時空トラベラー THE TIME TRAVELER'S PHOTO ESSAY

歴史の現場を巡る旅 旅のお供はいつも電脳写真機

ストリートフォトグラフィーに最適のカメラは? 〜ライカM?ライカQ?〜

2017年02月27日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

 私はストリートフォトが苦手だ。基本的に都会の人混みが嫌いなのと、その人々のうごめきにあまり興味がない。人間に興味がないわけではないが、個性や人格を押し殺し、マッシブな群衆となって空間移動する人々にはカメラを向けるインセンティブがわかない。もちろん、他人と関わりたくない、無表情、没個性の都会人(特に電車の中でスマホばかりいじってる人)といった切り口で表現するストリートフォトグラファーもいるが、自分の好む被写体ではない。第一、勝手に他人を撮ることはトラブルの元になる。肖像権がどうの、マナーがどうの、迷惑行為がどうのとメンドくさい。そうまでして被写体として切り取る気持ちが湧いてこない。要するに都会の人の多さ、冷淡で個人主義的な人間関係にウンザリしているので、街へ出て(ルールやマナーに縛られながら)それをわざわざ写真に収めようという気がしないだけなのだ。人生を皮肉って見せる事もできるかもしれないが、どう見ても楽しいワクワクする写真にはならない。これは同じ人間を被写体とするにしても、一人の人間としてのポートレートを撮らせてもらうのとは異なる。相手とのコミュニケーションが成立している場合とそうでない場合とでは感情移入の仕方が違う。また家族や友達と気兼ねなく記念写真やスナップを撮るのとは全く異なるシチュエーションなのだ。

 

 それよりは、美しい自然、里山、田園風景、都会なら街角や建築物の造形美、古代の心象風景、歴史の情景などに強く心惹かれる。これまではそうした「風景写真」「情景写真」を追いかけてきた。したがって私の写真には人が写っていない。まるで風景写真に写りこむ電信柱や電線のような人工物を避けようとするのと同じ捉え方してる。ようするに「人」が写らないように構図する。写っていてもそれは景観の一部として必要があると考えた時だけである。しかし、関西にいた時はともかく、残念ながら東京に居を移してからというもの、なかなかそうした写真を撮る機会が減り、日々の生活では、人にあふれた都会の雑踏に身を置くことばかり。したがってだんだんカメラの出番が減りフラストレーションが溜まる一方だ。せいぜい街角の花を撮ったりするくらいになってしまった。

 

 一方、私が持っているカメラ機材の中には、風景写真に適した一眼レフやミラーレスシステムカメラばかりではなく、ストリートフォトに適したものがある。この場合、大型で物々しい「いかにもカメラ」ではなくステルス型の目立たない機材が良い。かといってスマホカメラやコンデジでは満足できない。適度にカメラとしての実在感があって、手応えを感じながら撮影でき、しかも相手には目立たない。そんな機種が必要となる。ライカMやQはその代表格だ(ライカの赤バッチは目立つのでマスキングテープ貼る人もいるが)。

 

 じゃあ、せっかく持ってるならもっと使ってみたらどうだ、となる。宝の持ち腐れとはこのことだ。そもそもライカMはこうしたストリートフォトに最適のカメラだと言われる。人物を撮るには良いとも言われる。被写体と撮り手の距離を縮めるカメラだという。私はライカMを風景写真や、花のクローズアップ写真に使おうとするので、望遠もないし、クローズアップで寄れないし、ライカは使いにくいカメラだと不平を言い募ってきたのである。違う所に違う道具を持ってくるという愚を犯しているわけだ。そもそも出番を間違えているわけだから笑ってしまう。そうだ!せっかく人混みの東京に住んでいるのだし、ライカMやQを持っているのだし、条件は揃った(意図的に揃えたつもりは全くないのだが)。ストリートフォトに挑戦してみようと考えるようになった。

 

 

 機材としてのLeica M Type240とLeica Q:

 

 まずは定番、M Type240ボディーにはSmmilux 35mm F.1.4 ASPHの組み合わせ。ゴールデンコンビだ。ただしマニュアルフォーカスオンリー。ライブビュー機能も搭載されているが、いまいちレスポンスが遅く、外付けEVFは邪魔なので、基本はレンジファインダーでの撮影となる。手ぶれ補正機能なし。レンズ交換はできるが路上という撮影現場で、ごそごそレンズ交換するのはあまりスマートではない。

 

 Leica QはSummilux 28mm f.1.7 ASPH固定レンズ。AF機能付き、ボディー内手ぶれ補正機能付き。今風のデジカメの機能がほとんど全て実現されている。もちろんライブビュー撮影できるし、優秀なEVFが内蔵されているのでこちらを使う手もある。35mmが標準レンズだと思っている伝統的ライカ使いは、28mmという焦点距離に違和感があるようだが、私はこちらの方がいい。24mmでも良いくらいだが。

 

 35mmと28mmという広角単焦点レンズというこの二台をぶら下げて、東京国際フォーラムの大江戸骨董市に出かけた。大盛況で混雑ぶりは申し分なしだ。集まっている人たちは売る人も買う人も皆真剣だから面白い。まずは手始めにイベント会場での人間観察と撮影に挑んでみよう。

 

ライカファミリーの優等生たち。左はLeica Q Summilux 28/1.7 右が Leica M Type240+Summilux 35/1.4

 

 

 いわゆるキャンデットフォトを試みるのにライカは最適なカメラだとよく言われる。もちろんきちんとファインダー覗きながらアンリ.カルチェ.ブレッソンよろしく、街を流れるように移動して撮るという神業もあるが、素人はファインダーをいちいち覗きながら構図をきちっと決めて撮影するのでは無く、デジカメ時代なので液晶画面見ながらで撮る方が楽だ。すなわちライブビュー撮影が便利だ。お宝選びに熱中している人、売り手と会話している人、観に来る人もなく暇そうにしている骨董屋さんもいる。立ち止まってファインダーで覗いてピント合わせしながら撮るよりは、ライブビューで瞬時に切り取ってさっと移動する。この点ではライカQが理想的なカメラだ。フィルム時代にもノーファインダーというテクニックがあったが、デジタルになってより便利になった。ライカM Type240でもライブビューは使えるが、少々シャッターレスポンスが遅くてイラつく。やはり基本的にはレンジファインダーを覗くことが求められる。あとはピント合わせ。ライカMの場合手動ピント合わせだから、絞って被写界深度を稼ぐ方法もある。広角レンズでパンフォーカスを狙う方法もある。しかし最近のデジタルカメラはみなAF精度が良くなり、合焦速度も速くなったので、ライカQが有利。マニュアルフォーカスは、じっくり構えて撮る時は良いが、ライカマエストロの域に達していない私のような人間にはやはり不利。こうして未熟で楽をしたがる使い手は、どんどん怠惰になる。本当は基本に立ち返ってもっと練習して技を磨く必要があるのだろう。ライカ使いのプロは、むしろマニュアルフォーカスの方がAFより速い!というからこれは名人芸の域だ。

 

 ライカQは良いカメラだ。改めてその速写性と画質の良さと操作性に感心する。いちいちファインダーを覗かなくてもライブビューでだいたいの構図を確認してシャッター押せばAFでピント合わせしてくれる。もちろん絞り開放でボケを生かすこともできる。マクロ撮影もできるのだから、もうこれ一台あればほとんどのストリートフォトがカバーできる。M の方はファインダーを覗きながらすっと近ずいて、さっと引く。あの身のこなし、フットワークを身につける必要がある。それにしてもMでもQでも、その生み出す画のクオリティーが非常に高いのに驚かされる。2400万画素フルサイズCMOSセンサーの威力だ。画素数だけ比べれば日本製のライバルのそれはさらに高画素を誇るが、秀逸なレンズ群とのマッチングが、ポストプロダクションに耐えうる豊富な情報量を画像ファイルに蓄えてくれる。とくにRAW/DNG撮影がオススメ。Lightroomでクロップによるリフレーミングをすると画素数が減少するのであまりやりたくないが、画質が劣化しないのが不思議。またシャドウ部もハイライト部も、つぶれたり飛んだりしない。画像情報がしっかり記録されているので、調整できちんとイメージ通りに再現可能だ。むしろポストプロダクションを積極的に利用するのもライカ使いの特権だろう。

 

 私のようなストリートフォト素人には、やはりQの方が使いやすい。結局この日はほとんどの写真をQで切り取った。ほぼあらゆるシチュエーションをカバーしてくれるし扱いやすい。フレンドリーな優等生だ。その一方、やはりMは気難しい優等生だ。誰にとっても付き合いやすくて思い通りの結果を保証してくれるわけではない。使い手を選ぶ。いや使い手が成長することを期待する。まるで私のロンドン時代の恩師のようなカメラだ。You must be much more ambitious!と叱られる。彼は自身が優秀な学者だったが故に、学生が並みのことしか求めてない人間だと分かると手厳しかった。Mはそういうカメラだ。まだまだ修行が必要だ。

 

 以下に作例を掲出する。やはり広角レンズを使う時は「もう一歩前へ!」が鉄則だと反省する。これだけ人が集まる場所で「遠目」写真ばかりだと、何を狙ったのかが曖昧になるということに気づかされた。くだくだと能書き書く割にはこの程度かと、ご寛恕願いたく候。

 

 追記:気がついた事ども。

 

 Qを絞りオート(A)で撮ると、絞り値は1.7開放側が選択されるようプログラムされることが多い。28mmとはいえ高速レンズなのでアウトフォーカス部分が目立ってはいけない時に目立つ。やはり絞り優先で撮ったほうがよさそうだ。安易にAEに頼るのではなく特にパンフォーカス狙う時は絞って撮ろう。

 

 M Type240はやはりピント合わせが課題。以下の写真もよく見るとピンボケが目立つ。フィルム時代の被写界深度利用の「絞って撮るテクニック」を思い出す必要がある。しかし、絞ると、今度は手ぶれに気をつけるべし。要するにかつて当たり前だった写真撮影の基本を思い出せと。要修練。

 

 ステルス性という点では、Qのほうが目立たない。Mはかえって目立つ。モノにうるさい人間が集まる骨董市では、「いいカメラぶらさげてるねえ〜」なんて、違いのわかる男が結構多かった。それで会話が盛り上がるのも悪くはないのだが、撮影バレバレではステルス効果ゼロ!かえってQのほうは見栄えのしない地味ないでたちであるせいか、ちょっと大きめのコンデジかな?くらいに思ってる人が多いようだった。注目されないという点では、Qはやはり究極のストリートフォトカメラかもしれない。

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

M Type240 + Summilux 35/1.4

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

Leica Q Summilux 28/1.7

 

 

 

 

 

 


Leica M10登場 〜ライカMは永遠だ!〜

2017年02月12日 | 時空トラベラーの「写真機」談義

M10

Black Chrome Body

外見は少し薄くなったが基本的には伝統のLeica Mスタイル。

しかし、その中身、すなわち心臓と脳が大幅に力をつけた。

 

M10

Silver Chrome Body

 

 

 

 

 今年の1月18日ドイツで発表されたライカのMシリーズの最新機、M10がついに日本でも1月28日に発売開始となった。昨年のフォトキナでの新型Mの発表がないな、と思っていたら、今年になって急にリリースのアナウンスがあった。これは2012年10月のフォトキナで発表され翌年3月に発売となったM Type240から4年目の新型Mライカだ。例によって入荷した実機は極めて少数で、ライカショップや公認ディーラーで手に入れた人は限られていたようだ。なぜライカはいつもこうなのか? M Type240の時は、次の入荷が半年後だった。ライカショップ銀座に問い合わせると「今度は3ヶ月後くらいには入荷するから、それほどお待たせすることはありませんと」。それだけ待てば十分だろう。これもライカ商法なのか。私の商売の経験上、市場投入のタイミングと投入量は極めて重要だということ疑ったことはないのだが。注文生産ならともかく、コモディティー化した商材と「高付加価値商材」では出荷ロジックが違うのか? 会社業績は好調なのだから間違った戦略ではないのかもしれないが。M10発表時のインタビューでライカの新CEOは、これまでのライカ社のマーケティング、営業の姿勢を変え、「発売時の製品の完成度と市場投入量を改善する」と言っていたのをただ思い出しただけだ。

 

 今回は製品名はLeica M10となった。M9の後継機という位置付けのようだ。これまでのM Type240は併売するという。じゃあM Type240のMシリーズでの位置付けはなんなのか? 動画撮影機能がついたMシリーズの派生製品だったとでもいうのか? ライカ社の説明だと、MシリーズはType240以降はTypeナンバーで系列化する、といったん決めたのだが、やはり元のMナンバーに戻すことにしたのだとか。その理由はユーザーがM240と呼ぶようになったので、混乱し紛らわしくなったからだと。どうでも良いがあんまり一貫したしたネーミングポリシーに見えない。後付けでいろいろ言い訳しているようにしか聞こえない。ライカ社の市場戦略は、ビジネスケーススタディーとして非常に興味深いものがあることはこれまでもなんども述べた。時に違和感満載だったりするのでライカを語るとどうしても、辛口のコメントから入ってしまう。それだけ「いじられやすい」カメラなのだ。孤高の人はいじられやすい。

 

 しかし今回のM10は、非常に完成度の高いMに仕上がったと感じる。先日ライカショップで実機を手に取る機会があったが、なかなか手ごたえを感じることが出来た。あのM8登場時の、まだ試作品のまま売り出してしまったんじゃないかと思ってしまうような未熟さと、バグや???マーク満載のデジタルカメラ(また辛口!)から10年、「遅々として進んできた!」(またまた辛口!)デジタルカメラ化の進歩が、とうとう完成の域に到達した感がある。Type240でもかなり完成度が上がったと思っていたが、デジタルカメラとしての機能(特にライブビュー機能)、高感度特性、撮影・読み出し処理速度の改善、したがって撮影のサクサク感が大幅に良くなった。これまで何度も言ってきた通り、Mをデジタルカメラにする以上、デジタルカメラとしての信頼感・安定感と機能の高度化を目指して欲しい。それがようやく実現した。これは画期的だと言わざるを得ない。

 

 世の中はミラーレス時代。プロ用機材やハイエンド機材としても使用に耐えうるミラーレス製品が続々と市場投入されてきている。こうした中、いつもMの新製品が噂されるたびに、次のライカMはレンジファインダーを無くすのでは?といわれつつ、結局はなくならない。昨年、ライカ社はMとは別のラインアップを市場に投入し、ミラーレスはSLやTL,Qなどのシリーズでカバーし始めた。したがって伝統のMはあくまでもMとしてシリーズ化してゆく。レンジファインダーとったらMじゃない。ライカのアイデンティティーがなくなってしまう。クラウンジュエルは死んでも離さない。ニコンやキャノンがプロ用機材はあくまでも光学プリズムとミラーを使った一眼レフにこだわるのと同じだ。外見も頑なにM3からのラウンドシェイプを守っている。一時期M5で弁当箱型の大きなサイズに変えて評判を落としたのに懲りたのか、M6で元に戻した。しかしデジタル化した時、M8ではボディーは厚みを増し、全体に若干大型化した。以降M9, M Type240とこのボディーサイズを継承したところ、これに違和感を感じるユーザーが思いのほか多かったという。そいう意味で、今回のM10の最大の売りは、そのボディーサイズがM9やM Type240より4mmほど薄くなって「とうとうM3のそれと同じになった」ことだという。実装技術イノベーションで伝統的なサイズにリパッケージできた。これがM10の最大の特色というわけだ。さすがライカ社は技術ブレイクスルーの使いどころが違う。ライカユーザーはそんなに保守的なのか。拘ってるなあ。

 

 M10の特色

 

1)ボディーサイズが4mm薄くなった(ライカ社はこれが最大の特色だと言っているのだから、これを一番に挙げるべきなのだろう)。

2)画像エンジンがMaestro II (S, SL, Qと同じ)となり、高速でレスポンスが良くなった。特にライブビュー機能が大幅に改善した。

3)新しい2400万画素CMOSセンサー(ローパスフィルターレス)を開発し、Maestro IIとのチューニングで画像再現性(ダイナミックレンジ、高感度特性、周辺部画質など)が大幅に改善した。特に2400万画素のまま低輝度撮影の画質を大幅に改善した。色味はM9を再現したという。

 

 私はこの三点に尽きると思うが、そのほかのType240からの変更点をいくつか挙げると、

 

1)ビデオ撮影機能を廃止(Mには不要というユーザが多かったそうだ。私もだが)。

2)ISO感度ダイアルを軍艦部に設けた(相変わらず露出補正ダイアルは設けない)。

3)光学ファインダーの視野率が30%広がり見やすくなった。

4)外付けEVFはTL用のものを利用し解像度が増して見やすくなった。GPS機能付き。

5)WiFi搭載、スマホアプリとの連携。

6)フレームセレクタレバーを復活。

7)水準器機能を廃止(なぜ?)。

8)背面の機能ボタン数を減らした(削除ボタンも廃止)。

9)ストラップ擦れ防止ペグを廃止(傷がついても構わない)。

10)ブラックボディーはペイントからクロームに(「剥げ」を楽しめない)。

11)バッテリーがボディーサイズに合わせ薄型になった(動画もないので小型化)。

12)バッファーメモリーを2Gに増やし、連写機能が向上(Mで連写はしないが...)。

 

 何よりも、新しい画像エンジンMaestro IIと新CMOSセンサーでサクサク感が大幅に改善したのが一番だ。とくにライブビュー撮影でのレスポンスが良くなり、ミラーレスカメラとしての実用性が大きく改善した。Maestro IIは昨年発売されたミラーレス機であるSLとQに取り入れられており、その使用感は馴染みになっているだけに、同じ感覚でM10と向き合えるのは嬉しい。私はフレームの外側を見ながら「予想撮影する」というライカ使いの達人でもないし、ストリートフォトグラファーでもないので、結局、レンズとファインダーの視差がある不正確なフレーミングのレンジファインダーを多用することはない。もちろんクリアーな実像を光学ファインダーで見つめる喜びは共有しているが、コンパクトで良い道具感に溢れるMボディーを、きちっとしたフレーミングが取れるミラーレス機として、これまでのオールドレンズを含むMレンズ資産を活用できることが嬉しい。これはライカ社の本意ではないかもしれない。しかしせっかくライブビュー撮影機能を備えたのに、レスポンスが悪いのでは実用にならない。かといって、ライブビューを取り払ったType242に手は伸びない。そこまで私はストイックではない。デジタルカメラになった以上、最小限のデジタル化の恩恵を享受したいだけだ。惜しむらくはQのようにEVFを内蔵してくれると一番なのだが(Fujifilm X-Proのようなハイブリッドファインダーは凄いと思う)。スリークなボディーラインを楽しむカメラにプラスチック製の外付けファインダーは似合わない。

 

 また、高性能な画像エンジンと合わせて新規に開発された2400万画素CMOSセンサー(サードパーティー製)は、画像再現性が一段と良くなった。特に階調の豊かさはもともとライカMレンズの特色だが、ボディー側もそれを支える最適プラットフォームになった。シャドウ部の情報量をキープして潰れない。撮影後の後処理にも耐えうる高品位な画像データを生み出してくれるボディだ。またISO感度は100~50,000と拡大し、画素数を減らすことなく(2400万画素のままで)高感度特性が大幅に改善してノイズが少なくなった点も特筆に値する。これはavalable lightでの撮影を重視するライカ使いには大事な進化だろう。色味は、いろいろな市場調査からM9時代のCCDセンサーのそれにしたという。具体的にはGentle&Warm。それとCosyだそうだ。巷にはMシリーズのCMOSよりもCCDの画を好むユーザーがいることは知っていたが、それほどなのか。私にはよく分からない。これは好みがあるだろう。これまでと同様ローパスレスなので高解像度である点は変わらない。ただセンサー前のカバーガラスを改良してMレンズからの入射光が受光素子に対して最適になるよう再設計されているという。やはりこうした点からもMレンズに最適のボディーはやはりMボディーだということになる。ボディーサイズの改善も重要だが、この画像エンジン(Maestro II)と、新たに開発された2400万画素CMOSセンサー。カメラの脳と心臓の大幅な進化がやはりこのM10の特色だと感じる。

 

 ライカMは、デジタルになってもフィルム時代から長年使ってきたフォトグラファーの手に馴染む形と操作感を大事にしてきた。数字上のスペックよりも道具としての使い心地を大事にしてきた。そういう意味において、その使い心地の継続性を新しいデジタルプラットフォームの上でも実現させなければならない。デジタルカメラ化した以上、その基本性能のブラッシュアップは必須であったはずだ。今回、レンジファインダーが見やすくなって、ボディーサイズがフィルム時代のMに戻ったことはもちろん画期的であるが、それとともに、10年の試行錯誤の末に得た新しい画像エンジンと画像センサーを導入し、タフで繊細で頭の回転が速いデジタルカメラとしてのクオリティー、能力が大幅に改善したこと、これが私にはとっては一番嬉しい。

 

外付けEVF

シンプルな背面ボタン配置

 

軍艦部左にISO感度ダイアル

電源スイッチ部はオン・オフのみで連写クリックがなくなった

 

 

(写真はライカジャパンのHPより引用)

 

 

 

 

 (参考)Leica M Type240に関する過去のブログ:

 

2015年10月6日:Leica M (Type240)  〜2年目の使用レポート〜

 

 

2013年4月5日:Leica M( Type240) の使用感など 〜ライカのジレンマ〜

 

 

2012年10月26日:Leica Mという画期 〜MはやはりMなのか?〜