時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

冬紅葉をめぐる大和古寺巡礼(3)ならまち元興寺

2015年12月23日 | 奈良大和路散策

飛鳥の法興寺から移設された日本最古の瓦ぶき屋根(行基葺)

 

 今年もいよいよ押し詰まってきた。様々な煩悩に苛まれた一年だった。そういった、ざわついた気持ちのまま、初冬の大和古寺巡礼の旅に出た。そこには別の時間が流れる世界があった。いつものことではあるがまたまた資本主義世界とは異なる世界観に心洗われる。大阪での仕事を終え、限られた時間ではあるが、唐招提寺、長谷寺と巡り、ここならまち元興寺極楽坊の智光曼荼羅にたどり着く。

 

 ここはわが国初の仏教寺院、飛鳥の法興寺が元である。それが平城遷都にともないこの地に移り元興寺となった。当時は広大な敷地を有する有力な寺であったが、時代とともにその寺域は狭まってゆき、旧元興寺境内の大半はやがて人々の生活の場に変わっていった。いまならまちと呼ばれている地域がかつての元興寺境内である。わずかに往時を偲ぶ僧房の一つが今の極楽坊である。ここは、夏にはサルスベリや酔芙蓉、桔梗に彩られ、秋には萩で有名な寺であるが、この季節求めてきた冬紅葉は見当たらない。寒々とした曇天の空に彩りはない。今ここにあるのは滅びの美を象徴する行基葺の古代屋根瓦と、板碑の中心に立つ慈愛に満ちた地蔵菩薩、そして堂内の暗闇に光を放つ曼荼羅世界だ。


 元興寺の今の姿は、飛鳥時代の権力者蘇我氏の氏寺という性格や、南都七大寺としての官寺のステータスを誇っていた時代の姿ではない。中世に至り智光曼荼羅を本尊とする南都浄土信仰の中心となった。かつての仏教伝来にまつわる権力闘争や南都七大寺として朝廷の中枢を担っていた時代は歴史の彼方に去り、浄土信仰、聖徳太子信仰、弘法大師信仰、地蔵信仰など庶民に支えられた救いの場として栄え現在に至っている。時代とともに権力者は栄枯盛衰うつろい行くが、庶民の力は永遠に不滅だ。庶民が守り続けた微笑みを絶やさない地蔵菩薩と曼荼羅が放つ仏の光が乾いた心を満たしてくれる。

 

お地蔵様は身近にあって庶民を守ってくださる仏様。

関西はいまでも地蔵信仰が街角の地蔵堂に息づいている土地柄だ。

なんと優しいお顔

 

智光曼荼羅(堂内撮影禁止なので堂外から撮影。罰当たりお許しください)

仏の宇宙観を表現した曼荼羅がご本尊

誰が手向けたのだろう

  

飛鳥法興寺から引き継がれた古代瓦(行基葺)

 

 

秋には萩の寺として知られる元興寺極楽坊

元興寺極楽坊。旧元興寺の僧房の一つ

 

鶴福院町からの興福寺五重塔

ここもかつては旧元興寺境内であった。

元興寺は興福寺と境を接していた。

 

旧元興寺境内の東

猿沢池に接するあたり

 

(撮影機材:LeicaSL+ Vario Elmarit 24-90mm f.2.8-4)

 

以前のブログ:

「元興寺とならまち」 ~日本最古の仏教寺院はいま~2010年

 

 

 


冬紅葉をめぐる大和古寺巡礼(2)長谷寺

2015年12月20日 | 奈良大和路散策

 

 

 初瀬の里に長谷観音菩薩を参拝する。この身の丈10m超、一木造りの十一面観世音菩薩立像の堂々とした立ち姿と慈愛に満ちた眼差しは、やはり資本主義的合理性に疲れた心には救いである。この観音像は平安時代に二体作られ、一体はここ初瀬の長谷寺に安置された。もう一体は観音の慈愛が他の人々にも届くようにと海に流されたという。これが相模国に流れ着き、もう一つの長谷寺が造立されそこに安置された。鎌倉の長谷観音である。こういう現代的合理性では到底理解できない伝承にいたく感銘を受ける私は、かなり観音菩薩の愛に包まれているのだろうか。物事の道理とは超越的な経験や言い伝えに基づく理解であることがあるのだ。

 

 長谷寺は「花の御寺」と言われる美しい寺。春の桜、五月の新緑と牡丹。初夏のシャクナゲ。そして秋の紅葉。冬の雪と寒牡丹。四季折々に息を呑むような大和路初瀬の里の美しい時を演出してくれる。しかし、錦秋の煌めきが終わった晩秋から初冬にかけてのこの季節、「花の御寺」は静寂の時を迎える。いつものような華やかさはないが、この時期こそ心静かに観音様に手をあわせることができる。境内に観光客の姿は途絶え、参道の名物くさもち屋も三輪にゅうめん屋も手持ち無沙汰な季節となる。長谷寺もこの時期に大舞台の修理、仁王門の修理を急いでいるのか、覆いが被せられている。拝観受付の女性は「スンマセンなあ、せっかくお出でやしたのに」と。「いやいやいいんです。こんな静かな長谷寺を求めてきたんですから」   

 

 長谷に来るといつも初瀬川を隔てた向かいの山頂の愛宕神社に登る。ここからは長谷寺の全景が見渡せる。この季節はこのあたりの名残の紅葉、冬紅葉が美しい。過ぎ行く紅葉の季節。落ち葉が敷き詰められ寂寞とした林の中にきらめく季節の残光を見る。今ここから展望する堂宇は、あの桜や紅葉に埋もれた長谷寺の姿ではないが、大舞台の奥で観音菩薩が衆生を救わんと光を放っているのが見えるような気がする。

 

 長谷寺に向かう参道を少しそれて、與喜天満宮参道の階段を登る。二の鳥居あたりから見下ろすことのできる初瀬街道も人や車で溢れる季節と違って静かである。ここはかつて伊勢詣の伊勢本街道初瀬の宿であった。観音信仰と伊勢詣。旅する平安みやこ人憧れの地、ここから展望する谷あいの街道筋は往時を忍ばせる景観をよくとどめている。遠くに旅の僧が一人、鳥見山を遠望する白く輝く街道を西に向かって歩んでいる。長谷寺参詣を終え、これから大和の霊場に向かうのだろう。長谷寺は西国三十三所観音霊場の根本霊場なのだ。

  

長谷寺十一面観世音菩薩立像

(長谷寺公式HPより引用)

 

愛宕神社参道の冬紅葉

 

  

 

 

 

愛宕神社参道

 

 

 

この左手に長谷寺を展望できる

愛宕神社からの長谷寺全景

全山桜に埋もれる季節の光景は圧巻だが

遠くに近鉄電車が伊勢に向かって爆走する

與喜天満宮参道

長谷寺参道を見渡すことができる。

初瀬街道

鳥見山を過ぎると桜井、大和国中へと続く

 

長谷寺登廊

 

  

 

本堂大舞台

(撮影機材:Leica SL+ Vario Elmarit 24-90mm f.2.8-4)

 

 

以前書いたブログ:

「初瀬のお山は花盛り」ー桜の長谷寺を行くー2012年

 

 

 

冬紅葉を巡る大和古寺巡礼(1)唐招提寺

2015年12月20日 | 奈良大和路散策

 資本主義に疲れると、大和古寺巡礼に出るとよい。特に人気の少ないこの季節は静かに曼荼羅の世界観に浸ることができる。

 

 西の京は文字通り平城京の西に位置する。近鉄大和西大寺から一駅目の西の京駅を降りると、ここには薬師寺と唐招提寺という大和路の人気古刹が並び立つ。奈良市内からは随分と離れた郊外のような感覚だが、実はこちらの方がかつての平城京郭内で、現在の奈良市中心街や東大寺。興福寺のあるあたりは外京、すなわち平城京の東に突き出た別区のような地域だ。

 

 ここ西の京駅に降り立つ人は、たいてい矢印に従ってまず薬師寺を拝観し、時間があれば唐招提寺へゆく。しかし私の場合なぜか順序が逆だ。唐招提寺へは必ず向かうが、薬師寺は時にはスキップしてしまう。今回もそうだった。何故なのか?あまりたいした理由は思い浮かばないのだが、なんとなく唐招提寺の方が好きだから。何故好きなのか?「好きだから好きなのだ」という「理由にならない理由」。あえて言うならば開祖鑑真和上の私を捨てて公に身を投じた波乱の人生を偲ぶにふさわしい落ち着いた佇まいだからか。

 

 2009年に修理復元された唐招提寺金堂は天平の甍とエンタシスの木柱をそのままに、まるで改修されたことを感じさせないほどの元通りさ。何事もなかったかのように元の場所に静かに佇んでいる。一方の薬師寺は立派な朱塗りの金堂や西塔が再建され、目にもまばゆい伽藍がそびえ立っている。こちらは新築と言っていいほどの新しさだ。そして創建時のオリジナル建築物である東塔も「とうとう」囲われて修復作業中。元祖高田好胤師の説法・勧進プロジェクト始め、野外ライブも開催されるイベントフルなお寺だ。古刹のイメージを求める私にとってどちらが好きか、と言われれば...

 

 人気の少ない初冬の唐招提寺はとりわけ静かで奥ゆかしい。その空気のなかには天平の時間が流れている。この季節の冬紅葉に鑑真和上の遺徳を偲ぶ。鑑真和上廟の苔にはらはらと散る紅葉、色のない風景の中に輝く冬紅葉の黄色い葉は、錦織りなす紅葉とは異なり、その激しく波乱に満ちた人生と、やがて訪れる静かな心の平和を象徴するようでよい。ここには私利私欲に満ちた資本主義のロジックを忘れさせてくれる心象世界が広がっている。

 

 

唐招提寺山門

昔ながらの佇まいだ。

入江泰吉氏のモノクロ写真の時から変わっていない。手前の道が舗装されたくらいか。

 

2009年に修復再建された金堂。

このシンメトリーな均整のとれた建築様式はこの寺を象徴している。

名残の紅葉が色を添える

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鑑真和上霊廟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

金堂のエンタシス列柱

 

 

唐招提寺門前から薬師寺を遠望する

(撮影機材:最新のLeica SL+Vario Elmarit 24-90mm f.2.8-4。とても重い組み合わせだがさすがの写り。特にズームながらその重さに釣り合う高画質に驚嘆する。)

 

 

以前書いた唐招提寺に関するブログ:

 

そうだ鑑真和上に逢いに行こう」2013年

 

真夏の唐招提寺に古代蓮を愛でる」2012年

 

 

 


日比谷公園に行こう ~都心の紅葉名所はここだ!~

2015年12月08日 | 東京/江戸散策

 例年楽しみにしている京都の紅葉を見に行き損ねた。しかし、今年の京都は冷え込み時期が遅く、有名な紅葉名所はあまりきれいに色づいていないと聞く。弾丸日帰りツアーで見に行った人の話を聞くと紅葉しないまま散りゆくところもあるという。負け惜しみじゃないが行かなくてよかったのかも... でもせっかくだからどっかで秋の風情を感じたいものだ。

 

 「そうだ、日比谷公園行こう」。そういう時は身近なところで晩秋の風情を探そう。日比谷公園は今更説明する必要もないが、東京の都心のど真ん中にある日本初の西洋式公園で1903年開園。今年で開園112年を迎える。歴史を誇り東京のシンボルのような公園だ。造園計画時には完全に西洋風にするか、和風も取り入れるか計画が二転三転し、なかなか意見がまとまらなかったそうである。結局、もともと江戸城の日比谷濠や大名屋敷跡であったこともあり、一部に江戸城の石垣を残したり、日比谷入り江(濠)の名残である雲形池をとりいれた和風庭園を作庭した。そこにモミジが植えられたわけだ。

 

 都会のど真ん中。サラリーマンのオアシス。長年勤務した会社の真ん前。窓から毎日眺めた日常風景。なんとこんところにこれほど美しい紅葉・黄葉の競演が楽しめるところがあったじゃないか。そんなところにこんなに豪華な「美」が潜んでいる!青い鳥を求めて遠くを旅した末に帰った故郷に青い鳥を発見した、メーテル・リンクの童話「青い鳥」の世界だ。

 

 東京都内の庭園や公園の紅葉の見頃は遅い。場所にもよるが大体12月に入ってからだ。ここ日比谷公園も例年今頃がハイライト。雲形池のほとりのいつもの場所のモミジとイチョウが見頃になる。公園のシンボルである鶴の噴水の背景にスクリーンのように見える紅と黄が鮮やかだ。これだけモミジとイチョウのコントラストが楽しめるところは意外に少ない。去年の秋は、その年の2月に降ったドカ雪で、池の端の紅葉の枝が散々に折れ、無残な状況であったが、今年は庭師の職人技もあって見事に復活したようだ。

 

 紅葉の撮影は意外に難しい。今日のような秋晴れのピーカンの下では順光で眺めてもそれほどの感動はない。撮影すると陰影のコントラストが強すぎて情感が伝わってこないのだ。しばらく光が変わるのを待つ。ようやく午後3時頃の半逆光の光を通して揺れるモミジの紅い透過光が美しくなった。黄色いイチョウと池の水面に映るその鮮やかな黄色を背景に眺める紅のモミジのシルエットは最高だ。情感溢れる秋の風情というよりはカラフルで豪勢な写真になったが、それはそれでインパクトがあっていいのでは。

 

 今回試し撮りしたライカの新しいフルサイズミラーレスカメラ、Leica SL+Vario Elmarit SL 24-90は素晴らしい性能を発揮してくれた。ライカがズームレンズ作るとこうなるんだ。JPEGでも高精細だが、DNGで撮ってLightRoomで現像するとさらに高精細に。撮影の後工程の作業に耐えうるしっかりした解像度で、とてもズームとは思えない。さすがだ。このレンズの重さと大きさはこのためなのかと納得する。なんかライカは今後はMからSLにシフトしそうな予感がする。