利便性追求の結果だが。

 

3)価格

 

Leica SL:びっくり仰天価格!SLボディーだけで95万円。標準ズーム24−90が65万円。望遠ズーム90−280が75万円!Nikonのプロ用フラッグシップD5でも60万円だからかなり強気なプライスタグ。しかし、Mシリーズに比べればこれでもリーズナブルと言いたげなプライシングだ。名機は安売りしないというわけだ。

 

Sony α7:ライカの半分以下の価格、それでもα7R・SIIは頑張って40万円越えの値付け。Gマスターレンズシリーズは20万円越えを設定。またライカが「あんな」値付けをしてくれるので、安心して「こんな」高値がつけられる。

 

 

4)コストパフォーマンス

 

それを言っちゃあお仕舞いよ!なんだろうな。それを求めてはいないのだ。少なくともLeica社は。しかし、Sony α7の描写性能、操作性はLeica SLのそれに劣らないどころか上回っているくらいだ。最新の技術と機能のフルスペックを余すところなく小さなボディーに詰め込んでいるその姿はさすがSony! ボディーやレンズ鏡胴素材を軽量化している分、お道具としての「いい仕事してますね〜感」でLeicaが高得点しているぐらいの感じだ。こういうLeicaに分の悪い比較コメントは、必ず(高い金払ってしまった)ライカファンからのブーイングがあるのでこれくらいにしておこう。「いちいち他と比べるなよ、そんなカメラじゃないんだから、コッチは」と。

 

5)写り

 

デジタルカメラもここまで来たかというこの両システム。特にSony α7RIIの4240万画素CMOSセンサーが叩き出す画は何か一線を超えた感がある。Leica SLのほうはやはりそのレンズの性能へのこだわりが強烈だ。重くなっても、大きくなっても構わない。ズームでも画質優先に妥協はしないという頑固さが際立っている。これもズームレンズによる異次元の写真表現の世界を拓いた感じがする。ライカがズームレンズを作るとこうなる、と言いたげ。もっともこのシステムを撮影現場に持ち出すには、しっかりしたストラップと、見合った頑丈なカメラバッグと、三脚と、そして筋トレが必要だが。ちなみにSonyが軽小短薄路線にもかかわらず、レンズが高解像度を目指すに連れ重厚長大化しているのは皮肉。まだまだ軽小短薄高性能レンズへの挑戦は続く、という訳か。35ミリフルサイズカメラも高画素化に伴い解像度では中判カメラを凌駕した。ハッセルブラッドが最近中判デジタルカメラを発表したが、結構厳しい戦いになるのだろう。

 

 

 これからの「高品質」とブランド・エクイティー

 

 安くて高性能/高品質。それが誰でも手に入れられる。大量生産、大量消費。これを目指してきたモノ造り哲学の結果がすなわちコモディティー化の道であったことに気づいて久しい。革新的と言われる技術の陳腐化のスピードが速くなっている。昨日の差異化要因はすぐに目新しいモノではなくなってしまう。誰でも作れる。ならば製造コストが安い方が(特に途上国)競争優位に立てる。こうして安くていいモノが大量に出回る。製品単価は下がり続け、したがって利益は薄い....というモノ造りビジネスモデルのジレンマに陥ってゆく。「高付加価値」は別の形で実現されるべきだ。SonyもLeicaも感性に訴える高品質ブランドの代表であるが、これからの「高度成熟期」のブランド戦略は「高度成長期」のそれとは異なる。コモディティーよりちょっと高級、ちょっと感性をくすぐってカッコイイくらいの差異化要因では存在価値がなくなってきている。それはすぐに後発競争相手に追いつかれるからだ。これまでのブランドとは違うイメージを再構築せねばならない。例えば、誰もが共有できるみんなと同じ価値ではなく、自分しか持てないストーリー、私だけの喜び。得難い希少性。すなわちexclusivityのような。「モノより経験」といった、モノから出てそのモノを超えた世界を提示してみせるような。その点ではLeicaの挑戦が興味深い。「遅れてきた名門ブランド」が勝ち組の世界を築いてゆくのか...

 

 「デジタル化」という究極の合理化テクノロジーのなかに、どのように「味」とか「感覚」「感性」といった非合理的な「曖昧さ」を伴う価値を醸し出すか。それを所有し使うことによって、人とは異なる世界を表現できるか、体験できるか。新たなパラダイムシフトの時代に入った。そうでなければどんどんコモディティー化という負のスパイラルに巻き込まれてゆく。ビジネスをする側もブランド価値を高めて行かないと事業継続の意欲を失って行くだろうし、買い手もワクワクしない。スマホのカメラで十分だ。いやスマホの方がワクワクする。あらたなブランド・エクイティーを築くのは誰なのだろう。こんなビジネスの世界も、線形物理学的な合理性ではなく、1+1=2にならない非線形系と、連続性が保証されない離散系といった複雑系の「合理性」の時代へと突入してゆく。イノベーションとはそうした中で起こるべきものだろう。

 

  

左から、Sony α7, Leica SL, Nikon D800

Nikonは一眼レフ(ミラーあり)だ

 

Leica SLと Sony α7サイズ比較

Sonyも最新のレンズを装着するとかなりの重量級となるが

 

 

 

 


Leica Vario Elmarit SL 24-90mmASPHという怪物ズーム!

2016年02月18日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

レンズを着けるとボディーが小さく見える

 ライカSLがリリースされてから3ヶ月が経過した。予約入荷待ち状態が解消されようやく市場にブツが流通し始めたようだ。もちろん話題の中心はこのコンクリートブロックのようなミラーレスのSLボディーなのだが、私にとってはレンズが注目だ。何しろライカ初の35mmフルサイズAFズームレンズなのだから。

 

 ライカMの「ズームがない、寄れない、AFがない」の3無いを解消したレンズ。レンズ内手ぶれ補正つきAFレンズだ。しかしその代償は「でかい、重い、長い」。SLボディーに装着すると重厚長大の超弩級カメラとなる。コンクリートブロックの塊のようなボディーが小さく見える。というわけでとても軽快なスナップシューターには程遠い。しかしそれだけのことはある高性能ズームだ。一見、24-90mm f.2.8-4というスペック的にはよくあるキットレンズに見えるが、その解像度、階調、ボケ味、どれを取っても単焦点レンズに匹敵する性能を発揮する最高のズームレンズに仕上がっている。望遠端が90mmというのも良い。Mレンズ群が苦手とした近接撮影では広角側で30cm、望遠側でも45cmまで寄れるし、フローティング機構により解像度も素晴らしい。歪曲収差はデジタルカメラらしく上手く補正されている(JPGでは全域でデジタル補正。DNGでは24mm付近では樽型に曲がるがADOBE現像ソフトでは自動的に補正される)。これぞ待ち望んでいたライカズームレンズ!とうとう出てきたなゴージャス君!

 

 これまでのライカズームレンズは旧Rマウントシリーズ(一眼レフ)向けのものしか無かった。それも自社製ではなくて日本メーカーのOEM供給品ばかり。その性能も造りもソコソコで、価格もライカにしては安い。それにライカブランドつけて出すんかい?と言いたくなるような代物ばかりであんまり評判が良いとは言えなかった。ライカはズームをやる気が無い、ということを感じさせたものだ。もっとも日本メーカーの名誉のために言っておくと、それらのOEM 供給各社は、自社ブランド向けには、極めて高性能なズームラインアップを市場投入している。ようは発注側の問題だろう。この Vario Elmarit SLはドイツのレンズ設計部隊の作品で、かつドイツ製造だ。この少し前にTマウントAPS-Cサイズセンサー用の標準ズーム(28−80mm)を出しているが、こちらは設計はドイツ、製造はまだ日本メーカーのOEM。SLミラーレスと銘打ってやっと自社製に本気出した。

 

 作例を以下に掲載した。ズームレンズとは思えない先鋭な解像度とアウトフォーカス部のとろけるようなボケ味がこのレンズの持ち味だ。ライカレンズ独特の立体感表現(木村伊兵衛の言うところのデッコマヒッコマ)をズームレンズでどこまで出せるか、という課題への挑戦が実ったということだろう。これならこの一本でズミクロンやズミルクスに肉薄する世界を写し出してくれそうだ。かつての首をひねりたくなるようなズームからは大きくパラダイムシフトした。ここまで来るのにこれだけの時間とコストがかかった。やはりライカのレンズの味に対するこだわりは妥協を許さないものがある。しかもコスト度返しでそれを追求する。数字上は一見平均的なスペックのレンズだが、レンズ硝材、コーティングに贅を尽くし、総金属製の堅牢で巨大な鏡胴をまとい、フィルターサイズ82mmというフロントレンズの口径はすべて画作りのためだった。しかしそれにしても重い。

 

 (作例)

 

 

結像部分はシャープ。背景のボケはメロー。この組み合わせがライカレンズの「味」だ。

 

水平も歪みがない。隅々までクリアーに写る

 

かなり意図的なシーンだが階調も豊か

 

シャドウ部の点光源もシッカリ解像している

 

不思議な立体感

 

これが標準ズームの画なのか?!

 

コントラストを強調