猫のキキとヒゲおじさんのあんじゃあない毎日

『あんじゃあない』って、心配ない、大丈夫っていう群馬の言葉、いい歳こいたキキとおヒゲのどうってことない前橋の暮らしです

『佐久間川 第9回 残されている煉瓦』 再掲載

2019-05-09 07:56:51 | あんじゃあない毎日

春は眠いよね。初夏も眠いんだよね…
萩が咲き始めるってのに、おヒゲはまだ戻らないんです。留守が続いていてごめんなさい。
でもさ、おヒゲが気持ちを込めて書いてた佐久間川の話の続きを掲載しますんで、お許しくださいね。
今日はさ、繭の乾燥場の話かな…

 

『佐久間川 第9回 残されている煉瓦』(2013年9月18日)

 

Dscf2391姿を現した佐久間川は国領町2丁目と若宮町3丁目の境を南へ流れます。佐久間川の東にある「国領住宅」も国領町公民館もかつては国領町でしたが、今は、若宮町三丁目です。なんかおかしいです。

 

Dscf2404国領町住宅を東へ、未舗装の狭い砂利道を抜けてゆきます。若宮町三丁目の公民館のところへ出たら、もう少し東へ行くと才川通りにでます。

 

 

 

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「女の子引っ掛けるんだったら、才川が一番だったいね…」、90歳を迎えたおじいちゃんの話です。 「夕方になるとさ、製糸工場の女工たちの下駄の音が賑やかでさ。片っ端から声かけるんさ、『飯食うべえ?』とか、『映画観ねえ?』とかさ…」

賑わっていたんです。この通りは、今の若宮、国領、北代田あたりに立地していた製糸工場で寄宿舎暮らしをしながら働いていた女工たちの生活の町だったんです。前橋屈指の賑わいだったって、劇場もあったんですって…。 「才川町」、今では、名前まで失ってしまいましたけど…

 

Dscf2409 唯一「才川」の名を遺しているのはこの公園、「才川緑地公園」です。萩原朔太郎の『才川町』の詩碑があります。この緑地は、『前橋乾燥場』の跡地です。乾燥場とは、収穫された繭を蒸気で加熱して中の蚕の蛹を殺し、乾燥させて、保存のきく『乾繭(かんけん)』に加工する工場です。前橋の近在で収穫された繭は、みんなここに運ばれて、『乾繭』にされたんです。

Dscf2097 才川通りの南、国領町公民館の通りに面して、少し広い駐車場があります。向うに見えるビルは、山一製糸の跡につくられたマンションです。 この駐車場には、昔、『新勢社』という製糸工場がありました。

飯塚薫さんから聞いた話ですが、詩人の伊藤新吉さんはこの前まで来ると車を停めさせて、当時まだ残されていた煉瓦倉庫をじっと見つめていたそうです。萩原恭次郎のことを思い出していたのかもしれません…、分かりません…

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今は、もう煉瓦倉庫の姿を見ることはできません。2003年(平成15年)に解体されてしまいました。駐車場の隅っこに、僅かに古煉瓦と欠片が残されています。

この町は、町の名も、町のシンボルも失いました。僅かに残された煉瓦屑を見ながら、女工たちの下駄の音が聞こえないかなと、耳をすまします。

 

Dscf2095 <あんね、新勢社の生糸倉庫の在りし日の姿見たい人はね、『前橋市内の煉瓦倉庫』(産業技術遺産探訪)に写真が載ってるよ、見てね>、近所で暮らしている猫の情報です。

 

 

「県都まえばし糸のまち」、これは上毛かるたに詠われている前橋です。
「『糸のまち』を見たいって人が現れたらどこへ連れてきゃいいんだろうな…」、おひげの悩みの一つでした。いまだに解決しない悩みです。

 

第10回 疎開しっぱなしになった若宮さまの神像 こちらです
第11回 いなくなった養心寮の赤鬼たち コチラです
第12  『クマ』と原先生 コチラです

この三回は再掲載しません。あしからず

 

 直派若柳流の三代目若柳吉駒でございます。 4月7日に、二代目吉駒の三回忌追善と三代目吉駒襲名披露を兼ねて第76回美登利会を開催いたしましたところ、たくさんの皆さまにお運びいただき、大変ありがたく、心より御礼申し上げます。 また、三代目襲名リサイタルに特別出演していただいた三代目花柳寿楽様、葛西聖司様をはじめ、美登利会の開催に一方ならぬご支援をいただいた皆さま方に伏して御礼申し上げす。 来春の美登利会は、4月12日開催予定で準備を進めます。これからも、初代と二代目の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命精進してまいりますので、末永くご贔屓いただきますよう伏してお願い申し上げます。

第76回美登利会と三代目吉駒襲名リサイタルの舞台の様子はコチラでご覧になれます お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください

 


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