
昨日の雨上がりの夕焼け空です。西の空の雲が茜色に染まってました。
雨に閉じ込められた日の素敵な贈り物です。夕焼けだけでなく、もう一つあったんですよ…
丸一日水に浸しておいた白加賀を洗っています。流水できれいに洗います。ついでにヘタも取って。
糸駒が東京の稽古場へ出かけるのを待って、梅の漬け込みを始めたんです。
洗った梅はしっかり水切りします。それから除菌です。桶や重石、漬け込みに使う道具はアルコールスプレーで除菌します。梅は35度のホワイトリカーに浸して除菌します。
梅漬けは乳酸菌や麹菌の手助けを得て発酵させて付ける漬けもんではありません。ただの塩漬けです。だから、カビ菌や雑菌が大敵なんです。しっかり除菌することが一番大事です。
白加賀10㎏に用意した海塩は800g、8%で漬け込みます。塩を控えますので、代わりにしっかり塩摺りしてあげます。大粒ですから1回に20個ぐらいずつ手桶にとって、掌で優しく塩をすり込んであげます。梅の表皮に塩の道を開けてあげるんです。大粒の梅を付けるときに一番時間をかけるのはこの作業です。
重石は10㎏、一晩おけば水が出てきます。そしたら、小梅漬けの時にとっておいた梅酢を加えて、重石を軽くしてあげます。できるだけ、梅を痩せさせないようにしています。
後片づけしたら、12時ちょっと前になっていました。すごく良いタイミングでした。
昨日は沖縄県が主催する「沖縄全戦没者慰霊祭」が行われました。NHKの中継放送を見ることにしているのです。
6月23日は沖縄戦で日本軍の組織的抵抗が終わった日なのです。米軍が上陸作戦を行い、激しい地上戦が繰り広げられた沖縄戦の犠牲者は、20万人余とされてきています。でも、琉球政府が取りまとめたこの数値のうち、一般県民で犠牲になったとされる9万4千人という人数は、当時の琉球の人口データ等から推定された数値なんです。実際は、もっともっと多かったはずだという説もあります。
テレビは糸満市の摩文仁の丘、沖縄戦跡公園を映し出していました。沖縄の南端、日本軍の最後の司令部が置かれていたところです。群馬県遺族会が建立した慰霊の塔もここにあります。
今年の慰霊祭で「平和の詩」を読み上げた浦添市立港川中学校3年相良倫子さんです。毎年、沖縄県平和祈念資料館が公募している『平和の詩』、今年は相良さんの「生きる」でした。
すごく感動したので、全文を掲載します。読んでください。
生きる
私は、生きている。
マントルの熱を伝える大地を踏みしめ
心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、
草の匂いを鼻孔に感じ、
遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。
私は今、生きている。
私の生きるこの島は、
何と美しい島だろう。
青く輝く海、
岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、
山羊の嘶き、
小川のせせらぎ、
畑に続く小道、
萌え出づる山の緑、
優しい三線の響き、
照りつける太陽の光。
私はなんと美しい島に、
生まれ育ったのだろう。
ありったけの私の感覚器で、感受性で、
島を感じる。心がじわりと熱くなる。
私はこの瞬間を、生きている。
この瞬間の素晴らしさが
この瞬間の愛おしさが
今と言う安らぎとなり
私の中に広がりゆく。
たまらなく込み上げるこの気持ちを
どう表現しよう。
大切な今よ
かけがえのない今よ
私の生きる、この今よ。
七十三年前、
私の愛する島が、死の島と化したあの日。
小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。
優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。
青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。
草の匂いは死臭で濁り、
光り輝いていた海の水面は、
戦艦で埋め尽くされた。
火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、
燃えつくされた民家、火薬の匂い。
着弾に揺れる大地。血に染まった海。
魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。
阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。
みんな、生きていたのだ。
私と何も変わらない、
懸命に生きる命だったのだ。
彼らの人生を、それぞれの未来を。
疑うことなく、思い描いていたんだ。
家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。
仕事があった。生きがいがあった。
日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。
それなのに。
壊されて、奪われた。
生きた時代が違う。ただ、それだけで。
無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。
摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。
悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。
私は手を強く握り、誓う。
奪われた命に想いを馳せて、
心から、誓う。
私が生きている限り、
こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。
もう二度と過去を未来にしないこと。
全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。
生きる事、命を大切にできることを、
誰からも侵されない世界を創ること。
平和を創造する努力を、厭わないことを。
あなたも、感じるだろう。
この島の美しさを。
あなたも、知っているだろう。
この島の悲しみを。
そして、あなたも、
私と同じこの瞬間(とき)を
一緒に生きているのだ。
今を一緒に、生きているのだ。
だから、きっとわかるはずなんだ。
戦争の無意味さを。本当の平和を。
頭じゃなくて、その心で。
戦力という愚かな力を持つことで、
得られる平和など、本当は無いことを。
平和とは、あたり前に生きること。
その命を精一杯輝かせて生きることだということを。
私は、今を生きている。
みんなと一緒に。
そして、これからも生きていく。
一日一日を大切に。
平和を想って。平和を祈って。
なぜなら、未来は、
この瞬間の延長線上にあるからだ。
つまり、未来は、今なんだ。
大好きな、私の島。
誇り高き、みんなの島。
そして、この島に生きる、すべての命。
私と共に今を生きる、私の友。私の家族。
これからも、共に生きてゆこう。
この青に囲まれた美しい故郷から。
真の平和を発進しよう。
一人一人が立ち上がって、
みんなで未来を歩んでいこう。
摩文仁の丘の風に吹かれ、
私の命が鳴っている。
過去と現在、未来の共鳴。
鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。
命よ響け。生きゆく未来に。
私は今を、生きていく。
沖縄県知事も内閣総理大臣も、相良さんが読む平和の詩を聞いていました。今を生きる少女の「もう二度と過去を未来にしない」という呼び掛けをどんな気持ちで聞いていたのだろうか。ちゃんと受け止められるのだろうか。
毎日新聞が詩の全文をすぐに配信してくれました。
何度も読み返していました。
外は雨が降り続いていました。ずっと考えていました。読み返していました。
外が明るくなりました。雨があがったんです。
外へ出て見ると、西の空の雲が色づき始めていました。
干菓子には、うすくてぼやけているのですけれど、虹が見えていました。
キキのことを思い出していました。2013年6月23日のキキです。
5年前も、沖縄全戦没者慰霊祭の中継を見ていました。今年と同じように。
昨日は、ちゃんとおいしいタマネギ生活をしました。
糸駒の帰りを待って用意した夕食に、大きなタマネギ1個を使いました。どの料理に使ったか分かりますでしょうか。
用意したのは6品です。左から、①、②、③、④、⑤、⑥、とします、何番でしょう。
答は、明日にします。
直派若柳流の若柳糸駒ことユキ子でございます。
祖母の初代若柳吉駒、そして伯母の吉啓、二代目吉駒と昭和12年から続けてまいりました美登利会を引き継がせていただきました。
二代目吉駒の遺志と教えをしっかり守って、一生懸命つとめてまいりますので、よろしくお引き立ていただきますようお願い申し上げます。
4月8日の第75回美登利会の舞台の様子はコチラでご覧になれますす。
お稽古場は前橋市城東町四丁目です。詳しくはコチラをご覧ください。
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