猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

萩原恭次郎作『春の糸挽歌』 佐久間川 第13回 再掲載します

2019-05-10 08:16:33 | あんじゃあない毎日

おヒゲが佐久間川にこだわるのは、高校生の時に萩原恭次郎という詩人の作品に触れたときの衝撃的な記憶があるみたいなんです。おヒゲがいだいている「前橋という故郷」は、いつも明るくて、楽しいまちではないみたいなんです。
キキにはよく分からなくて、「人間って、面倒くさいのね」って思うだけなんですけどさ…。それに、こういう具合に考えるからなかなか戻ってくれないんじゃないかって心配することもあるんです。
でもさ、そのうちケロッとして「あんじゃあない、あんじゃあねえ…」なんて言いながら戻ってきますよ、必ず…

 

 

『萩原恭次郎作「春の糸挽歌」 佐久間川 第13回』(2013年09月23日)

 

Dscf2695枇杷の花が咲けば冬が来て春が来る 彼女製絲女工 前山フサ子は (四肢健全にして森の中から生れたやうな肉軆をしてゐるが) 口紅の唇をまげて、居酒屋の二階に馬鹿の如く正座して酒を飲み 氷結せる天から 限り無く雪は青く冴えて地上へ積らんとしてゐる

萩原恭次郎の『春の糸挽歌』の書き出しです。『春の糸挽歌』、製糸工場で働く女工 前山フサ子の物語です。フサ子が、昭和初期の前橋の風景の中で息をしています。

Dscf2695 萩原恭次郎が第一詩集、『死刑宣告』を出版して、時の文学界に衝撃を走らせたのは、1925年(大正14年)の秋のことでした。 恭次郎は、詩作だけでなく、アナーキズム運動に参加し、演劇や創作舞踊もしていました。

 

Dscf26961928年(昭和3年)に、郷里の前橋に戻り、石倉町で暮らします。荒物屋をやって生計を立てていたようです。 そして、1931年(昭和6年)に、第2詩集『断片』が刊行され、その中に、『春の糸挽歌』は収録されます。

Dscf2710恭次郎が出した詩集はこの2冊だけです。第三詩集を出すことなく、1938年11月22日、40歳の生涯を閉じます。溶血性貧血という病気が直接の死因です。

 

 

Dscf2831_2工場區域の機械を藏してゐる新しい屋根屋根 勢多會館の割立つた面 比刀根橋の石造りの孤線 交水製絲の黒塀 活動館の圓屋根   廣瀬川は雪足を青く吸って   街の中央を流れ 冷たい大きな瞳でぢつとそれを見つめてゐるのでである

Dscf2708_2『春の糸挽歌』に描かれているのは、昭和初期の前橋の風景です。


  電鐵の踏切りを 車は轟と過ぎはきだめの山は雪の下に  (錆び釘や毛や……)

 

 

Dscf2385

埋もれてしまつた麥畑と 工場寄宿舎と大煙突の下を曲れば 佐久間川は 各工場から吐き出される湯氣のため濠々たる白煙をふき上げてゐる その蛹臭い匂ひを嗅ぎ乍ら 彼女は降雪の中に立つて 派手な羽織に白く雪を吹きつけて 懐しい仕事の匂ひを嗅いだのである

Dscf2862萩原恭次郎って、どんな人だったのかな。 恭次郎本人が20歳のころを回顧した文章と、同時代の人たちの恭次郎描写が、コチラで読めます。 『断片』を出版した神谷暢さんの回顧録は、コチラで読めます。『断片』の表紙写真も。

 

Dscf2705川浦三四郎さんが編纂した『萩原恭次郎年譜』の1929年に、「前橋之製糸工場にアナキズム運動の働きかけをはじめる」という記述があります。 結果については、書かれていません。

 

 

Dscf2858私が、『春の糸挽歌』をはじめて知ったのは、高校2年のときです。細井和喜蔵の『女工哀史』を夏休みの宿題で読み、それに続いて、教員の奨めで… 、大きな衝撃でした。

 

Dscf2837恭次郎が見ていた佐久間川は、工場が吐き出す排温水で白煙を上げて流れていました。街は、蛹臭い匂いで覆われていました。 今は、もう、湯気は見えません。なにも匂いません。

 

Dscf2712ぞろぞろと歸る 街にひびく女工の聲、何百と云ふ下駄の音 この中に昔の仲間はゐても肩に手を掛け 乳房が大きくなつた話や 抜毛する話や 鹽鮭を貧しい弟達に買つてやつて泣かされた話や  南京豆でトロツコ遊びをやつた正月や 故郷へ五十圓の金を送つた夜の楽しい夢やを語る仲間はゐない

Dscf2851フサ子は知事公舎の脇から、ひとり利根川に降ります。河原で、夜空の赤城山を眺めながら、糸挽き歌を唄います。 前橋は、女工の街だったんです。 『春の糸挽歌』の全編をお読みになりたい方は、コチラでお読みください

 

Dscf2841恭次郎が描いた前橋が、佐久間川の流れのなかに浮かびます。その流れを見ていると、『女工哀史』を一生懸命読み取ろうとしていた高校生の夏を思い出します。 与えられた『自由』が、『哀史』を忘れさせているだけ、ほんとうは…、高校生の私は考えていました。

 

第14回  路地を静かに抜けて、厩橋劇場跡 コチラです
第14回は、再掲載しません。ごめんなさい。

 

 直派若柳流の三代目若柳吉駒でございます。 4月7日に、二代目吉駒の三回忌追善と三代目吉駒襲名披露を兼ねて第76回美登利会を開催いたしましたところ、たくさんの皆さまにお運びいただき、大変ありがたく、心より御礼申し上げます。 また、三代目襲名リサイタルに特別出演していただいた三代目花柳寿楽様、葛西聖司様をはじめ、美登利会の開催に一方ならぬご支援をいただいた皆さま方に伏して御礼申し上げす。 来春の美登利会は、4月12日開催予定で準備を進めます。これからも、初代と二代目の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命精進してまいりますので、末永くご贔屓いただきますよう伏してお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台の様子はコチラでご覧になれます お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください


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