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流野精四郎&東澤昭が綴る読書と散歩、演劇、映画、アートに関する日々の雑記帳

詩人の言葉

2009-07-28 | 言葉
 陶芸家の友人から詩集が届いた。毎年1回、仲間3人で編んだ詩集を送ってくれるのである。第8号とあるから、もう8年も続いているわけだ。頭が下がる。
 発行間際には締切りに間に合わせるために慌てて帳尻を合わせるなんてこともたまにはあるのかも知れないけれど、生活の中に詩を書くという営みがしっかりと根付いていることを感じさせる作品ばかりである。
 私は極めて散文的な人間だから、詩について論じることなど出来ないのだが、それでも20歳そこそこの頃には真似事のように自分なりの詩をノートに書きつけたことがある。
 あれらの言葉はいま何処で眠っているのだろう。

 詩集に所収の作品も良いけれど、今回、友人が書き付けた巻末の後書きにぐっときた。
 1970年の高校の文化祭の話である。三島由紀夫が割腹自殺を遂げたあの年のことだ。
 17歳の友人は弓道部とのかけ持ちで、ロック喫茶ならぬロック部屋を有志数人とつくったのだ。
 教室に暗幕を張り、大音量で音楽を流す。当然教師たちの目に止まり、難癖をつけられたり、喫煙を疑われ、エンマ帳で頭をパーンとやられたり・・・。
 「あの頃のことは、CSN&Yの『デジャ・ヴ』のジャケットのようなセピア色にはまだなっていない」と彼は書くのである。

 17歳は特別な年齢である。アルチュール・ランボーも「一番高い塔の歌」のなかで書いている。
 「真面目一途は無理な話だ。17なんだよ・・・」

 詩は一瞬の感情や光景を形にしてとどめようと詩人が言葉と格闘した結晶のようなものではないだろうか。
 言葉を語る瞬間の詩人と、印刷された詩集を手にする彼は、同じ彼ではあるが彼ではないだろう。
 あの時17歳だった私は、同じ私ではあるけれど、今は私に夢見られる私でしかない。あの時の私は一体どこに行ってしまったのだろう。

 詩人の鈴木志郎康が26日付の日経新聞に書いている。
 自身の詩集成に収録された未刊の詩について書いた部分である。
 「未刊の詩群は、読み返して見ると、二十代の詩人が愛の不毛を当時の心情に合わせて誠実に語っている詩だった。
 それらの未刊の詩に現在のわたしは手を入れることができない。書いた詩人は、わたしだけれどわたしではなく、既に不在となったわたしなのだ。」

 むかし愛を語り合った恋人たちも、いまはいなくなってしまった。言葉は残るけれど、中空に虚しくリフレインするばかりでこの手に摑むことはできない。
 その言葉を語った私は、私ではあるが私ではなく、既に不在となった私なのだ。

 私の言葉は永遠に届かないのだろうか。


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