高崎高校へ社会人講師をしに、自転車で出かけました。川を渡って行きます。最初の川は利根川。
『社会人』って、普通、社会に参加して一定の役割を担っている人って意味なんだけど、良く分からないのは、『学生』は除かれるんだいね。どうしてかな…、学生もちゃんと社会で役割を担っているのにね、不思議…
これは滝川かな。人を紹介することにしてるんだけど…
最初は、田島丑之助、大正時代、早稲田大学在学中に上毛電鉄の必要性を論文にまとめた粕川町出身の人だよ。この論文がきっかけで、上電はできたんだな…
元総社町にもこんな風景が残ってるね。昔…
次は高津仲次郎(1857~1928)、明治の初め、早稲田(東京専門学校)の学生してる時県会議員になって、日本最初の国会議員選挙で衆議院議員に当選した人なんだ。この人が、田島の提案を実現する大きな力だったんだ。すごい人、高崎高校の前身の群馬尋常中学高崎分校もこの人の力でできたんだよ。
北海道開拓、廃娼運動、電源開発、キリスト教運動、いろんなこと、ものすごくいっぱいのことをしたすごい人、めちゃくちゃ失敗もして、挫折もして、でもあんじゃあなかった人だ。
早逝した友人のお爺さんなんだ。
染谷川、ここでは地域の人たちが野鯉の保護をしているんで、でっかい鯉が見られますよ。
次は、山口薫かな。20世紀の日本が生んだ最も素晴らしいアーティストの一人だいね。高崎高校の卒業生です。
高崎高校の玄関に、山口薫の絵が飾られてる。『野の宿』という作品。
「『野の宿』というのだけれど、つめれば『野宿』ということです。毎日毎日野宿しているような気持ちが入っています。いっそ、絵のような生活をしたなら、しばらくは救われるでしょう」(『独りの時間』より)と山口薫は言っています。
手持ちの画集から取って見たけど、折り目が入っちゃうな。『野の宿』は、山口薫の代表作の一つ、いいな、毎日見られる高崎高校の皆さん、幸せだいね…
山口薫の、詩文を一個、紹介しよう…
あの人は英雄になろうとしない庶民であった
僕は僕の場所を考える
それは小さいものであってもよい
えらくなることが楽しみでない
僕は生活することが楽しみなんだ
私は何かを見ながら ぼんやりそんなことを考える
これは間違っているだろうか
世の人の考えに対して僕は精いっぱい生きてきた
ゆるせ 人のためにも
(『山口薫詩画集 独りの時間』より)
正観寺川だ。高崎に入ったよ。
その次は、井上房一郎だな。私が、Yチェアーを使うきっかけをつくってくれた人だもん。この人も立派なひとだ。会社はなくなっちゃったけど…
高崎高校にある井上さんの書、『指月庭』だ。
『指月』、禅の言葉だね。満月は悟りの象徴、あんじゃあない世界さ。それを指し示す指は、悟りに至る道、簡単に言や、学習と限りなき努力…
井上房一郎は、昭和27年に御真影を祀っていた奉安殿を取り壊した後の中庭に、庭園を造って寄付しているの。その庭の名が『指月庭』。
この庭だ。昔はもっと手入れされて、きれいだったよ。房一郎は二階のベランダから造園師たちの作業を見守り、指示をしてたって聞いた。
戦後のすさんだ時代に、高校生たちに、努力しようぜ、努力すれば平和な世の中が、あんじゃあない世界が得られるよ、そう呼びかけたんだいね。偉いな…
井野川です。このあたりではカワセミが見られます。昨日も、10分ほどは停まって見てたけど、会えなかったいね…
高崎高校には、ほんとうに偉い先輩がいるな。うらやましいな。山口薫も井上房一郎も、人に頼ることなく、自分を守り通したいね。すごいな…
烏川渡って…
あとはと、嵐山光三郎の「不用品と不良品」の話をしようかな。
不用品はいいよ、ゴミにならないから。リユースされ、リサイクルされ、何度も使ってもらえるから。そうさ、みんな、不用品になろうぜ。私も不用品だから、何度もリユースされて、今、大学でお仕事させてもらってるんだから
これは碓氷川、八千代橋渡った。車幅1.5m以上の車は渡れないけど、自転車は大事なしと。
不用品にも武器は必要だ。闘う道具がなきゃやってけない。
『知恵と勇気と糞努力』、これが武器だ。平凡な結論だ。
帰り道だ、和田橋の上から烏川と碓氷川の合流点眺めてたら、私の話を聞いてくれた生徒が声かけてくれた。嬉しいね…
少しでも、刺激になればいいんだな、私の話は。『自分のことは自分で守る』、そのことに一生懸命になってきただけだもんね…
「人付き合いのこつは?」って質問があったな。
「飲み屋で知り合った友人には裏切られてねえな。俺のこと呼んでくれたK先生のパートナーさんとも飲み屋の知り合いさ。
大事なことは嘘つかないことさ…」
観音山丘陵を覆った雲の隙間から、夕日が差し込んでた。きれいだな…
井野川の鉄橋を両毛線の下り電車が渡って行ったよ。
68年生きてきて、いろんなことあったな、いろんな人に出会ってさ、いろんなこと教えられて、勉強して、『野宿』だったのかな、『指月』には遠いやね…
<ねえ、あたしのことも話ししてくれた?>
「したよ、『失敗した時はどうするのですか?』って質問あったからさ」
<なんて答えたのよ?>
「猫が失敗した時どうするか知ってる? 猫はさ、失敗すると何もしなかったみたいな顔してさ、しらばっくれちゃうんさ、これいいぜ」
<ほんと、そんなこと言ったの?>
「言ったよ。失敗したら猫かぶれって」
<高崎高校の皆さん、キキから正しい答えをお伝えします。
失敗した時は、猫かぶらないで、『責任』とりましょうね…
それから、この記事の前に『佐久間川 第38回 明るい麦穂』をアップしてます。よろしくね。
それと、ちょっと別なご用をしてて、ブログの更新が遅れてごめんなさい>
11月3日は山梨県で国民文化祭です。日本舞踊協会群馬県支部は、ぐんま国民文化祭で創作した『上州は水のまほろば』で出演いたします。
11月17日午後1時からは、『温故和楽会』(群馬県民会館)です。お弟子が清元『梅の春』で出演いたしますので、よろしくお願いします。(若柳糸駒)
『若柳糸駒日本舞踊教室のご案内』もごらんください
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開業に何らかの関与をしていたようです、
終戦と共にとってもお金が要ったので、
売って工面して、
失意のうちにあの世に行ってしまったらしいのです。
そうなんですか。
上毛電鉄は出だしこそ快調でしたけど、すぐに起きた世界恐慌のあおりで追加投資の資金が手当てできなくて、大胡~伊勢崎~熊谷間、新町~鬼石間の路線を断念しました。
このため、経営的にも苦しくなり、しかも支えてきた地元の出資者たちも次々と窮地に追い込まれ、そして、戦争が始まります。
戦後、東武鉄道と上信鉄道が株式を引き受けたのですが…
お祖父さん、大変でしたね…